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詩集の中の栞のように~裏ブログ~

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2010/12/07
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カテゴリ:教務(国語)
最近は、都立高校の推薦入試においても小論文試験が実施されている。「作文」ではなく、「小論文」という言葉を使用する高校が増えてきている。

そこで、指導者側に求められる第一段階は、作文と小論文の違いを自らが認識することである。第二段階として、その違いを生徒に伝え、実際の指導に反映させていくことだろう。

ところが、以前勤めていた塾においては、第一段階をクリアできていない指導者がほとんどであった。
そこで、講師ミーティングなどで、小論文と作文の明確な違いを提示し、職員研修で意見交換を行っていた。

自由度の高い作文に対し、小論文には基準が存在する。作文のような個人の体験談ではないので、論理の一貫性や説得力も必要になる。近代を批判するためには、ある程度の歴史的知識や文学史的な知識も必須。近代化によってもたらされた社会のひずみを考察し、そこから脱するためには、果たしてどうするのか、そんな視点を養っていくことが重要になる。

小論文を通じて、何より思考力を育てることが可能で、うまく利用すれば子どもたちの能力を大きく伸ばすことになる。作文のように、読書経験の多い少ないがそのまま点差になることもなく、「考える力」がある子の場合、仮に読書経験が少なくても、時に素晴らしく論理的な文章を書き上げることもある。そこが小論文入試の素晴らしいところである。


小論文とは、すなわち論文である。中学生が普段接している入試問題で言えば、「論説文」にあたるもの。その論説文を自ら書くというのが、小論文試験ということになる。

では、論説文とは何か。論説文の指導では、多くの指導者が「言いたいこと・主張があるから、それを読み取ろう」なんて指導をするのではないかと思う。

そう。論説文とは「言いたいこと」がある文章のことである。言いたいことがあるからこそ、そこに論説文が生まれてくるのである。


ところが、高校入試の現場で行われている小論文試験には一つの問題がある。
それは、受験生の多くは、そもそも「言いたいこと」など何も持っていないということである。

小論文試験は、高校側が受験生に課した問題である。それを「全く言いたいことがありません」という中学生が書く形式になっている。


言いたいことを書くのが小論文であるのに、書いている本人に言いたいことがないという矛盾。

言いたいことがない人に、言いたいことを述べさせるために論説文を書かせるという矛盾。


もう、これって罪を犯していない無実の人に、むりやり「私がやりました」と自白させるのと全く変わらない。すなわち、高校入試の小論文試験は、もはや冤罪の世界である。



しかし、そんなことも言っていられない。実際に小論文試験は迫っている。

そこで指導者は頭を悩ませる。

すると、次に受験生や指導者が走る道が、「ネタ仕込み」である。

現在では、多くの小論文参考書が書店に並んでいる。それらのの模範解答を予めたくさん仕入れておき、その中から課題にあった解答例に引き出し、原稿用紙に写す。

実際に、都内の推薦入試に合格するために、指導現場で行われている小論文指導といえば、せいぜいこんなものが多そうである。


しかし、これでは、知識テスト、暗記テストと全く変わらないのでなかろうか。そこに子どもの思考力を養うという視点は欠けている。

なるべく多くの課題文をこなし、引き出しを多く用意しておく。すると結局、小論文試験でも「良い」答案を書くのは、暗記力の優れている定期試験上位者という結果になってしまう。


果たして、高校側はこうしたことを望んでいるのか甚だ疑問ではある。
何というか、大量のネタを仕込んだ者勝ちみたいな試験であるのならば、もうこんな試験やる必要はないのではないか。

いっそ、「環境問題について樋○式参考書に書いてあった内容を400字で要約しなさい。」でいいのではなかろうか。


そろそろ、小論文試験も出題形式を変えていく時期にさしかかっていると思う。

ポスト小論文試験。脱小論文。これが、現代の入試制度のテーマである。







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Last updated  2010/12/08 04:54:55 AM
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