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テーマ:命と現実と・・(9)
カテゴリ:時代
自分とこでもやらない話をありがとうございます。
昔から、「家族の見識が高いと結婚し難い」と言われるそうです。 で、少子化の原因として、1966生まれのマンガ家が言うには、「親と同じレベルの人生では意味がない、となんとなく思っていた。だからよりよい生活を求め、苦労を避けたがり、正直、出産と子育ての苦労をしたくなかった。それは、一種の愛情による覚悟のようなものを見ていなかったことになる」というようなことを書いてました。 (今月11月号の「正論」、p42 さかもと未明「苦労知らずという不幸」) でも、少子化は1973、4頃に急に始まっているようです。 1973はベトナム戦争終結、第一次石油ショック、の年。 また、団塊の世代の出産時期にも当たります。 たぶん、一種の理想性にもよっているんでしょう。数を増やすだけが人類の道ではないと。 それが、子供が少なくなり始めた親の世代。 そして90年代、少子化が始まった頃の子が10代の多くを占めるようになったころ、バブルの崩壊もあり、それとは別に少年の意識が変わり始めたといわれます。 理想を探して、‘この程度の世界で手を打とう’ということのできない、いわば純粋さ (あるいはその逆転したかってさ) が、こだわるものを引きずっているのかも。 子供の万能感、というのがあったけど、世代の持つ‘人間の万能感’というこだわりがあったりして。 なんていう新人歌手ですか・・・「この腐敗した世の中に・・・のために生まれたんじゃない」・・・何の問題が家庭にあったというわけでもなさそうだし、歌手として苦労したとも見えないプロフィールだし、人間関係に苦労してそうな性格に見えないし、これだけ恵まれた人がこんな歌詞をつくるのはどういうこったい?と思うようなもんですが。 「日本という集合意識の歴史」 の流れにのっているような気がします。 始まりは、東京裁判と原爆と国連憲章と平和憲法によって、「人類の恒久平和の夢――さもなくば破滅」、という世界観でしょうか。 「佐世保小6HP殺人」私的総目次 子供問題私的目次 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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