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素ーの日記
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たとえば・・ね。
なんでもできるが故に、やっちゃいけないと思わせられることがある。
与えたいと思うが故に、人はほんとうにいいものは受け取らない・認めないと思うことがある。
劣等感と独立心の故に、人が犠牲を払っても認めてくれていることを、間違いとして浪費する。
まるで不可能への憧れのようで、逃避のようで、自虐のようで、
たんに心が器用貧乏なだけなのか、などと。
可能な、認められやすいものは、真のあり方を隠すかのようで、
可能性ある、価値あるものは、軋轢が気になる。
無私ゆえに、担う気がなく、 ゆえに他人へめいわくをかける資格なしと思う。
深く思う自分を裁くゆえに、深みを滋味として味わえず、生きる感覚がつまらない。
それらすべて、自分の壁。
自分しだいと思わせようとする世界の貧しさの壁。
しかし、世界はかってに崩れる。
永遠に頑固そうだった意味体系が、あるときかってに消滅する。
その理由をどう批評しようが、もういい。
そのとき今更何を思う、? 誰のために、何のために。
それからは何を思っても、今更体系はないのだから、ものごと・意味・存在はただそこにあるだけ。それで意味。
自己批評しても意味がない。
思いがちゃんと呼吸しているなら、何を思ってもかまわない。
結局、呼吸の内容は、自分の届く深みと質からやってくる。
人にとって、世界があるとは、呼吸できることだから。
呼吸の始めは「呼」だ。
(呼-響き、ロゴス、、、)
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