|
カテゴリ:中年の主張
最近は、時間が空くと本を買ってきて読んでおります。1か月ほど前に、堺屋太一の「日本の盛衰」(2002年著)という本を読みましたが、今日は、この本について、印象に残ったことを書き留めてみようと思います(o ̄∇ ̄)。 ----------------------------------------------------------------------------------------- 日本は1970年代後半~80年にかけて、人類史上で最も完璧な近代工業社会を作りあげましたが、このとき、世界は「知価社会」という方向に大きく変わりだしていたのでした(;`∀´)。 19世紀は発明と発見の時代で、20世紀は大型化・大量化・高速化による規格大量生産の時代でした。このような20世紀型の技術進歩は、1970年代をピークにして変化し、多様化・情報化・省資源化の技術進化へと変化していきました。例として、コンピュータの発展による情報化は、多様な生産・流通のコストを下げて多様な消費スタイルに応え、規格品を大量に作成・流通する価値を落とすことになりました。そして、需要も、数量から主観的満足へ変化したのでした。 レーガン政権による、国際収支を気にしない輸入の拡大は、資金の国際流動性の拡大を促す結果となり、モノ・人・金・情報の移動が国境を自由に越える、今日のグローバル化をもたらしました。工業化には、莫大な資金・消費市場・技能者が必要で、日本は長年かけて、「銀行制度・郵便貯金制度の作成」、「国内消費市場の作成」、「技能労働者を育成」を明治時代から行ってきました。しかし、時代は変化し、アジア諸国は工業化にこのような条件は必要ではありませんでした。つまり、「国際流動性の拡大によって資金は外国から調達」、「市場はグローバル化」、「コンピュータ制御による技能労働の必要数の減少」により、アジア諸国は、工業化に成功することができました。結果として、日本が得意とする規格大量生産で、アジア諸国と競合をする結果になってしまいました(;`∀´)。 また、数量から主観的満足へ変化した需要は、ブランド価値などの知恵の価値を上げ、規格大量品の価値を下げました。このような変化は、日本の最盛期であった80年代から起こり始め、90年以降の日本の凋落を引き起こしました。時代は、日本と反対の、知価社会へと向かい始めているのです(;`∀´)。 ----------------------------------------------------------------------------------------- う~ん、この本を読んで、日本の盛衰が起こった理由が理解できたような気がしました(o ̄∇ ̄)。 この本は、現状の日本のシステムのどこに問題があるかにも触れていますが、これは、次の機会に書き留めようかと思います( ̄∇ ̄)。 ▼日本の盛衰 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.09 22:21:42
コメント(0) | コメントを書く |