|
テーマ:最近観た映画。(40126)
カテゴリ:映画
ネットなどを見ていると評価の触れ幅が大きいシャマラン監督。その作品の中でもひときわ「だめだ。。」と言われ続けている作品がこれです。 世間でいうところの「突っ込みどころ」が満載なんで、そういうのが気になる人の餌食になるんでしょうね。みなさん、彼がハリウッドを生き抜いてる監督だってことを忘れちゃいないですかね。。作品見る限り、映画に関する彼の知識と愛とは相当なもんだって気がするんですが。。 たぶんうちらが対等な目線で語ってはいけない人のひとりですよ、彼は。。 ましてやみおろして何かを言うなんてとんでもないことだと思うのですが。。 突っ込みどころのない映画なんて、たいしておもしろくないような気もしますしね。。 てゆーか、雑駁すぎる意見かもしれませんが、そういう物語的なつじつまあわせが大事なのは小説であって、映画はそのへんはざっくりでいいんじゃないかと私なんかは思うのです。まぁ、さすがに、あるシーンで主人公が左手に傷を負って包帯を巻いたのに、次のシーンでは包帯右手に巻かれていた、というようなのがあるようでは困りますが。。(笑) 映画のような視覚表現に必要なつじつまとはそういうことだと思うわけでして。。 くれぐれも筋違いなこまかいことでシャマラン作品を責めるな、と、思います。 ******************** シャマラン監督の映画を見る楽しさは、ほら吹き話を楽しんで聞くのと似ています。彼は現代のほらふき男爵、あるいはシェヘラザードなのかもしれません。物語る楽しさを満喫する映画を作ってる、て感じですか? 「なんじゃそりゃぁぁ」とか「おいおいっ」みたいなつっこみいれるのも楽しさのひとつといいますか。。(結局お前もツッコミいれてるんかいっ、と突っ込まれそう。。汗) 何を語るか、だけではなく、どう語るかということも重要な要素であることをシャマラン監督は思い出させてくれます。彼の映画は驚かせるための装置です。このけれん味が最大の魅力であり、映画とは本来そういうものだったろうな、と思わされます。 また、「サイン」はサスペンスであり、SFホラーでもあるようなので、ついついそのテの映画と比べてしまうのですが、おもしろいなと思ったのは人物の配置です。 「サイン」の4人の主要人物は、父、息子、娘、父の弟、ですが、80年代から90年代の名作といわれるホラー映画にあっては、「父親の不在」がよく指摘されていたのです。「死霊のはらわた」や「チャイルド・プレイ」、「スクリーム」、「ジーパーズ・クリーパーズ」もそうですし、ホラーではないですが「ターミネーター」もそうです。時代をもっと遡ると、「サイコ」もそうです。基本的な人物配置に兄と姉、母と子等、家族という枠の中で選択可能な異性の組み合わせが必ず出てくるにもかかわらず、父親は登場しないのです(父親の不在は、物語の基本設定としては、不安定な印象を与えるので、ホラーやサスペンスに最適です。「家族」を「社会」や「国家」の象徴と考えれば、いろんな含みを持たすことができますし、「家族」を個人の心の象徴と考えることもできます)。 父親と同時に母親が不在なときもあります。そして誰かしらが、その不在の人物の代わりを果たそうとして、つかのまの安定を得るのですが、家族という仕組みをめぐる登場人物の格闘ぶりは、現代を生きる私たちにとって、ずいぶんと意味深に感じられます。 ************** 「サイン」の家族を見ていきますと、作品が始まった時点で母親が不在で、しかも父親が機能していません。それを補完する人物として、母親が死んだ直後から父親の弟が同居しています。そして彼は別のテーマも抱えています(将来有望な野球選手だったが現在はガソリンスタンドの従業員。過去の栄光をひきずっている)。 元牧師である父親が父親として機能しなくなった理由は、彼の妻の死です。彼は信仰を失い、父親として機能していた頃とは同じ振る舞いが出来なくなったのです。 牧師として彼が人望を集めていたことは、いくつかのエピソードから推測できるようになっています。彼がいくら「もう牧師はやめたんだ」と主張しても、町の人々は彼を牧師として扱うことをやめないのです。 こういう設定から話が始まりますから、結末もおのずと見えてくるわけです。 なんてったってあのメル・ギブソンが元牧師役ですから、信仰を失ったまま結末を迎えるわけがありませんし(笑)、父権と信仰を取り戻す話だろう、と。 しかしその道はけして平坦ではないだろう、そのことは保安官が女性だということで暗示されているのだろう、と(映画の中で保安官が果たしてきた役割は、よくも悪くも父権的でしたから。。)。 またこの作品は「宇宙大戦争」へのオマージュでもありますし、作品内でも「宇宙大戦争」への言及がありますから、結末があっけないことも予告されていますし。。 あとはどういう経路でそこにたどり着くかということが残るわけですが、展開はかなりオーソドックスです。と言いますか、センスのいいカット割りも含めて、まさに王道の作りです。ただ「あの宇宙人のルックスが。。汗」ということになるのですが、なんの考えもなしにあのルックスが選択されたとは思えないのです。 私なりの結論は、こうです。 この映画全体に漂うレトロ趣味に合わせてああなったのかもしれないが、そのレトロ趣味自体が結果的には、時の流れによる風化を回避することを意図した戦略なのかもしれない。。 考えすぎかもしれませんけどね。。汗 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[映画] カテゴリの最新記事
|
|