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プラトン「クラテュロス 名前の正しさについて」・・・言語学より認識論 訳は、水地宗明。 プラトン全集2巻「クラテュロス テアイテトス」より。 クラテュロスとヘルモゲネスが、 「名前の正しさ」について議論している。 「名前の正しさ」とは、 それぞれの名前をして、ある事物の(正当な)名前たらしめる理由のこと。 その理由を巡って・・ クラテュロスは、「名前の正しさ」というものがあり、各々の名前には本来的に(自然に)定まっている、と主張するのに対し、 ヘルモゲネスは、名前に正しさ(規準)があるとは思えず、各個人の勝手な取り決めである、 と主張する。 ヘルモゲネスに対して、ソクラテスが質問するかたちで問答がはじまる。 そして、ソクラテスのリードで、 「・・果たして個々の名前自身が、自分はそんなにでたらめにつけられているのではなくて、 何らかの正しさ(根拠)をもっているのだということを」確認しないといけない、 と個々の名前を検証することになる。 以下、ギリシャ神話の中の神々や英雄の名前のルーツやら、 思慮、正義などの徳の名前のルーツなどが続々、例としてあげられる。 ここだけ見ると、言語学やギリシャ語の語源などが整理されているように思えます。 しかし、解説を読むと、今日の観点からみて正しいと思われる語源は、 112または140あまりの例のうち、正しいものは、22ほどのみ・・・なんと! 当時は正しいと思われていた語源であったとしても、あまりに異なることを思うと、 この書で、プラトンが言語学的なことを説明したかったというよりは、 事物(イデア)と認識と名前の関係についての認識論的な観点ではないか、 と思いました。 また、 物語の分量としては、ヘルモゲネスとソクラテスの対話が4分の3ほど、 残りが、クラテュロスとソクラテスの対話と大きな差があるにもかかわらず、 題は「クラテュロス」。 プラトンの立場が、クラテュロスの「名前は本来的に定まっている」説に より近いことを示しているのだと思います。 でも、この物語を読みながら、無性にソシュールを読みたくなったのでした。 プラトンさんから解放?!されたら、読みたいな~。 ソクラテスとプラトンの他の作品にご興味あれば・・・「プラトン全集」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.15 22:01:22
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