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武士道改版 新渡戸稲造「武士道」 訳は、矢内原 忠雄 本書の試み・・ 第一に、我が武士道の起源および淵源 第二に、その特性および教訓 第三に、その民衆に及ぼしたる感化 第四に、その感化の継続性・永久性 を述ぶる 武士道は、「正義の道理」として出発したが、 しばしば「決疑論」に屈服し、堕落した。 その一端が、長子を助けるために他の子どもを犠牲にしたり、 父の放蕩の費用を得るために娘が売られることになった、とか。 仁・惻隠の心・・ 封建制は、専制政治と同一ではない。 東北米沢にて、上杉鷹山はこう宣言した。 「国家人民の立てたる君にして、 君のために立てたる国家人民のこれなくそうろう」 名誉・・ 大阪冬の陣の時、家康の一人の若き子、徳川頼宣は、 先鋒に加えられずにこう言った。 「我ら十三歳の時のまたあるべきか」 武士の教育・・ 「武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、 思慮、知識、弁論等知的才能は重んでられなかった。」 といっても、 「知的優秀はもちろん喜ばれた。」・・それは、叡智を意味した。 「・・金銭と金銭欲とをつとめて無視したるにより、 武士道は金銭に基づく凡百の弊害から久しく自由であることをえた。 これは我が国の公吏が久しく腐敗から自由であった事実を説明する 十分なる理由である。 しかしああ! 現代における拝金思想の増大何ぞそれ速やかなるや。」 って、新渡戸さんが嘆いたのが、1899年でした。 ヨーロッパにおいては、騎士道が封建制度から乳離れした後、 キリスト教会が養うところとなり騎士道は寿命を延ばしたが、 日本においては、武士道より封建制度が去った後、 それを支える大宗教はなく、武士道は孤児となった。 ・・体系としては滅んだ。 しかし、徳はまだ生きている ただし、1899年時点・・嗚呼 <目次> 道徳体系としての武士道 武士道の淵源 義 勇・敢為堅忍の精神 仁・惻隠の心 礼 誠 名誉 忠義 武士の教育および訓練 克己 自殺および復仇の制度 刀・武士の魂 婦人の教育および地位 武士道の感化 武士道はなお生くるか 武士道の将来 [書評・読書メモ]カテゴリの最新記事
小説を読むペースが上がりませんね。(2009.02.06 23:28:29)
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