ヒグラシと夏の足音
昨日弊社H氏を送りがてら車を走らせていると、玉川上水の遊歩道の方からヒグラシの声が聞こえてきました。夕暮れに響くヒグラシの声はどこか物悲しく、少年時代にふと寂しくなって急いで家に帰ったことを思い出しました。途中どこからともなく漂ってくるどこかのお家の夕飯がとても美味しそうで・・ほのかにともる窓の明かりをチラリと見やって、何故かその明るさがうらやましくなって、まるで自分だけが寂しい想いをしているかのようなそんな錯覚を覚えたのでしょうね。一心不乱に家に向かって走ったのでした。思い出は突然よみがえります。ヒグラシの声を聞きながら寝台特急で田舎に向かった日の記憶が、そして気持ちがその時のままに胸に去来しました。弟達が生まれてすぐの頃で、母は体調を崩していました。夏休みに田舎に帰ることを楽しみにしていた私は、義理の父から「今年はお母さんの具合が悪いから田舎に行けなくなったよ」そう聞かされて駄々をこねていました。聞き分けのない私を見かねて祖母や叔父と相談して「私一人が母の田舎に帰る」事になったのです。当時小学校4年生の私にとってはまさに大冒険。今考えると東京駅まで送ってもらい、後は寝台特急に乗り込みさえすれば終点の出雲まで運んでくれるので、なんと言うことのないものなのですが、当時の私にとってはそれこそ一世一代の大イベント。車中では興奮してほとんど眠れず、窓越しに通り過ぎる風景を飽きもせずに眺めていました。電車に乗り込むと隣には大学生のお兄さんがいて、私が一人で列車に乗り込んだことを知ると、何かにつけて話しかけてくれたり、私をとても気にかけてくれました。「ヤマタノオロチの川ってもうそろそろかな?」「あっ、斐伊川の事だね。うん、もうすぐだよ」そんなやり取りをしながら私の大冒険は進みます。お兄さんは大社町の人で、竹内マリアさんがその町の出身なのだとか、もうほとんど覚えていないのだけれど、たくさんのお話を聞かせてくれました。終点の出雲駅について私が祖母に見つけてもらえるまで、そのお兄さんは私の側にいてくれました。残念ながら名前も聞きませんでしたし、顔も思い出せません。ただ、その時のさりげない優しさが時とともに深く胸に響いていきます。「お兄さん、もう私も大人になりました。サッカー選手になりたいという夢は叶いませんでしたが、それでも毎日頑張って生きてます。ささやかですが、夢を持って生きています。時々あの大冒険を思い出しては、なんだかとても優しい気持ちになれます。窓越しに眺めた街の明かりや、夜の闇にぼんやりと消えていく遮断機の音や、たっぷりと水をたたえた斐伊川の澄んだ水や、色んなことを、断片的にですがちゃんと覚えています。あの時は本当にありがとうございました。あの時優しくしてもらったように、小さな子供たちに今度は私が優しくしてあげれています。あの大冒険で覚えた斐伊川を、今でも本当に大好きです。」東京、神奈川、埼玉、千葉の外壁塗装、キッチンその他水周り、各種リフォームはいずみホームお見積もり依頼、お問い合わせリフォーム用語を調べるならリフォーム用語説明