マロンが、8月26日に死んだ。年は約8歳4か月くらいかな。
今年の春くらいからマロンの仕草や体の様子から何となく歳を感じるようになっていた。
自分が長期自宅療養となって間もなく、知人の納屋にいた子猫(マロン)が我が家にやってきた。来た時は、片手に乗ってしまうくらいとても小さかった。生後1か月くらいか。
自宅療養中は、マロンが心の癒しとなっていた。
常にそばにいて、横になればお腹の上で寝るし、新聞を読んでいれば背中に乗る。マロンの仕草を見てホッとしていた。
でも尿路結石になったり、何度も吐いて餌が食べれなくなり、開腹手術をしたり、体が弱い猫であったな。
2年半の自宅療養を終え仕事に復帰した後は、朝は寝室のドア前で自分が起きて来るのを待ち、仕事に行く時はお見送り、仕事から帰って玄関の戸を開ければそこにマロンが待っていた。家の中を移動するときは、動きを予測し自分の前を先頭をきって歩いていく。
履物を脱いでおけば、よだれたらたらで、履物に体をくねらせてすりすり。
お手、お座りはお手のもの。餌も待てと言えばいつまでも食べないでいる。一番感心したのは食卓の上に何も載っていないときは乗ることがあるが、料理が並べてあると絶対に乗らない。当然、つまみ食いなんてしない。妻もマロンが料理をつまみ食いするという観念がないから、マロンがいても料理を並べたまま部屋を空けてしまう。
マロンを火葬したとき涙がこぼれた。祖父母が死んだときでも涙しなかったのに。マロンが死んで1週間は心にぽっかり穴が開いたようで何もする気になれなかった。
自分と家族でマロンの態度が全く違うと妻がよく言っていた。帰宅してのお迎えは自分だけで、妻が帰宅しても無視して寝ているという。夕方の餌も自分が帰宅すると食べ始める。我が家に貰われてきて心細いときから1日中ずっと一緒にいたのは自分だけであり、違ったのであろう。
朝起きて寝るまで、マロンは本当にうっとうしいくらいくっついていた。我慢できず足や手ではねのけることがたびたびあった。このことを今では少し後悔してる。
自分は約2か月前に薬の服用がなくなり長い服用生活が終わった。そして、今日、診察をしたら、変化がなければもう病院に来なくてもよいと言われた。
妻に、「お父さんの病気を治すという役目が終わったから安心して死んだんだよ。」と言われた。
子どもは次の猫のことを考えているが、自分にはマロンの存在が大きすぎたため、当面、次の猫を飼う気になれない。いや他の猫ならいらないとさえ思えてしまう。
マロンが死んだとき、マロンの体から今まで嗅いだ事のない匂いがした。その匂いがマロンの死後、日ごと、時間ごとに移動して、家のあちこちでする。初めは供えた花の匂いかと思っていたが、花がなくなった今でもしている。それはマロンがそこにいるんだよと妻は言うがどうなんだろう。
本当にマロンは、自分を助けてくれるために我が家にやってきたのだろうか。もう少し生きてて欲しかった。
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最終更新日
2012/09/22 06:17:08 PM
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