通円(つうえん)◇通円(つうえん)◇ ■和泉流狂言 ■登場人物/通円(シテ)・東国の僧(ワキ)・所の者(アイ) (あらすじ) 東国から来た旅の僧が宇治橋のあたりに差し掛かった。 ここには無人の茶屋があり、今日は法事なのか、茶湯が手向けられている。それを所の者に尋ねると、 「昔ここには通円という茶屋の坊主がいたが、宇治橋を架け終えた橋供養の折に、集まった大勢を相手に茶を点て、ついに点て死にした。今日はその者の命日である」と語る。 旅の僧は弔いをしてゆこうと、通夜をしている枕辺に通円の霊が現われる。 手には団扇。腰には柄杓をさした茶屋の主人の姿である。 そして通円は、自分が亡くなる前の「宇治橋供養の際の、客との攻防」を仕方話(しかたばなし)で語り始める。 その内容とは・・・ 「通円のお茶を飲もうと押しかけた都の道者たち、その数300人!!!召し使う者どもを駆使しながら、片っ端からお茶を点てて、点てて点てまくるが、客も入り乱れて我も我もと飲みにかかり、ついには、頼みの茶碗や柄杓までも打ち壊されてしまった・・・もはやこれまで!と観念し、平等院の縁の下に団扇を敷いて、衣を脱ぎ座して時世の歌を詠み死んだ・・・。」 (説明) 「舞狂言」と呼ばれるこの通円は、能と同じような夢幻能形式で、地謡、囃子を伴って演じられ、ワキの僧が次第を話し、所の者(ワキ)に子細を尋ね、通円(シテ)が登場します。 直面(面をかけない)演目が多い狂言ですが、このシテは幽霊の役ですから面をかけます。 大切なところはこれが、能「頼政」のパロディであることです。 とはいえ、荘厳なイメージではなく、内容は狂言らしく軽妙に演出されています。 下記は、能「頼政」と狂言「通円」の詞章の一部を引用し対比してみました。 能「頼政」 狂言「通円」 名乗りもあえず三百余騎 名乗りもあえず三百人 くつばみを揃え河水に 口わきをひろげ 少しもためらわず 茶を飲まんと 群れいる群鳥の 群れいる旅人に つばさを並ぶる 大茶を点てんと 羽音もかくやと白波に 茶杓を追取り簸屑どもを ざっざっと、うち入れて ちゃっちゃっと、うち入れて 浮きぬ沈みぬ渡しけり 浮きぬ沈みぬ点てかけたり 能「頼政」では、源頼政が平家軍三百騎の敵勢に攻められて、もはやこれまでと平等院の芝の上に扇を敷き、時世の歌を詠み自害した・・・という場面を、通円をいう茶屋坊主のもとへ、三百人の客が一気に押し寄せてきたので、点て死にしてしまうという、かなりナンセンスな内容です(笑) (見どころ) 通円のちゃっちゃっちゃーと茶を点てる軽妙な手捌きがなんとも言えず、鮮やかで、職人魂が垣間見れる感じさえします。 「んなわけないだろー」・・・な展開や、能「頼政」を知っていて対比させてみると、より面白さが拡大するのではと思います。 まさに、、、「よいお手前で・・・」と言ってしまいたくなるような見事な芸です。 (まめ知識) ☆通円さんは実在した 頼政の家臣と伝わるこの通円家の初代政久(まさひさ)は宇治橋の合戦に出陣し、同じ日に討ち死に、その墓も平等院にあるそうです。 その子孫が橋守を務め茶屋を営んだと言われています。 通円茶屋は、今も宇治橋の東詰めに健在とのことですので、近くに言った時には立ち寄ってみたいですね。 ☆面 能「頼政」の面も専用の面があるように、通円にも専用の面があります。 通円は、悲壮感とか無念さを感じる面ではなく、職人かたぎのようでいて、洒脱さがある表情をしています。 ジャンル別一覧
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