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萬華鏡-まんげきょう-

県民のための能を知る会 横浜公演2006

県民のための 能を知る会 横浜公演
於:横浜能楽堂

平成18年5月25日(木)午後2時00分開演



【番組表】敬称・ワキツレ・地謡略
解説「能の小書」 中森晶三

狂言「秀句傘(しゅうくからかさ)」
シテ 野村萬斎、アド 高野和憲、アド 石田幸雄

能「采女(うねめ)」《美奈保之伝》
前・後シテ 中森貫太、ワキ 森常好、アイ 深田博治
大鼓 柿原弘和、小鼓 幸正昭、笛 松田弘之


束帯結び



秀句傘しゅうくからかさ



【登場人物】
シテ 大名
アド 太郎冠者
アド 新参の者


【あらすじ】
大名は会合の席で自分のわからないことでみんながどっと笑うので自分が笑われているのではないかと心配するが、近ごろ「秀句=ジョーク」が流行っていることを知った。

そこで、密かに秀句を習おうと太郎冠者に秀句の得意なものを召し抱えるよう命じる。

太郎冠者が連れてきた新参の者は昔、傘張りをしていたので「傘」を使った秀句なら得意だと言う。

早速「披露せよ」と言うと

(遠くから来たので)「骨を折って参った」
「つれづれに申そう」
「得申さぬ」


などと言うが、そもそも秀句がわからぬものだから、新参の者の言っている内容が分からない。
真に受け、大名は怒って一旦新参の者を追い出す。
太郎冠者から先程の秀句の意味を聞いた大名は、再度現われた新参の者が言う
《秀句ではない言葉を》秀句と勘違いして笑いどころでも何でもないところで大笑い。←太郎冠者よ・・なぜ分ってて止めないの(苦笑)

気をよくした大名は褒美にと扇や小刀、着ているものまで差し出す始末。
いつの間にか褒美をたくさんもらった新参の者は立ち去り、残る大名と太郎冠者。
己の失態と無知を実感した大名は、「秀句とは寒いものじゃ」と言い残して終わる。

【見どころ】
あまりかからない稀曲だそうです。
「傘」に引っ掛けた秀句(=ジョーク)を解説なしで理解するにはヒアリング能
力と駄洒落を理解する心がなければなりません(笑)
「骨を折って…」はギリギリ理解できそうなものの、連投される秀句の数々に翻
弄されまくってしまいます( ̄∀ ̄;)汗

こちらの会の主宰をされている鎌倉能舞台の観世流シテ方 中森貫太さんがこちらの秀句についてお答えくださっていたので、ご紹介させていただきます。
さて、どこが秀句かわかりますか?
Ans.の後はドラッグしてご覧下さい。

大名「秀句はどれから参った?」

新参の者「しまから参った」
Ans.しま=傘の柄と骨を繋ぐ斜めの骨のこと

新参の者「遥々と参った」
Ans. "はる"="傘をる"

新参の者「骨を折って参った」
Ans.これが一番簡単?傘の骨にかけている

新参の者「得申さぬ」
Ans. ""="傘の"にかけている


全部ではありませんが、新参の者が言った秀句(=ジョーク)は上記のようなことです。

「なんのことやらさっぱり」判らず逆に真に受けて怒りだす大名は、現代にも洒落や冗談の通じない人と同じでしょうか。

秀句を言えと言われて連れてこられたのに、怒られて刀で脅された日には新参の者もブチ切れそうですが(笑)あくまでそこの感情はフラットに表現されていますね。

太郎冠者に秀句の意味を詳しく聞き、再度呼び出し秀句の聞き分けをチャレンジ。

それでも急にはユーモアや笑いのセンスは開花しませんよね。
理解したふりをして何でもかんでも笑い飛ばしてしまう「知ったかぶり」は、何だか他人事ではありません(笑)

少なからずちょっとわかったふりをして、愛想笑いの一つくらいを飛ばす、なんてことは誰しも経験のあることではないでしょうか?
私はある(きっぱり)(* ̄ro ̄)ヒソヒソ

的を得ない反応をして場がシラケた時、その後の「寒さ」
着物を失った大名は情けなさいっぱい。

「秀句とは寒いものじゃ」

と言う一言が自戒の念と己の腑甲斐なさを秀句のせいにしてしまおうという、見え見えのプライドがちょっとした人間の小ささを描いているようで笑ってしまいます(* ̄m ̄)

ライン(文様)

【あめみこのつぶやきレポ】
今回の大名@萬斎さんの装束は 茶色の素襖裃すおうかみしも

大名と言っても狂言では家来(太郎冠者など)も数人しか召抱えていないような小大名が主です。
それでも位の重さを表すように、名乗り座ではなくて、舞台の階付近までズズズィーっと出ていて、自分は隠れもない大名(誰もが知る有名な大名なんだぞ)などと言います。

大体、なんとなく人間は不完成な人ほど威張りたがるものです(苦笑)

この狂言もその威張った大名が最後には情けない姿となっているところを見せることで、何となく「人間って愚かだなぁ」と思いつつ、ちょっとそんな人間が好きになれちゃうようなマジックがあります。

萬斎さんの大名。立ち居振る舞いの美しさはさることながら、太郎冠者が秀句が出来る者を探しに行っている最中は笛座の前のあたりで待機しているのですが、つい・・・見ちゃいますねぇ(苦笑)←脇正面だったから横顔見放題(こら)

前は結構厳しい表情で座っていたことがありましたが、今回は意外と穏やかなお顔(無表情なのか・・・)で。

今回は予定になかった観劇でしたが、お誘いいただき、コレは行くしかあるまい、と参加した公演。
心理的にタナボタといえども、コレが終わると7月まで観られない予定(のはず)
と思うと、「焼きつけねばー!焼き付けるのだー(何故か必死)」思ってしまうのであります・・・

そ。こういう邪心がたまに発生するから秀句の意味をヒアリングできないのよね~。

大名と太郎冠者の位置関係は代表的な狂言で行くと、いわゆる「萩大名」と同じです。
大名の右側に太郎冠者が座って、その知識のなさをフォローするという、大概こういう狂言の太郎冠者はしっかり者。

高野さんがその太郎冠者でしたが、私の位置から大名@萬斎さんに被るわ、被るわ・・
ぬぉぉぉー、見えんっ←高野さん ごめんなさい(平謝り)
それ以外はとてもよく観えるお席で先に場所を取ってくださっていたお友達には感謝感謝です。(自由席でした)
いやぁ・・萬斎さん、大名烏帽子がよくお似合いです・・・(*´▼`*人)・:*:・

あまり動きの多い狂言ではなく、"言葉遊び"がメインの狂言なので、少し解説がないと難しいかもしれませんね。

それでも"大名になった気分"←同感といった部分で充分面白い狂言です。
「何となく分るけれど、肝心の秀句がちょっとワカラナイ???」が面白い(笑)
秀句=ジョークがいまいち、ピンとこない大名の気持ち、「とりあえず笑っとけ」的なその場しのぎといい、この大名と同じ気持ちで見ることができますね。

そう。
能は、一人の人間の心理にクローズアップして観ていますが、狂言は少し引いた視点で"人間の有り様"を楽しむ演劇です。
でも、この狂言については、"シテ(主人公)のとんちんかんさ"と"秀句(ジョーク)"が分らなくて寒い気持ちになる大名の心にすっかりクローズアップしてしまうのでした。



今回の能は「采女うねめ」と言って、稀曲かつ"老女物の習い曲"と言われるほど難しい曲だそうです(パート2でレポります)

この能「采女」もあまり頻繁に観られないとのことですが、狂言も稀曲であって何だかお得な気がしました。


束帯結び



【能の小書】解説 中森晶三

結構面白くて興味深いお話が聴けたので、憶えている限り(かなり怪しいけれど)ご紹介。


能は世界最古の演劇、芸能であり今ではユネスコ世界遺産第一号や無形文化財に指定されました。
武家社会に召し抱えられた能。
地方に行けば言葉が全く通じないことがあった。政治的な折衝を行う場になっても言葉が通じないということもありました。←確か戊辰戦争のことを仰ってました。

そこで能が日本語を整え、武家は能を習うことによって正しい発音の言葉と優雅な立ち居振る舞いを身につけたと言っても間違いではない、と話してくださいました。

なるほど・・・。能という芸能がなければ、日本人の美意識もまた現在と違うものになっていたかもしれないのですね。

昔は古きもの(能の台本など)を変えるということは全くないことだったのが、段々と時代が変わると、見るほうも飽きてしまう。そこで、半能と言って能の面白いところだけを上演したり、小書(特殊演出)で台本の謡を大幅に削ったりしてきた過去があります。
例えば「猩々」とか。

能「千手」では郢曲之舞(えいきょくのまい)」の小書が附くと詞章が変わり、詞章の大幅な省略があります。
これをお客さんは観ていて短いものだから、(きっと)飽きずに観れて「ええ曲=えいきょく」だと言うとか(笑)←これぞNice「※秀句=ジョーク」
※本日の狂言は「秀句傘」秀句とはジョークのこと。

今は番組表の題名の脇に小さく書かれているのが小書であるとわかるものの、昔はわざわざ演能前の説明はなかったそうです。
シテの動きによって囃子方も打ち方を瞬時に判別して変えるということをしていたから、大変だっただろうというお話でした。

長い間、台本を書き付けているうちに、言葉が違って伝わったことがあったそうです。
そこで観世流宗家十五世は(お名前・・・憶えてません( ̄▽ ̄:) 確か十五世と言ったような違うかも・汗)日本文学に造詣が深い人だったので、全て補正してしまったのだそうです。
これは一旦、憶えてしまった玄人にとってみれば迷惑なこと(笑)で大変な思いしました。
結局は、後の十六世が元に戻した、というようなことがあったそうです。

それから、能の流儀というとシテ方の流儀を指しますが、その流儀は「五流」あり、観世流・宝生流(上掛リ)、金春流、金剛流、喜多流(下掛リ)と言いますが、この五流の芸風について面白いお話がありました。

中森晶三さん「昔、この五流がお互い仲が悪くてねぇ~」(笑)
「観世浮き浮き(ウキウキ?)、喜多気張り過ぎ、金春こんにゃく骨がない、宝生ほどよくよくそろう、そやけどちぃともおもろないー、金剛(今後)もさっぱり流行らない   なんて言いましてね(笑)」

↑初めて聞きました。
聞けば、その昔、金剛流のとあるシテ方さんが言い出し、それを聞いた喜多流の方が怒って"金剛(今後)さっぱり流行らない"と付け加えたそうです。
さて現代は仲がよいのか悪いのか、その辺のことはよくわかりませんが(苦笑)
いづれにせよ、我が流派(家)は最高の芸だと思い磨き続けているのでしょうかねぇ。

ともあれ、まだ五流を制覇していない私は勉強不足だなー(⌒◇⌒)

もっと色々お話がありましたが、とりあえず中心部分のみ記載。 聴いている時間帯はメモを取っていないのでかなりうる覚えで違ってるかもしれませんのでその点はご容赦ください(汗)

演能後、中森晶三さん、今回「采女」でシテをお勤めになった貫太さんが見所から質問を受け付けお答えくださるコーナーがありました。それはまた「采女」レポの後で♪


扇1


◇能「采女うねめ」◇


【登場人物】
里女(前シテ)・采女(後シテ)
旅僧(ワキ)
里人(アイ)

【あらすじ】
僧が春日大社を詣でると女が現れ、僧を猿澤の池に案内し読経を頼む。
僧が誰の弔いかと尋ねると女は、
"昔ある采女うねめがこの池に身を投げた"と語り、我こそその女の幽霊である、と名乗り池に消える。
その世、僧が弔っていると采女の幽霊が現れ当時の様子を見せ、更なる弔いを頼み消え失せる。
身を投げた采女の悲話よりも、春日の里の景色や当時の華やかな装いへの回帰に主題置かれている春の名曲です。
※「能を知る会」パンフレットより
采女祭
 出典:春日野奈良観光 http://www.kasugano.com/kankou/top.html


【感想】
采女とは朝廷における高官の女性。
とは言え、父親が帝に忠誠を誓って仕える、と言う意味で娘を献上した(いわゆ
る人質のようなもの)と冒頭にて中森晶三さんの解説がありました。

見目麗しく、知的な才女で帝の寵愛を受けていたこの女性(采女)。
いつしか天皇の心は移ろい、采女は失意を胸に自害を選びます。

後場のシテ・采女は猿澤の池に姿を現し(いわゆる幽霊の姿)水面の上で、在りし日に美しく輝いた時代を回想しながらゆったりと舞います。
序の舞。水に濡れている、ということで袖が水を含んで重たい。なので、袖を翻したり、水の上に漂っているため、足拍子を使わない、ちょっと独特です。(より動かないように見える・苦笑)

それは橋掛リに現われた瞬間は衣を被っているのですが薄い緑色の装束を付け、ただそこに留まっているだけなのに
「ものすごく美しい女性がいるのだけれど何かとても深い悲しみを纏っているような」そんな気配を感じさせるのです。

同じように能楽堂でいくつか能は観たことはあるのですが、シテのお声がくぐもらずに聞きやすかったのか印象的でした。

ひたすらゆっくりとした舞。
静寂の中にちょっとツライ時間帯はありましたが(苦笑)←かなり意識が遠のきました・・・( ̄▽ ̄:)
時折、采女がゆったりと回りながら私のいる方向に向かい合ったとき、キューンとした気持ちになったのです。

いや、これ一週間経過して感想を書いてますが、今思い出しても切ない。
ほんと…。
涙、出そうだった。


ちょっと、船出しないように必死に目を開けている努力をすることも多い、まだまだ修行の足らぬワタクシメなのですが、こういうエナジーを一瞬でも感じると、「ああ、いいなぁ」と思うわけです。

女性として愛された過ぎ去りし日。
あの日を思い出しながら舞い続ける姿が凛としたオーラを身に纏っているのに悲
しみが溢れている。

観ている側としては
「美しいからこそ何だか悲しい」

同じ女性として「美しいからこそ」と言う感想を持つのは腑に落ちないのですが
(笑)


だって不公平でしょう(⌒-⌒;)
見目悪くたって悲しみの深さは一緒…。でも華々しい位にいて何の不自由もなく生きていた頃からの転落。
落差が激しいほど切なく感じてしまいます。

都扇


「県民のための 能を知る会」公演終了後の・・・【質問コーナーれぽ】



Question
今回の采女の装束と面について教えてください。


Anser
装束は薄緑にピンク色。朱無し。
若い女性は赤を用い、年老いてくると赤を使わなくなる。
晶三さん「ババァになると、赤を使わないんですね」の一言に会場大うけ(笑)
今日の面は「若女」で前シテ(里女)と後シテ(采女の霊)で同じものをかけているのは前場ですでに里女=采女とカミングアウトしていることにもよるとのことでした。

Question
中森貫太さんは快活そうに見えるのに、采女を演じているときは物悲しく切なく美しい女性に見えましたが、いつから役に入り込むのですか


Anser
面をつけ幕の前にたったときからです。
父(晶三さん)はかなり前から鏡の間に座り役に入り込むのですが、役者にもよります。

Question
使ってる扇について教えてください。


Anser
扇には鎮折しずめおりと、中啓ちゅうけいといわれるものがあり、今回の能で使用していたのは中啓(ちゅうけい)、いわゆる末広がりとも言われる扇。
流派によって骨の部分が違います。

骨の部分が白いものは、シテが神や老人(または直面の男性)などの場合に用います。
黒骨には、幽霊や怨霊(能面をかけた男性、鬼、女性)に使うのだそうです。

祝い事のときには、扇を配るのでそれを使うこともあるそうですが、曲により使用する扇はきちんと決まっていて、後ろに座る後見は必ずその日の曲に合わせて持参してきています。
「ご存じのとおり、面をかけると手元は見えなくなるので袖が引っかかって落としてしまったりするんですね。そのときに後見の人がサっと渡してくれます」
また不祝儀の公演(○○追善公演)などの場合は、黒骨を使用するのだとか

能と狂言「扇」
出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/

Question
声のトレーニングはどうしているのですか


Anser
謡のお稽古は師匠から口伝によって行われます。いわゆるコピー。
なので流派、家によて謡を聞けば、どこの家の者か玄人には分り、また分るようでなければいけません。

日々のお弟子さんのお稽古によっても師匠とのお稽古と同じように声を張って行います。
例えば、毎日10名のお弟子さんが訪れたとして

"一人当たり15分のお稽古×10人=150分"

つまり大体二時間半は声を出していることになるそうです。能楽師の発声はこのようにして作られるんですね。

Question
囃子方は床机に腰掛けているのですが、そうしないと演奏が出来ないものなのでしょうか?


Anser
床机に腰を掛けていないと演奏が出来ない、というわけではありません。
能面をかけると、視界がかなり狭くなってしまうので、舞台上での目印は柱しかありません。
もしくは"きざはし"の出っ張り。←中心
これがない場合には、事前に舞台の中央から見える目印を探しておくのだそうです。
これと同様に舞台を回って、鏡板に向かって戻っていく時、囃子方が目印なのだそうです。(ほぇ~初めて知った!)

Quesion
「采女」は老女物の習い曲とのことですが、序の舞はどのように違うのか。


Anser
ごめんなさい。専門的過ぎて記憶できませんでした(汗)
ただ、笛の旋律を例えにして"ここで踏む(足拍子)"という法則から脱し、違うところで踏む、いつもと違う舞となるので難しいのだそうです←こんなレポしかできなくてごめんなさい(苦笑)

中森貫太さん
「私は45歳でして、このような年齢で采女の初演を勤めることは畏れ多いことなんです。だから、兄弟子から『次は卒塔婆か?(卒塔婆小町)』なんて嫌味を言われまして・・(苦笑)」

「今回の「采女」には「美奈保之伝」という小書が付いていますが、謡の詞章が大幅にカットされています。
謡本にして6ページ位省略しているでしょうか。今日はこれでも85分。普通だと(小書なし)プラス30分。そうするとチケットは売れないだろうと思いまして(苦笑)」

「本来 小書というものは、初演の時は行いません。一度、全てを初演した上で、小書を附けるのが普通です。あまりウチの会でこの采女を何度も演れないので、予め師匠にお伺いを立てて、お許しを貰いました。それでも1週間はお返事を待ちましたね。」

「これで、あと10年はやらないと思います(苦笑)」
「私は大変気持ちよく舞わせて頂きました。本当に、お客様には辛そうで(苦笑)大変だと思うのですが・・・( ̄∀ ̄)」

「また、普通の序の舞よりもかなりスローペースです。地謡はどうしてもテンポアップしてしまうため、そこをカットすることにより、一定のペースを保つことが出来ます。」

Quesion
能「采女」では、橋掛リで衣を被ってしゃがんでいますが、どういう情景をイメージすればいいのでしょう


Anser
衣を被っているのは姿が見えていないことを表していて、采女が水の中より浮かび上がってきた、ということです。

Quesion
後ろに紋付を着た方が座っていらして、出たり入ったりされていましたが、どんな役割をされているのですか


Anser
「後ろにいらした方々は"後見"と言いまして、一人女性の方が一番前に後見として座っていらしゃいましたが、実はこの舞台上で一番エライ方なんですね。というのも、既にこの采女を演じたことがある人です。もし、私が急に病気で倒れたりしたときに、代役を勤めます。出たり入ったりしているのは、シテが舞台にいるときは出ています。いないときには、いなくなります。」

「後見は、謡も全て憶えておかなければいけませんし、装束の乱れも直したりする、一番神経を使う役どころです。僕は一番やりたくありません(苦笑)」

歌舞伎で言う"黒子"の方とはまた違い、その道一筋というわけではないんですね。
"働キ"(揚げ幕の上げ下げ、シテが戻ってきた時に出迎えたりする)もすれば、上記に記載したように"代役"もするわけです。




【れぽ後記つぶやき】
と・・まぁ、こんな内容だったかと思います(違うかも←いつも散々お断りしていますが、シロウトの覚書ゆえご許されませ・苦笑)
能・・・。深い、深いなぁ。

でも、分りやすく説明してくださるこの会には親しみを感じますね。

シテ方さんへこの質問はどうなのかしらん?と思ったのですが、今日の狂言の"秀句"についてお客さんからの質問がありました。貫太さんはちょうど装束をつけている最中でご覧になっていなかったとのことですが、後ほど調べてきちんとお答えします!という真摯なご対応にあめみこは感動しておりました(笑)


人のいなくなった能楽堂で少し静けさと余韻を楽しんだ後に、ロビーへ沢山並ぶ能や狂言の本を漁りにやってくると、先ほどまで舞台にいらした貫太さんが。

演者の方が、こうして間近にいらっしゃるのを観るのは初めてで、失礼ながら"じぃぃぃーー・・・"と見つめてしまいました←かなり失礼ですよね、ごめんなさい。
くあー、握手してもらえばよかった・・・(後悔)←つくづくミーハーですんません(重ね重ね)

さて愚談はさておき←いつも愚談(爆)

「多分、ウチでは10年は演らない」と仰った貫太さんの采女を観られてラッキーだったなぁと思い、質問コーナーの冒頭から、
「いやぁ、今日は本当にお客さん、大変そう(眠そう?)だなぁと思っていたんですけれど、ワタクシは本当~に気持ちよく舞わせて頂きました(⌒◇⌒)」
爽やかな笑顔でお話される貫太さんのお顔が印象的でした。




※参考としたホームページ  鎌倉能舞台



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