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共同通信社中嶋啓明氏に抗議する
オベンチャラまみれで気持ちが悪い と題して中嶋なる人物が週刊金曜日五月一日号に記載している。以下転載。 明仁が天皇になって二十年の今年は、皇后美智子との結婚から五十年にも当たるとしてオベンチャラまみれの皇室報道が氾濫している。四月十日の結婚記念日は、その最初のピークだった。何が『語らい重ね通じる心』(朝日新聞 同日朝刊)だ。気持ち悪い。 『国民』挙げての奉祝機運醸成に奔走する皇室報道.だがそれらには皇太子雅子の体調不良を契機にした天皇家、皇室内部にあるらしいすれ違い、対立が常に色濃い影を落としている。雑誌メディアには、そんな対立話を語る『皇室関係者』らの証言であふれている。そして、右翼「論壇」からさえ上がる、わがままし放題の雅子と、それを抑えきれない皇太子徳仁への失望の声。メディア上で見る象徴天皇制は漂流しているように見える。そんな天皇制もこの間、少なくとも一つの武器の意義を再確認しているであろう事は間違いない。『公務』と呼ばれるものだ。「皇室外交」「地方行幸」各種行事、式典への出席等々・・・。明仁の負担軽減など、皇族間での分担だの、さも不可欠なことのように取りざたされた。だが、それらは本当に天皇、皇族がすべきものなのか。そもそも彼らに許されているのか。 メディアは『私事』より『公務』を優先するとしてひたすら天皇、皇族を賞賛するのみ。挙句の果て『日の丸・君が代』の強制をたしなめたと、もろ手を上げ『格差・貧困』に心を痛めているとありがたがる。(その際、数千万円の税金を書けオランダに「私的」西洋に出かけることのできる一族であることに触れるメディアは一切ない。この欺瞞)こうしてメディアは事実上の政治機能の行使から眼を背け、彼らの影響力の拡大に手を貸し続ける。 『天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』(憲法第四条) 極限状況が極度に深化しているのは何も憲法九条をめぐってだけではない。 憲法の理念を体現する明仁、美智子だって?最大の欺瞞の源泉である天皇制を皇室報道が支えている。 共同通信社記者 中嶋啓明 引用以上 ひどい文ですよ、読んでください。友に言われて驚いた。付き合いのある共同通信社社員はこんな思想の持ち主ではない。早速名古屋の記者に聞いたが、直接週刊金曜日に問い合わせるよう言われた。 何たる不敬なる表現。「最大の欺瞞の源泉である天皇制」なる表現を『共同通信社記者』を名乗り表現をする以上、社はこうした方針であると考えざるを得まい。明仁がとか、皇后美智子と、記載する不敬を許してはなるまい。 憲法の規定に国事行為として記載されているのは第四条。しかし第一条から第八条は天皇条項。日本国民統合の象徴としての御存在である天皇は、象徴としての行為が当然あるはず。象徴であらせられる天皇御皇室に対して、敬語表現をなさない記者の感覚は許しがたい。 さらに国事行為以外に天皇のなされることを限定するなどとする論はおかしい。象徴としての行為が当然ある。「象徴行為」として諸外国に行かれ、日本の国益に大いに寄与なされていることをどう考えているのか。これがプライベートであるはずもなかろう。 こんな憲法であってもこんな政治家、マスコミのていたらくがあってもなお陛下は国家国民の範足るべきご努力を積み重ねていらっしゃる。 日本のマスコミがこのレベルであっては日本の将来は危うい。 諸外国に行かれ、「皇室外交」をなされることを禁じる判例でもあるのか。ぜひ伺い薫物である。誤解をあえてしたいようなら、改憲時に「象徴行為」として天皇のご行為をうたうほうがいいのかもしれないが、その必要もな意だろう。 陛下の象徴としてのご行為を国民は感謝していることを知っていてほしいものである。ナンなら世論調査をされたらよかろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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