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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2016.09.07
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午前7時より8時半町内資源ごみ回収立会いおよび記念碑周辺草取り。。8時半より交差点周辺草取り。今日は上和田西交差点一周を除草。大袋2袋になる。10時半、がん患者への精神的かつ職業的アドバイスの講演をなされる方がどんな話をすればよいかをお尋ねに見えたので私だったらこのように話すでしょうと例示をする。命の大切さ、生き抜く大切さ、命の継承ということ、さらに最高の生き方を家族に示すことなど。

 

 敬愛する先生を思い出す。スポーツマンで男気があり、かつ偉大な教育者であったK先生。先生が癌に侵されたらしいときに私を呼び、「杉田、頼みがある。生徒の面倒を見てくれ」と言われた。らしいというのはまだ検査入院の時。すでに先生は癌を確信し、先生を慕う小中高生の学力指導を行ってほしいと私に頼まれたのである。自分にも慕ってくれる生徒は多くいた。簡単に職をなげうってはいわかりましたとは言えない。「先生が生きようとされないならお引き受けできません。少しでも生存の可能性があるならその治療をしてください。治療の費用はできるだけ出させていただきますから」「よし分かった」こうして私は先生の学習塾を支える決断をしたのであった。K先生は湯治や認可されないワクチン治療など、さまざまになされながら岡崎に見えるときには常に教壇に立たれた。学んでいる生徒は命を燃やしきるK先生の姿を目の前にして毎日質問しながら涙を浮かべている。「〇〇、死ぬのはお前じゃない。俺だ。何を泣いているんだ」そうフランクに答えながら平常心で指導をされているのだ。

 しかしついに体が動かなくなり、名大病院に入院。その住所から筋ジストロフィーにかかって亡くなった教え子さんのもとへ500万円の匿名の寄付がなされたと新聞報道。私はピンと来た。この金は先生のために先生から購入した書籍などの金額ではないか。「先生でしょ、この匿名寄付は」「知らん」たったひとことの返事であった。彼女のお母さんは難病患者のための福祉施設を立ち上げて見え、そのための資金なのだ。

 命も要らぬ、金も要らぬ。一生懸命生きている人に使ってもらえばいい。先生の葬儀を手伝わせていただいたが、大学教授や知人友人で大変な数の皆さんがお見えであった。

 ちなみにご長男は岡崎高校を出られたが、親である先生とぶつかり大学進学をせずに美容師の道へ。先生は人のために動き詰めで家族を顧みなかったのであります。家族は先生を身勝手と見てみえたのかもしれません。しかし、その息子さんは先生の葬儀を見て、初めて父親の偉大さに触れ感銘を受け、大学受験を市、教師の道を進んでいくことになった。ある冬の日、不登校の生徒を4年間ずっと支援してきたのでしたが、中三になったその生徒が入試に向けて最後の記念と、夜釣りに行った際、目の前で風にあおられ海に落ちられた。ボランテイアで引率していた御長男は他のボランテイアさんにロープを持ってこさせて本人は海へ飛び込み、。おぼれる男子生徒を海中で抱きかかえて息ができるように必死になっていた。そこへロープが。中3生はそれにつかまり助けられた。しかし、先ほどまで彼を押し上げていた息子さんはついに力尽きて海中に沈んでしまった。数時間後に引き上げられたが、もう息がなかった。

 私は何とかご子息の尊い人生を記憶していただきたいと様々な部署にお願いしたが、奥様から「亡くなったとはいまだに思えないし美談としてマスコミに追っかけられるのは嫌だから杉田先生もういいです」私は彼の人生を長野のボランテイア作品コンクールに文章として送ったのを最後に動きを止めた。ありがたいことに最高の賞となり映画の一シーンとして使っていただき、彼の顕彰は文部大臣特別表彰を受けた。これは彼が通った大学の学長先生が感動して連絡された結果で私は何もできなかったに等しいが。

 

 癌も当時に比べれば相当に割合で生存率が上がっているという。

 たとえいかなる結果となろうとも、できうれば仕事を継続しながら病と闘ってもらいたいものです。周りに心配かけるからと職を辞すのは最後の最後でいい。そう、その時から本当の人生の感動が生まれるのかもしれません。

 今は医療は相当進歩しているのですから。

 






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Last updated  2016.09.07 15:57:13
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