テーマ:夏目漱石(54)
カテゴリ:夏目漱石
日清戦争・日露戦争において日本の軍馬が西欧諸国のそれに大きく劣ることを痛感した政府は、内閣直属の馬政局を設置して馬匹改良に着手した。馬政局は、優れた種馬を選抜育成して質の高い馬を多数生産するとともに、馬の育成・馴致・飼養技術を高めた。さらに、国内における官民の馬産事業を振興するためには、競馬を行って優勝劣敗の原則を馬産に導入すると共に、馬券を発売して産馬界に市場の資金を流入させる必要があるとして、馬券の発売を前提とした競馬の開催を内閣に提言した。賭博行為は違法であったが、競馬は軍馬育成の国策に適うとして、桂太郎内閣は馬券の発売を黙許するとの方針を1905年(明治38年)に通達し、これにより馬券発売を伴う競馬の開催が可能となった。(ウィキペディアより)
【上記の感想】 上記は、1905年の日本の競馬について書かれた箇所。 今、漱石の『三四郎』を読んでいる。 その中に馬券を買う場面が出てきたので、調べてみた次第。 日本の競馬史は結構複雑である。 現在でも中央競馬と地方競馬が並存していることからも、何となく簡単ではないことが想像できよう。 漱石の『三四郎』が書かれたのは1908年である。 小説に登場するようになったということは、ある程度の経済的時間的余裕がある者は、競馬を楽しんでいたものと思われる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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