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今日は朝から日蝕鑑賞のため、7時位から窓に張り付きだった。幸い予想は外れて結構晴れていて、クリアな金冠日蝕を見ることが出来た。良かった、良かった。 日蝕と言えば、大袈裟に言えば人生の岐路となったかも知れない出来事を思い出す。忘れもしない、高校一年生(か二年生、忘れているじゃないか!)、水球部の合宿の最中だ。余りに厳しい練習にもう僕は限界を越えていて、ギブアップ寸前だった。確か100メートルダッシュかなんか連続で、水泳部出身でない僕は当然ついていけない。一本終われば休む間もなくもう一本というのが延々と続いていた。「もう本当に駄目」と心が折れかけていたまさにその時に、監督の先生が、「おーい、日蝕の時間だ、(何十年に一回のことだから)一分間休憩!」と叫んだのだ。 僕はその一分で息を吹き返した。後はどうなったのか分からないけれど、なんとか乗り切ったのだと思う。練習中に心が折れる、あとはヘロヘロになる、練習リタイヤ、落ちこぼれる、嫌になって退部という魔の連鎖を断ち切って、なんとか合宿を乗り切ることが出来た。高校の水球部で達成した体験はその後の人生(今も)に大きな影響を与えているから、あの時あのタイミングで日蝕がなかったら、今の人生も全く違ったもの(多分もっとしょうもないもの)に変わっていただろう。 今回の日蝕はそんなドラマチックなことも人生の危機もなく、家族で平和に鑑賞することが出来た。これを「進歩」と呼ぶのか、ぎりぎりのところを生きていないことの証明になるのかは分からないけれど。
中学生になった長男が、母校の高校の水球部に入部(?)している。飛び級のようなもので、そのお陰で僕も水球部を見に行く機会が増えて都合がいい。水球の練習を見ていて思うのだけど、どうも「練習のための練習」になっている様な気がしてならないことがある。 試合でそんなちんたらやって通用する訳ないだろとか、試合だったらそんなシュートを打つのか!とか、ディフェンスも本気でやれ、インターハイ出場がかかった場面でそんなプレーをするのかとか、突っ込みたくなる場面が多々ある。そこに大きなプールがあるのに陸上でタラタラ筋トレや陸上練習をしたり、シュート圏内でシュートを打たない練習設定だったり、先輩から引き継いだ練習方法を何の疑問もなく、そのまま(エッセンスだけは抜けたりして)踏襲していたり。 要するに、試合、特にインターハイ予選とか本戦とか、自分の力を試される場面を意識した練習が出来ていないのだ。試合で通用する実力を付けるには、試合の緊迫した場面を再現する様な練習を繰り返すしかない。それが「練習のための練習」になってしまうと、「努力を続けていればいつか夢は叶う」みたいな非現実的な願望に過ぎなくなってしまう。 話しは逸れるが、「努力を続けていればいつか夢は叶う」というのは嘘で、夢を叶えるために必要な努力すれば、夢は現実化する」というのが正しい。漠然と出来る範囲の努力を続けていても、それは実現したい夢とは全く別の話しである。これと同じ話しで、試合を意識せずに漠然と練習していても決して重要な試合に勝てる様になる訳ではないのだ。 水球の話しとなるとついつい熱が入ってしまうのだけど、会社の経営も全く同じである。いつか大きく成長したいとかいつか上場したいと思って漠然と働いていても駄目だと思う。いついつまでにこういう道筋でこうなりたい、そのために必要な具体的な施策をこれくらい労力をかけてやるという計画、実行がないといけない。 こんなことを考えると高校生に偉そうなことは言えない。高校生に偉そうに言えるためにも、具体的計画を進めていきたいと思います。
昨日は社員僕を入れて13名で徳島マラソンに参加してきた。前日は観光日和の春らしい良い天気の中、午後から営業打ち合わせ会議、なのに翌日はなんと注意報も出されるほどの暴風雨でした。 コースは吉野川の堤防なので特に風が強く、突風が吹くと身体を斜めにしないとバランスが取れない状態。よく台風のニュイースでアナウンサーがバタバタとはためくレインコートを着て放送しているけど、まさにあんな感じでの42キロ。予想通り練習不足の僕はなんとか5時間切るくらいのワーストで、28キロを越える辺りから歩いたり走ったりの状態になってしまった。今までは幾ら遅くても「歩かない」ということを主義にして頑張っていたのだが、昨日は太ももが痛くなったり足首に激痛が走ったりととても走れない状態(練習不足)、で、仕方なく完走目指しての歩いたり走ったりの状況に陥ってしまった。 で思ったのだが、「遅くても走り切ること」と「歩いたり走ったりして完走すること」は全く違うスポーツだということだ。僕で言うと同じフルマラソンでも、4時間を切る(まだ遠い目標)、4時間30分を切る(歩かない、多分この辺りが実力)、5時間を切る(後半は歩いたり走ったりする)というのは全然違うレベル、違うスポーツと言っても良い位の違いがある。今までは苦しくなったら歩かず立ち止まって脚を伸ばしたりしてまた走り始めたのだが、今回止まらずに歩くことに切り替えると同じ様に回復する。その間200メートルとか300メートル、もしくは1キロ近く進んでいるのだから、残り10キロの中では大変大きいし、劇的に楽である。歩いた距離を42キロから引けば、「35キロマラソン」位になるんじゃないかと思う。だから「歩かずに完走する」と「歩いたり走ったりで完走する」ではこんなにも違うのかと感じた次第です。 経営でも同じことが言えると思う。同じ「会社経営」でも、売上規模が違えばやっている「種目」が違う。赤字経営、ぎりぎり黒字経営や、また経常利益10%以上経営ではやり方も厳しさも、何もかも全く違うのだと思う。低利益率、低成長率で良いと思えば相当心理的には楽だし、働き方もそれなりでも可能かもしれない。でも一旦高い目標を掲げると、同じ「会社経営」とは思えない程難易度が高く、レベルの高い働き方、考え方が求められるのだと思う。 当社はどうせやるなら、しっかりした利益率の高い、社会貢献度の高い経営を目指したいと思う。それは僕の4時間切りと同じ様に厳しい戦いになるかもしれないけど、早いうちに実現出来る様に頑張りたいと思います。
他人に何かを伝えることは本当に難しくて、そのレベルは様々だ。 こちらから「言った、メールを送った」というのは当方のアウトプットに過ぎなくて、先方は聞いているかもどうかも分からない。「言った」レベルの次は、先方が「聞いた、耳に入った、メールを読んだ」というレベルで、聞いたからと言って理解したとは限らない。 次のレベルがようやく「理解しました」ということで、だからといって腑に落ちたとは限らない。「腑に落ちた」レベルでもまだ不十分で、実際には「行動に移す」というレベルまで到達して初めて、こちらが「言った」意味が出てくるのである。 よく仕事で「メールを送っておきました、電話で伝えました」ということをもって「先方に伝えた」と勘違いしている人がが多い。実際には上記の「当方のアウトプット」に留まっているから、それを何回もプッシュし説得し、なんとか「先方の行動」のレベルまで引き上げていかねば意味がない。「メールしておいたじゃないですか」、酷い時には「CCで送っておいたじゃないですか」と逆切れする、弁解する人もいるが、そんなの「読んだけど納得していない」と言われればそれまでである。 そして世の中は人が本当に動かないと変わらない。人が動かないと変わらないのだから、「人が動くまで伝える」というのが正しい伝え方だと思います。
当社はつくづく「いい加減な」組織だと思う。決まりごとは殆どないし(原理原則はある)、書類もないし稟議もない。肩書きだって適当に勝手に付ければ良いし(「社長」以外。給料は変わらないし)、権限だってどこまでどうなのか、よく分からない。 こういう組織の良い点は、言い訳が効かないことだ。やってみたいこと、新しいプロジェクト、顧客に対する提案、新商品の扱いや開発も、提案した人がいればポジションに限らず「やってみれば」と言われるだけだし(営業担当者だって商品開発をやってる、開発担当者だって営業する)、実績がなかなか出ないことを何かのせいだと言えば「その障害を解消するので頑張って」と言われてしまう。社内の他人を使うのも良し、他社の人を使うのも良し、経費を使うのも良し、「で、結果は?」と最後に言われるだけだ。あれ、これは厳しい点? そして毎日日報などを通じて細部まで報告し、僕もかなり細部まで見ているから、良くも悪くも「分かる様に説明してくれ、しっかりと提案書類にして稟議に回してくれ」と言われる猶予?手続きもなく、そのままダイレクトに自分の活動情報が社内全体に伝わってしまう。 組織が小さいと良いのは(多分50人位まで)、「誰が責任者か」明確に分かるということだ。どんなプロジェクトだって事業だって、新商品だって最後に「で、結果は?」と問われる個人が特定出来てしまう。なんとなくプロジェクトチームでやって何となく結果が出た、結果が出ないということもない。結果をその部門長が負うってこともない(「部」という概念も余りない)。あのプロジェクトは「誰々のプロジェクト」で、そのプラスマイナスや戦略的な意味を考えれば、その個人は会社にとって黒字か赤字か、投資か浪費かすぐに分かる、分かってしまう。 あれれ、当社の「いい加減な経営」を嘆いていたのに、いつの間にか「厳しい経営」みたいになってきた。いい加減な組織だと逆に個人がクローズアップされ、隠れる場所もないってことかな。まあ言いたいことは、各人が個人で責任(=コミットメント、やり込み)を持って自由闊達に仕事をしている(して欲しい)ってことです。勿論、社員が仕事に打ち込む分、僕も負けずに細部、大所高所からコミットメントしていきますよ。
組織の中で生き残る条件とは、新しいものを生み出す能力、実績があることだと思う。しかも一回だけではなく、継続的に次々とレベルを上げて実績を上げていかねばならない。 昨日までやっていた仕事はどんどん効率化、定型化していって、自分よりも下の人に渡していく。そして自分は既存の仕事に埋もれて安住するのではなく、常に自分の仕事をリセットしていって新しいものに挑戦していくことが大事だ。 新しいこと=成功するか分からないこと=リスクなのだが、リスクを取らないリスクが確実にあることも覚えていなければならない。同じ仕事ばかりやっている=リスクを取らない人間は、組織に取ってはいつかはお役御免になってしまう存在である。企業が成長するには必ず「新しいこと」が必要なのだから、いつまで経ってもそれを生み出さない人材は徐々に居場所を失っていく。 会社も全く同じことだ。リスクを取るリスク、リスクを取らないリスクの両方を見極めて、常に新しいことに挑戦し続けていかねば、未来はない。当社もこのことを肝に銘じて頑張っていきたいと思います。
大きな組織で働く最大の危険性は、「自分の人生を賭けてやらねばと考えていること」から離れていき、「組織やその周りを取り囲む利害関係者の調整」を仕事と考えてしまうことだと思う。 だから若い人には決して大企業、大組織で働くことを勧めない。中にはやりたい様にやらしてくれる大組織もあるだろうが(そういう会社はダイナミックで面白いし、組織の力があるから実力以上の経験もさせてくれる)、概ね「固い会社」、「保守的で安定している会社」においては、外の社会にどう貢献していくかよりも、内輪のロジックの中で如何に如才なく問題を起こさないかというリスクヘッジの達人になっていくだけの場合が多いと思える。 もちろんこれは中小企業経営者の僻みなのかも知れないけど、最近大組織、大企業の人たちといろんな形で関わることが増えてきて(ボランティア案件も含む)、やっぱりそうなんだなと感じた次第です。当社は内輪の論理には興味がないし、社会貢献をしていくためにはそんなことにエネルギーを費やしている暇も余裕もない。ひたすら、ミッションのために邁進するのみです。
会社が組織としてうまく機能するためには、そこで働く社員が純真で一生懸命努力する人間でなければならない。反対に社員が自分の給料や数字上の評価のだけのために汲々としてお互いの足を引っ張っていたならば、組織がうまくいかないのは勿論のこと、そんな会社とつき合いたいと思う顧客のいなくなるからだ。 素直に仕事をする事はとても大切である。常に切磋琢磨して少しでも進歩していこうという気持ち、業務を工夫して少しでも効率的にしていこうとする姿勢、何か常に新しい事に挑戦する心が会社を成長させる。 そういう会社にしようとすればどうすれば良いか。一番簡単で当然で、また必須なことはその会社の社長自身が最も素直で利他の心で経営にあたることだと思う。社長が自分のことばかり考えているのに、社員に皆のために素直に頑張れと言ったって何の説得力も効果もない。社長が自分の利益のためだけに嫌々働いている会社は、社員も当然右に習えで自己の利益のためだけに行動する。社員は社長の鏡であって愚痴の対象ではない。「うちの社員は駄目だ」と文句を言っている社長がいるとすれば、それは自分に言っているのと同じことである。 こう考えるといつも身が引き締まる。会社は自分のものであって自分のものではない。勝手な真似は許されないし、社長だからこそ、また何でも許されてしまうからこそ、組織を活かそうとすれば自分が利他の気持ちで経営にあたらねばならない。こうやってたまに思い直しながら、毎日仕事をしています。
ニュースを見てびっくりしたのだが、ある芸能人がマラソンのカンボジア代表になったらしい。僕もマラソンをするからその脅威のタイムには驚き、尊敬すらするばかりだが、今回の「カンボジア代表」というのはどうも違和感がある。 だって標準記録を切った人が一人もいないカンボジアに与えられる一枠しかないオリンピック「特例枠」に、なんの縁のゆかりもない日本人が国籍を変更してまで入り込んで何の意義があるのか。いや個人の自由だから勝手にすれば良いけれど、一番の違和感は「自分の私欲のため無理矢理他人を押しのける行為」にある。 受け入れた側のカンボジア・オリンピック委員会専務理事は、こうコメントしているようだ。「猫さんの五輪出場を祝福する。たゆまぬ努力、厳しい練習を積んだ彼にはその資格がある。わずか2、3年で記録の大幅向上を図るのは難しいが、彼はそれをやった。五輪でまずは自己記録更新を期待したい」。 これを読むとカンボジアのオリンピック委員会は大人だなあと思うけど、この選手は「自分のために頑張りました」しかないだろう。勿論日本人が日本で競争してオリンピック代表に選ばれたのであれば「自分のため」でも全く構わないし、同じルールの下に勝ち得たプロセスは結果的に社会からも尊敬を受ける。しかし国籍を変えてカンボジアの人を押しのけ、またそれを「話しのネタ」にするくらいの目的であればやり過ぎで、自分のためなら何をしても良いのかという話しになる。 これは会社も同じ。自社の利益だけのために、社会への影響も社員への影響も何も考えずに、多少のルール違反も厭わずまっしぐらに「努力」することがあるとすればそれは余りに品がない。そしてそれは結局その会社も駄目になると思うし、社会に何も残さない。 さてあの芸能人、カンボジアに何かを残すことが出来るだろうか。
仕事をしているとついつい、「こちら側の視点」で物事を説明したりしてしまうことが多い。当社は商品を販売するのが仕事だから、この商品はこんな機能があってこんなに効果的で凄いんですみたいな話しになってしまう。 でも顧客はそんなことは興味がない。その機能で自分の生活がどう変わるのか、仕事がどう効率化されるのか、その結果より幸せになるのか、会社が儲かる様になるのか、それが知りたいのだ。 そうするとより良い説得の仕方、説明の仕方とは、顧客の興味のある点を突きながら、その解決のためにはこちら側の専門性が活かせる、お役に立てることを説明することだ。順番は逆であってはいけない。こちらの専門性を説明して、それが顧客が自分で解釈して役に立つなあと勝手に思ってくれることを期待してはいけない、それは順序が逆で、「こんな問題があるでしょう?それは実はこういう原因なんです。それを専門的に分析すると実はこういう事実があるんですが、それこそが当社の専門なんです」と持っていかねばならない。 つまり、「相手の視点に立って物事を分析し、その解決策としてこちらの専門性に引き込む」というのが正しい説得の仕方だと思うし、本当の顧客視点だと思うのだが、如何だろうか。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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