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戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年11月19日
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カテゴリ:上野と寛永寺
境内には色んな碑があるものの、それらすべてに解説が付いてる訳でもない。
こちらはちょっと葉っぱに隠れちゃって読めない部分もあるけど、
どうやら戊辰戦争で亡くなった幕府方の戦死者を弔う供養碑のようだな↓。


      上野・寛永寺・根本中堂64



大正6年とある。
このぐらいになれば、少しは大々的に法要を営むこともできたのかな? 



それから、こちら↓。


      上野・寛永寺・根本中堂65・尾形乾山墓碑



 【尾形乾山墓碑・乾山深省蹟
 
  尾形乾山は、琳派の創始者として著名な画家・尾形光琳の弟である。寛文3年
  (1663)京都で生まれた。乾山のほか、深省・逃禅・習静堂・尚古斎・霊海・
  紫翠の別号がある。画業のほかにも書・茶をよくし、特に作陶は有名で、
  正徳・享保年間(1711~1735)、輪王寺宮公寛法親王に従って江戸に下り、
  入谷に窯を開き、その作品は「入谷乾山」と呼ばれた。

  寛保3年(1743)81歳で没し、下谷坂本の善養寺に葬られた。しかし、
  月日の経過につれ、乾山の墓の存在自体も忘れ去られてしまい、光琳の画風を慕う
  酒井抱一の手によって探り当てられ、文政6年(1823)、顕彰碑である
  「乾山深省蹟」が建てられた。

  抱一は江戸琳派の中心人物で、文化12年(1815)に光琳百回忌を営み、
  『光琳百図』『尾形流略印譜』を刊行、文政2年には光琳の墓所を整備するなど
  積極的に尾形兄弟の顕彰に努めた人物である。墓碑及び「乾山深省蹟」は、
  上野駅拡張のため移転した善養寺(現・豊島区西巣鴨4-8-25)内に現存し、
  東京都旧跡に指定されている。

  当寛永寺境内の二つの碑は、昭和7年(1932)、その足跡が無くなることを
  惜しむ有志により復元建立されたものである。その経緯は、墓碑に刻まれ、
  それによると現・善養寺碑は、明治末の善養寺移転に際し、両碑共に当時鴬谷にあった
  国華倶楽部の庭へ、大正10年(1921)には公寛法親王との縁により
  寛永寺境内に、その後、西巣鴨の善養寺へと、三たび移転を重ねたとある。なお、
  入谷ロータリーの一隅に「入谷乾山窯元碑」がある。】 
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


酒井抱一(ほういつ)って、「開運!なんでも鑑定団」でよく出てくる
名前だよな・・・(それぐらいしか知らない)
百回忌まで営むって、熱狂的なファンだったんだ。 

解説文に「下谷坂本」って地名が出てきますが、
これは鶯谷駅方面の現在の根岸あたりのことで(周辺地図のリンクはこちら)、
ここにも叡山との対比が見られます。

そう、比叡山を琵琶湖側に降りた、あの近江坂本にならってるんだそうなんです。

ま、先行して言っちゃうと、天海は不忍池(しのばずのいけ)を
琵琶湖に見立てたって話なんだけど、

根岸の方に坂本の地名を付けるって
方角的におかしくね!?
付けるなら不忍側だろ!


ってプチツッコミが入りますが泣き笑い
とにかく不忍池と反対側を坂本と呼んだそうです。



お次はこちら~↓。


      上野・寛永寺・根本中堂68・慈海僧正墓



 【慈海僧正(じかいそうじょう)墓(都旧跡)

  墓石の正面中央に、聖観音菩薩の像を彫り右側には「当山学頭第四世贈大僧正慈海」
  左側に「山門西塔執行宝園院住持仙波喜多院第三世」、背面に「元禄六年癸酉
  二月十六日寂」と刻む。

  慈海僧正は、学徳をもって知られ、東叡山護国院、目黒不動、比叡山西塔宝園院、
  川越仙波喜多院を経て東叡山凌雲院に入った。東叡山は、寛永寺一山の山号で、
  一山を統轄、代表する学頭には凌雲院の住職が就任することを慣例としたという。
  
  学頭は、また門主、輪王寺宮の名代をつとめうる唯一の有資格者であり、
  学頭の名のとおり宮や一山の学問上の師でもあった。慈海版として知られる
  「法華経」「薬師経」翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻の著作がある。

  寛永元年(1624)目黒で生誕。七十歳で没した。没後、公弁法親王の奉請に
  よって大僧正の位が贈られた。
  墓は、初め凌雲院内にあったが、昭和33年東京文化会館建設のため
  寛永寺に移った。】 
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


・・・なんか、ぱっと見、墓じゃないよね(笑)。
その隣にはこれもあって↓


      上野・寛永寺・根本中堂69・慈海僧正墓


現地では、私はこちらの宝篋印塔が墓なのかと思った。
けど、解説を見ると赤いあぶちゃんを掛けてる方が墓のようだな。
それに、坊様の墓っていったら宝篋印塔よりは無縫塔の方が一般的だしな。 


さて、これは慈海さんのお墓ですが、ここでは慈海さんではなく、
解説に出てくる「学頭」について、再び『寛永寺』からご紹介したいと思います。 



一大宗教拠点・寛永寺のトップに立つのは輪王寺宮(りんのうじのみや)。

宮については別のところで書きたいので、
これまでの記事ではなるべく宮の話は出さないようにしてましたが、
解説に出てきちゃったので仕方ありません(笑)。

一山を束ねる宮は、多少語弊があるけど、現代でいえば
寛永寺内における天皇陛下。
対して学頭は、内閣総理大臣。

いやいや、宮を総理大臣にして、学頭を官房長官とする方がいいかな。
ともかく、学頭は実務レベルでのトップの人。

『寛永寺』によると、通常は大僧正に任じられ、
学頭個人のお手当(300石)も支給されたらしい。
この学頭は単独の任務ではなく、子院である凌雲院の住職と兼務だった。


「上野第一編(4)」で寛永寺創建の状況について簡単に書きましたが、
寛永寺のできる前に上野に屋敷を持っていた3人の大名、
藤堂高虎・津軽信枚(のぶひら)、堀直寄は寛永寺創建のために
徳川秀忠に土地を巻き上げられ・・・いへ、収公された。

ただ、ちゃんと替地も与えられてるし、
この3人は寛永寺の堂宇の整備にも積極的に参加した。
これら3大名の姿勢が他の大名を刺激して、
みんなも競うように子院を建立したりしたそうな。


で、ちょっとものによっては微妙に書き方が違うので
今一つわからない部分もあるんだけど、この3家はそれぞれ子院を寄進している。

藤堂家は、寒松院(かんしょういん)。
津軽家は、津梁院(しんりょういん)。
そして堀家が凌雲院(りょううんいん)。

ただ、私が思うにあらたに造って寄進したというよりは、
それぞれの菩提寺が上野の山にあったのを
そのまま寛永寺に組み込まれて温存を認められたんじゃないだろうか。

このうち、堀直寄は特に上野の山に多くの足跡を残し、
そういう功績が認められたのかどうかまではわからないけど、
ともかく凌雲院は寛永寺内で最大の子院だった。

解説の最後には、東京文化会館建設のために移転した、とあるけど、
上野駅の公園口を出てすぐの場所にどーんと凌雲院があったと思ってください。

ま、子院は移転が多かったことも前の記事で書いたけど、
根本中堂ができる前の初期の頃と思われる絵図では、
凌雲院は東京文化会館の場所ではなく、
東京都美術館の北側半分とその奥のあたりにかけて描かれてます。



で、学頭の話に戻りますが、解説に「輪王寺宮の名代をつとめうる唯一の有資格者」
とあるけど、一口に名代といっても、宮はただのお坊さんじゃなく、
とんでもなく格式の高い立場の方だった。

どう高いのかはもうちょっとお待ちいただくとして、
そういう宮の名代ともなれば、学頭の職務内容も当然レベルが高い。
なんたって、「親王の名代として将軍などとの公式会見の場に臨める
唯一の有資格者」(『寛永寺』より)なんだそうな。


 【この学頭の権威は大変なもので、万一学頭が欠けた時は、寛永寺の山内、
  山外を問わず、学識、経験を積んだ当代第一級の高僧を選んで後任に当てる
  しきたりであった。そして、その任命には宮と将軍との両者の同意が必要と
  されていたのである。】
  (『寛永寺』より)


宮はね、そりゃ自分の代わりを務める者となれば、
それこそどこへ出しても恥ずかしくない人物を選ぶ必要に迫られるのもわかるけど、
将軍の同意って・・・

ここからも、寛永寺がただの祈祷寺、菩提寺ってだけじゃなく、
徳川家と密接に関わっていたことがうかがわれる。


ただ、上の解説によると、慈海さんは没後に
大僧正を贈られたことになってるなあ・・・

でも、元禄6年(1693)が没年なら、
まだ根本中堂はできていなかった頃だし、
比較的初期にあたる時期だから、まだ寛永寺のシステムも
完全には整っていなかったのかもしれない。

あるいは、宮(公弁法親王)が大僧正の追贈を申請したことにより、
大僧正=学頭の流れが出来上がったのかもしれないよな。



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最終更新日  2014年08月09日 23時57分05秒


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