数日何の連絡も来ず、連絡もせず過ぎました。しかし、昨年の政権交代以降、民主党の動きは必ずしも納得できるものではありませんでした。平野官房長官の記者クラブ擁護や、前原・岡田・仙石各大臣の勝手な動きなど、今後の民主党政権が、必ずしも僕らの望むようなものになるかどうか、全くわかりません。というか、むしろ自民党が解体していくにしたがって、民主党もまた分解して行くに違いないと思いました。そのとき保守層には選択肢がいくつかあります。しかし政権交代を機に、日本社会の抜本的変革を望む僕らに、どういう選択肢があるでしょうか。今のところ全くといっていいほどありません。社民党を盛り上げていくといっても、古い意識の党官僚がいるのでは無理です。
だったら、自分たちで作るしかないのではないか。そしてそれができるのは、ある意味小田々豊氏のような蛮勇を奮って混乱に飛び込むような、これまでの常識を超えた人間が必要なのかもしれないと思ったのです。そうです、現代の坂本竜馬が必要なのです。僕が小田々豊氏と一緒に、香川県の選挙区で選挙を戦おうと決心した第一の理由です。
早速彼に電話をして、その旨を伝えました。そしたら香川県で支持してくれる人がいるので、事務所が決まったら行こうという話でした。僕は職場に6ヶ月の休職を申し出、出発の準備を始めました。同時に、香川県にゆかりのありそうな知り合いに事情を話し、情報を集めました。そしてITにくわしいTさんと会うことにしました。日程を押さえて、小田々豊氏に連絡すると、彼はその日は記者会見を香川県ですることにしているというのです。まぁ、そんな男です彼は(笑)何の相談もなしですよ(大笑)流石に呆れましたが、僕も今ほど彼を知っていたわけではないので、仕方ありません。
その後数日連絡が途切れたので心配になって連絡しました。記者会見はしたが、ほとんど無視され、当初支援を約束していた人も諸般の事情で予定していたようではないとのことです。当たり前といえば当たり前のことです。(笑)事務所ができるまで待機していて欲しいというのです。しかしこちらも乗りかかった船です。立候補の意思はまだあるのかと確かめ、それなら一刻も早く現地入りしなければと、テント生活を提案しました。
僕らの考えている選挙スタイルなら、電源さえあれば、運動は始められるからです。インターネット環境さえあれば仕事はいくらでもあります。こうして、21世紀の弥次喜多道中とも言うべきプロジェクトが始まりました。僕らはたくさんの荷物を抱えて、青春18切符で四国に向かいました。
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