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( 写真/ (C)黄色いしっぽ) ようこそ、ここは「1000の泉」です。 バナー製作:葵さま [全1130件]
この間、“hunter”って検索したら、モー娘の「恋愛ハンター」にヒットした。 “踊ってみた”が面白そうなので、「男11人で モーニング娘。 - 恋愛ハンター を踊ってみた」を見てみる。 面白い!! 楽しい!! かっこいい!! で、ついでに(?)本家の「恋愛ハンター」を鑑賞。 かっこいい!! 本家を鑑賞して、昔“シャ乱Q”が好きだった事を思い出した。 彼らの作る、男の子の気持ちを唄った作品がとても好きだった。 男の子バージョンの「恋愛ハンター」を見直して、男の子につんくの作った歌を唄ってもらいたいなぁって、思ったよ。 男の子が男の子の気持ちを唄うと、ストレートでリアル感が強くなってより良い。 特に今回の彼らなら、ダンスも上手だし、バンドでつんくの歌を聴くより今っぽくて好いかも。 モー娘みたいにメンバーの入れ替え制やユニット制を引き継いで、いつまでもつんくの歌を男子で聴いてみたいな。 だからぜひ、ハロプロで男子グループもデビューさせてください! スタートは、今回のメンバーからで♪今回のメンバーをもう少し見てみたいんだ☆ もちろん、女子が唄うつんくの歌も女の子の生命感が感じられて、とても好き♪ それに唄い手が女子ってコトで、つんくの世界観が拡がってるしね。 女の子が唄うつんくの歌も良いのだ☆ 結局、ハロプロが好きな人って、タレントの魅力もあるけれど、“つんく”や“シャ乱Q”が好きなのかもしれないな。 男の妄想より、理想や現実を実現するトコに手応えを感じる。 この「恋愛ハンター」、男女の身体的な性差がそれぞれに良さになって表現できるんだな。 男子のダンスは“止め”がしっかりしてて“角度”も鋭利にキマる。 ハードな歌詞は、男性性の頼もしさになるし、それらが存在感や力強さを感じさせてくるんだろう。 女子は、細かな振付(手や首を振る)が繊細さや可愛さを伝えるし、動きがしなやかで良い。 流れてしまう動きがだらしなさにならないのは、振付の妙なんだろう。 大きな振付の切り替えは“止め”ざるをえない。 それに歌詞のメッセージ性の強さやハードな曲調は、女の子の健気さを強調する。 「恋愛ハンター」の両義性は、この作品(ダンスも含めて)のクオリティの高さゆえ。 男女それぞれが演じて、この作品の良さをそれぞれの側面から愉しめるのだ。 AKBやPerfumeは、女の子っぽさが強すぎて、男の子がマネしてると、ちょっと気持ち悪さがあるから、個人的に受け付けない。 特にAKB(本体)は、女性性を弄ばれてる感じがして、可哀相になってしまう。 メンバー個人個人は、嫌いじゃないし、本人達も望んでそこにあるのだろうけど、 辛いだろうに頑張ってるでしょという上から目線のファシズム的なプロデュースが厭。 だけど、ちょっとイキがった感じのモー娘の作品は、かっこいいと思う。 そりゃ、プロとして規制も圧力もあるだろうが、個人が尊重されてる感じがする。 突っ張る、けしかける、強がる、嘆く、のような、ちょっとだけネガティブさを含意した「恋愛ハンター」は、 これからのモー娘のスタンスとして確立してくれないかな。 たぶん、つんくの魅力の本質だと思うから、わざわざこれから構築する必要もなく、 タレントの個性や魅力で変化するつんくらしさを堪能したい。 それなら、性差問わずにそれぞれの魅力や可能性を与えてもらえると思う。
「<世界史>の哲学」(大澤真幸著)を読んでいる。 まだ、“中世編”の序盤だけど、 解り易いし、興味深い。哲学の仕方を学べると思う。 ギリシャ哲学やキリスト教の深い造詣に触れる事ができた。 今後、現代に繋がる論が展開されて、現代の社会問題の解決法の糸口が示されるのかもしれない。 単に教科書として、読み手の知識を増やしてもくれるので、気楽に読める。 読んでいて、ストア派とキュニコス派って、言葉がでてきた。 ギリシャ哲学の各学派だそうだが、探究の目的は同じなんだそうだ。 その示し方の違いを知って、まるで、仏教のようだなと思った。 戒律を守る僧侶と破戒僧のイメージ。 破戒僧といっても、単に堕落した僧侶という意味じゃない。一休和尚のような僧侶のこと。 この本、モノゴトが普遍的な面と特殊的な面を持つことの両義性を言及しつつ、 さらにその源流へ踏み込んでいく。 それを読んでいると、(今では)仏教や儒教や陰陽道など、アジアにも通じ重なる思考経路が在る事にも気付く。 発生が別々でも、人間の思考パターンが、同じ様にしか働かないのか、源流が同じだから、似たような経過を辿るのかわからないけど。 この辺は考古学の方々や生物学の方々が頑張ってくれると、いずれ解明されるんだろうな。 それと、資本主義と民主主義の違いをあらためて学べた。 経済政策と政治政策という違いなんだな~。 ざっくりと両方とも政治政策に含まれているものだと思ってた。 対比したりするのなら、資本主義と社会主義、民主主義と共産主義、ってことになるのかな。 いずれにせよ、資本主義の規模が大きくなって、問題が生じると、社会主義的な規制や干渉が必要になってくるし、 それによって、問題が解決したり、規制や干渉が行き過ぎて新たな問題が生じてくれば、資本主義的な緩和が有効になってくるんだろう。 つまり、社会(世界)は、それぞれの主義の正当性を主張してテリトリーを拡大するよりも、 それぞれが重層的に交代して重なり合い、融合して地盤の規模を拡大していくんだろう。 とか思った。 宗教学的にもキリスト教に対する見方が広がった。 源泉を知るにつけ、ユダヤ教はもとより、イスラム教やバラモン教、儒教なんかも繋がりや共通点と相違も知りたいなって思う。 で。 それをどうするって事なんだけど、単に「そういう事もあるんだ」という自他の違い認める根拠を欲しいのと、関わるモノゴトを遂行していくための自分に都合がよく、将来性のある解決策のヒントを得たいのだ。 まだまだ口先三寸の屁理屈にしかならないけど、確かな方法として、有効な技として使えるようになりたいな。
面白く観させてもらってるけども♪ 清盛を観て、俄然日本史に興味が湧く☆ で。 人物とか事変とか、調べてみたりするわけだ。 ドラマ放送に伴って、清盛本とかたくさんでてたりするし。 そんなワケで、けっこう、視聴者は歴史の知識をもっちゃったりする。 ドラマ観てると、そうキタか~~とか思っちゃう事がある。 にわか仕込みの歴史を先行知識として持ってるから、 保元の乱の源平の分裂の経緯とか、そうしたのね。と☆ 源氏の分裂は、自然な流れで違和感なく受け入れられたのだけど、 あんなに崇徳上皇に入れ込んでた清盛が後白河天皇に味方するのは、無理やりな感じがした。 歴史の史実からすると、崇徳上皇の息子の重仁親王の乳父が清盛の父、忠盛だったという。 父忠盛を敬愛する清盛という設定なら、崇徳上皇に味方するのが自然な気がするが、 史実はそうではない。 思うに、“家族愛”“一族の絆”を重視しすぎたゆえに、後白河天皇の圧力ゆえ、 清盛が天皇側についたとせざるを得なかったんだろうなぁ。 ドラマの制作者側は、愛される清盛を描きたいばかりに清盛を美化しすぎたように思う。 清盛に敬愛されるべく、忠盛を立派に造形しすぎたから、ここにきて、矛盾が生じたんだろう。 血縁に疑問の残る清盛は、もっと忠盛と確執があったと思う。 後々、源氏におもねる頼盛や頼朝を助命したとされる母宗子との距離感がそれを想像させるんだ。 清盛の叔父の忠正が、清盛と分裂したのも確執ゆえと思えるし。 むしろ、忠正が、忠盛が乳父であった重仁親王を擁する崇徳上皇側についたのは、忠正の方が、忠盛の想いを大事にしているように感じる。 ドラマでは、一族の絆とか家族愛とかテーマにしてるが、史実の清盛は、 忠盛の血統を排除しようとしたように思えるんだよな。 そう設定した方が、史実との整合性があるように思える。 清盛が、絆とか家族愛に目覚めたのは、もっと晩年になってからじゃないんだろうか。 それでも、このドラマは、歴史ドキュメンタリーではないので。 清盛をモデルにした立身出世の物語として充分愉しめる。 清盛@松山さんもすごく魅力的だし。 第2部になって、清盛@松ケンの逞しさや大らかさにぐっと惹きつけられる。 表情豊かな松山さんの清盛は本当に魅力的だ。 それぞれの登場人物も役者の力、役者の魅力が遠慮なく発揮されて、見ごたえがある。 それぞれのスピンオフがすごく観たい♪ この物語の進行上は、主人公以外の方が、キャラが立ってて、面白いくらい・・・・ 清盛が一番脚本の犠牲になってるかもなぁ。 “良い清盛”の設定に縛られちゃっのかもしれにゃい・・・
時代背景も社会システムもそもそも主題も違うこの二つの作品を続けて観た。 一点だけ共通項。 “親の気持ち” 主人公は、我が子に対する愛情から行動しているが、選択される手段が違う。 けれど、どちらにも親というものの切なさを感じた。 まずは「海洋天堂」 あの!ジェット・リーが弱々しい父親になっている! おどおどと周りに気を遣い、時には自閉症の息子に苛立ちをぶつけてしまうけれど、 優しく気丈な父親の姿に涙が出た。 障害児を抱えた父親の周囲の人々は、父親を理解し、その息子とともに存在を受け入れる。 父親は、病を抱え先が長くない。 息子を案じ、自分亡き後の事のために奔走するのだが・・ 映画という虚構であるゆえの理想的な状況が美しく描かれてはいるが、 整わない社会環境や、障害者を迷惑な存在として扱う大衆の世間の冷たさも知る事ができる。 父親の周囲の人間の優しさが、丁寧に描かれているだけにその冷たさが際立ち、 観る者に不安を感じさせた。どこの社会でもある現実の不安が重なる。 障害者を受け入れる心構えは、決して仰々しいものではないのだと、教えてもいる。 そんな人間の善きところを描く作品が発信されるという事は、 確実にその社会の大衆が、善きところを知っているという事実でもある。 色々とくだらないニュースばかりを取り上げられる中国だけれど、 こんな思いを抱く人々がいる、という事実もある。 エンディングに流れるジェイの「説了再見」を聴いて号泣。 作品全体の音楽を久石譲さんが手がけている。 ヒューマンドラマの偽善的な芝居のない、淡々とした作品である。 インパクトのある事件も起こらない。 でも、ジェット・リーが出演しているという好奇心だけで観てもいいと思う。 些細な事が大事で、泣かせられてしまった。 さて、「一命」 瑛太さんが素晴らしかった。 役所さんの年を重ねた風合いも社会と人生の厳しさを伝えてくれた。 海老蔵はただ美しい。映画という点で、他の役者さんと比べると見劣りはするけれど、 姿の美しさ、武士のプライドと主張する頑固さは雰囲気だけで体現する。 武士の愚かさが、歌舞伎独特のクセのある芝居で皮肉にも伝わってくる。 社会的弱者の運命という点で、“海洋天堂”と重ねて観てしまったが、 日本の褒められない日本らしさを十分に描きだしたと思う。 けれど、体裁を保つ事で培われてきた風土もあるのだと、一概に武士の愚かさを否定できない作りになってる。 さてさて、体裁を保つことが、これまでの時代、かえって企業を腐らせてきたかもしれない。 今は、なりふり構わずという流れを社会に感じているけども。
このところ、報道される交通事故に思う。 ドライバーのミス、管理会社の無責任さ、消費者の安易さと事故に繋がったかもしれない原因も遠因も多々あるが、 ドライバーのミスや管理会社の無責任さに関して、思う事がある。 「仕事」に対する姿勢ということだ。 彼らの仕事の目的は、乗客を安全に運ぶこと。 仕事をする目的は、稼ぐ為であろうとも、仕事そのものの目的をはっきりと常に自覚しておかなくてはならないのだ。 仕事の為に体調を整え、下準備に時間をかけなければならない。 準備は、無駄になることも多いが、仕事の為のコストとして視野にいれておく必要があるんだろう。 合理化やコスト削減の危うさは、仕事そのものを台無しにしてしまう事にあるのだな。 会社や管理者であるなら、適正な仕事ができるよう、労働者の生活環境への配慮が必要だろう。充分な休息をとれるような仕事以外の用事を済ませられるような時間の猶予を与えるべきだし、仕事に応じたスキルを獲得できる機会を設ける必要もあるだろう。 それは、大きなコストであり、事業者の規模によっては、不十分なこともあるかもしれない。 それらに割く時間や費用や手間を考えると、労働者が生活していける給料を払えない事にもなりかねない。 消費者は、それらを含んだ代金を支払うべきなのだな。 個人レベルで仕事への取り組み方を考えると、 仕事の為に体調を整え、下調べや準備をする事は、大きな負担であると思う。 仕事は生活の一部であり、人生の活計であるゆえに、 個人の仕事(体調管理や準備も含めて)に対する時間配分が難しい。 人間であるなら、息抜きや気分転換、いや、楽しみの為に生きる事が必要であると思うが、 個人の生き方の焦点が、そこに合ってしまうと仕事に対する姿勢がおざなりになってしまう。 それこそが、ヒューマンエラーを引き起こす原因であると思う。 ましてや、現代の社会環境は、情報が多く娯楽への誘惑や依存への誘導が強烈である。 ネットは、人間としての生態を壊し易い。 いつでもどこでも(しかも端末されあれば手軽に!)使える利便さが、 本来なら睡眠をとったり、準備を整えたり、見通しや精神的な安定に必要な思慮する時間を蝕んでしまう。 会社や法といった社会的システムをいくら整えても、使う人間がそれに沿えるゆとり(物理的にも精神的にも)がなければ、機能しない。 また、ネットがなくても、仕事だけに焦点を合わせられない生活環境もある。 家族の事(子育てや介護)、地域への貢献、自己投資と一人の人間にとって、仕事と同じ様に心を向けて取り組まなければならない重要な事は手に余る。 それぞれの事柄ことごとくに、人間関係が存在し、コミュニケーション能力が求められるのだ。 個人を疲弊させ、ヒューマンエラーを引き起こすには十分すぎる社会である。 けれど、それらの負担のそこここに、人間としての歓びや幸いがある。 それこそ、仕事や負担を背負う事へのモチベーションであるのだろう。 すべてにおいて体調管理を万全にしておく事は不可能でも、何が必要になるか見通しを立て、準備をしておく事は、できない事ではない。 その上で、様々な事柄を調整していくことができるのだ。 準備のためにとても有意義な事は、後始末だという事を、生活のコツとして付記しておく。
仕事の目的を達成するために努力すること。 (期日を守る、準備や下調べをあらかじめしておく、体調を整える、周辺への影響を考える、 なども含む) 作業の後片付けを行う義務を伴う。 なんでこんな事を記録するのかっていうとお。 子供の質問に答えるためだったりする。 「責任」ってなあに?って無邪気な質問(中3・・とほほ)に やさしぃぃぃぃぃく教えてあげたいから♪
悲惨な交通事故が起き、個人情報の漏洩が世間の関心を集めている。 憤る遺族の様子が報道され、大変にお気の毒と思うが、そればかり報道されると 大衆のご遺族の方々に対する感情が摩耗する危うさを感じ、報道する側の配慮を望みたい。 事件とは別に、加害者側に被害者側の個人情報が知らされるという点について考えた事。 今回の事例は、加害者の関係者の謝罪したいからという事ではあったようだが、 感情論的に言えば、 被害者側が、加害者側に怒りをぶつけたいからと同じ様に個人情報の公提供を求めても よい、という事になってしまう。そうしなければ、個人情報の提供という行為は矛盾してしまう。 それぞれの想いを伝えたいという理由から、個人情報の提供を求めるという点で、 立場の違いはあるにせよ、同じ行為である。 けれど、 これまでずっと、被害者側のそういった気持ちは封じられてきている。 報道という建前で、それぞれの感情が世間に知らされているが、当事者にとっては、 事態の解決にはならない。 むしろ進展しない事によるストレスは、事態をより悪化させる。 そうならないよう、相手側の了承を伺うという手続きは、大事な事なんだと改めて知る。 そして そういった事を抜きにしても 個人情報が加害者側に伝わるというのは、とても危険な事だと思う。 もし、加害者側が、逆恨みをするような人間であったなら、 被害者側が報復を受けるような事があるかもしれない。 いや、たとえ真摯な気持ちを加害者側が持っていたとしても、 世間の目の圧力から、そんな気持ちが変わらないとも限らない。 加害者側の贖罪の気持ちからの様子は、気の毒に思うかもしれない。 けれど、間に入った第三者は感情に流されてはいけないのだ。 第三者は、行為の矛盾と考えうる危険性を忘れずに事件に関わらなければならないのだと、 個人情報の漏洩という事件から思う。
今年も大河ドラマを観ている。 あんまり視聴率はよくないらしいけど、これからぐっと面白くなると思う。 ところどころツッコミたくなる個所はあるけれど、 充分にセットも衣装も考えられていて見ごたえはある。季節を考えないいつでも透ける衣装(烏帽子も含めて)というのは不満なんだけど・・ なにより、俳優陣が素晴らしい。 男女問わず、キャラクターがしっかりしていて、誰が主人公でも面白いドラマができそうな濃密さである。 それが弱点にもなっていると思うんだけどね。 うん。 これまでの放送は、「清盛」が主役っぽくない。 カリスマ性は父の忠盛が数段上だし、力強さは源義朝のほうがあるし、悪人でもいいと思うほどに、藤原頼長は魅力的だし、西行の方が男前だし、 弟の家盛の方が感情豊かで健気だし、忠正の一直線さはわかり易いし、家臣たちもきちんと個性が伝わってくるし、 朝廷のドロドロは動悸がするほど面白いし、ね☆ だから、主役だれ?って感じは、松山さんの力不足だからではない。 舞台となる時代が波乱万丈だからなのだ。 大きな事件、入り乱れる人間関係は、清盛個人に焦点をあてる前に説明するにはドラマチックすぎるんだろう。 それぞれの事柄がドラマチックすぎて、ドラマとして語っていても消化不良になってしまうのは残念だけどね。 でもここでやっと、「清盛」が主役になれるお膳立てが整ったと思う。 藤原頼長や源氏との対立、朝廷を押しのけていくパワーや策略がすごく楽しみだ。 合間に見せてもらえる雅な“舞い”や“歌”、公家たちや女御たちの化粧や装い、見慣れない時代を想像させる小道具や屋敷の内など、視聴者の気持ちを上手に切り替えてくれるし。 大河ドラマという枠でも収まりきらない、古代の日本は面白いと思う。 にしても山本耕史さん演じる「藤原頼長」は萌えるなぁぁぁ 思い込みになりやすい自信が、美しさに力強さを加えているみたい。 山本さんご自身がナルシストなんだろうけど、すごく惹き込まれる。 こういう役者として良い意味での勘違い的なナルシシズムがある役者って、本当に魅力的だよなぁ♪ 周杰倫(ジェイ・チョウ)もそれと同じモノを持ってる。 春になんだかトラブルが多かったみたいだけど、たぶん、こんな時の方が、いい曲を造りそうなので。 今年のアルバムは期待できる♪ |一覧| |