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唐突ですが、林永君という少年について書きたいとおもいます。
この子の記事は日本ではすでに、HEAVENというサイトで紹介されています。 「貧乏人にはあまりに高い医療費―火傷の跡が潰爛し、脳液が流出している少年」という記事です。 http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-4030.html ただ、その翻訳元である、「網易」の記事は実は本当の「元ネタ」ではありません。 「網易」には単に元の掲示板情報が「転載」されてあるだけです。 その時、彼はすでに絶命していたので、あのような写真を掲載したところで、半ば「興味本位」のように見えてしまいます。 もともとは現代中国の医療体制を批判する記事でもありません。 あの写真が掲載された背景には、ひたすらに実用的な目的があったのです。 ここに、ことの経緯をもう少し詳しく説明したいと思います。 (私の中国語能力では読み解けないところが多々あるので、できる範囲で。) 主人公は、中華人民共和国貴州尊義市ビ潭県高台鎮陽庄村に住んでいた13歳(生年月日は1995年1月1日ということなので、もしくは14歳)の男の子です ことの発端は、ビ潭県貧困対策本部の役人がこの子を「発見」したことにあります。 その役人がハンドルネーム「千鶴州」なる人物に、この子の記事をネット上に公開して寄付を集めてくれ、と依頼したようなのです。 「千鶴州」氏とはおそらくは、ネット上の「市民記者」か「地域記者」みたいな人物らしいです。 掲示板自体もビ潭県の「地方サイト」です。 ネット上の地域新聞みたいなものです。 (正直、こんな閲覧者の少ない掲示板ではなく、もっと大きなところ、さらには英訳、和訳して日本の掲示板に張りつけたらよかったのに…と思わずにはいられませんが) とにかく「千鶴州」氏は掲示板に林永君についてのトピックを立て、ビ潭県貧困対策本部の副主任が書いた文章を掲載します。 それがこれです。 (5月12日、トピックごと削除されてしまいましたので、キャッシュです。書き込み自体は転載されたこちらとほとんど同じものです) http://bbs.yaolan.com/thread_51201002.aspx 言わんとしていることはこうみたいです。 【見るに堪えない状態の留守番少年を救おう!】 (写真のキャプション) 「小さな林永君はもう9年も死神と戦ってきました」 「いつもはおばあさんが包帯で糜爛した脳の部分を包んでくれています」 「指がただれ落ちている手ではあっても、少年は病院でもちゃんと宿題をやっています」 「一本しか指がなくなってしまった手で『ありがとう・ありがとう』と書いてくれました。この言葉はお見舞いにきてれた優しい人々に彼がいつも言っていることです」 高台鎮は貴州省ビ潭県の中でも貧しい鎮(※県の下にある行政区域http://www.agri.com.cn/town/520328106000.htm)です。その貧しい鎮のなかでも更に貧しい陽庄村。林永少年はこの村に住む13歳の「留守番児童」です。(両親が出稼ぎに行っているので留守番をしている子供のこと)陽庄小学校の4年生です。 1999年9月9日、林永君の家に火災がおこりました。聡明でかわいらしかった小さい林永君はひどい火傷を負い、家は全焼してしまいました。 被災した時、政府の支援とと親戚や友人そして多くの市民の善意により、林永君は2年間、13万元の費用をかけて治療を施され、尊義医学院(http://www.zmc.gz.cn/)に入院し命だけはとりとめました。 しかし貧困ゆえに資金が尽き、頭部の火傷が完治しないままに退院を余儀なくされます。両親は林永君の火傷を民間療法で治そうとしましたが一向によくならず、腐り始めてしまいます。誰からも愛された顔面も崩れ、きちんと揃っていた手の指8本も爛れ落ちました。 しかしながら林永君はつとめて明るく振る舞い、学校に行き勉強し成績も良好です。これまでの都合6年間の学校生活のなかで、2度休学しています。在宅療養期間中も同級生たちに勉強を教えてもらい、復学したときにはちゃんと授業についていくことができました。 頭部の潰爛は次第にひろがっていきましたが、彼自身は落ち着いており、学校でもいい子で模範生でした。少年は「僕は先生や同級生に何度も助けてもらいました。感謝の気持ちを忘れてはならないと思います」と語っていました。 辛い体に鞭打って勉強に励むだけではありません。少年は、放課後、山に柴刈りに出、祖母の牛を放牧させ、両親が少しでもはやく友人たちから借りた善意の治療費を返済できるよう手伝います。両親は家を出、広東や天津で懸命に働いていますが、いまなお6万元の借金が残っているといいます。 しかし、林永君の頭の傷は年を経るごとにひどくなりました。今では頭頂と額の部分はすべて潰爛し、耐えがたく悲惨な状態です。それなのに、私が林永君と会ったとき、この子は依然として祖母のかわりに牛を放牧していたのです。私はあまりのことに、しばらく口も利けないほどのショックを受けました。両親が稼ぎに出ている間、独りで家を守っている少年にとって、どれほど辛い経験だったことでしょう。 あまりにも心が痛み、貧困対策本部の責任で、林永君をビ潭県人民医院(高山鎮から直線距離で約10kmのところにある小さな病院。250床)に入院させることにしました。 林少年の祖母は「ここ何年か、林永を治すためにあちこちから借金して、もう親しい人にも顔向けができません。わたくしどもはご飯も満足に食べれない状態なんです。子供の病気を治すお金など、どこにありますか?」と語ります。 学校の教師の証言。「私たちが住む村は辺鄙で交通手段もなく、情報からも遮断されています。学校としても何度か彼に支援金を送ったりもしたのですが、焼け石に水でした。頭の傷が日ごとに悪化するのを傍観するしかありませんでした。悪化すればするほど、いたたまれない気持ちなのですが…」 診察した医師は「この子の病気を治すには、華西医科大学に入院させたほうがいい。費用は20万-30万元かかる。治療期間は2-3年だろう。地方医療支援費から得られるのは4万元しかないから、この金額には程遠い」と言っています。 林永君はビ潭県の貧困者支援対象ではあるものの、財源には限界があり、治療に必要な巨額の医療費を捻出できません。そのため私はネットの皆さんの支援を求めようと思ったのです。たとえ一元でもいいので、彼に救いの手を差し伸べていただけないでしょうか? 寄付先:ビ潭県政局財政扶貧項目資金管理 口座番号:2241010001201100013492 收款銀行:貴州省ビ潭県農村信用合作銀行 電話番号:0852-4254880 FAX:0852-4253797 責任者:李金志 貴州省ビ潭県貧困救済課主任 執筆者:盛朝梁 貴州省ビ潭県貧困救済課副主任 携帯番号:13984217917 トピックを立てた日付は2009年1月10日、目的は「募金」です。 つまり、この時点では林永君はまだ生きています。 よくある「○×ちゃんを救え!」というようなものなのですが、やはり見る人を圧倒するのがこの衝撃的な写真です。 正直に言えば、内容というより、やはりこの写真によって林永君は私のなかで「聖別」されることなりました。 下に転載した、この写真についているキャプションは、こうです。 「一本しか指がなくなってしまった手で『ありがとう・ありがとう』と書いてくれました。この言葉はお見舞いにきてれた優しい人々に彼がいつも言っていることです」 しかし、良く見ると、青いコートを着た誰かが、後ろから背中を支えてあげているのが分かります。もうおそらく自力で直角に座り、手をあげたりするのは、難しい状態なのでしょう。 自宅で最初の写真が撮られたときには支えがなかったことを考えると、入院以降悪化していることがわかります。 もっと慄然とさせられるのが、枕の上の染みです。 なにかの液体で濡れています。 頭の包帯の汚れから察するに、これは…。 この地方病院での治療のレベルが察せられます。 だからこそ、「華西医科大学に移送しなければ助からない」と、募金活動を始めたわけです。 「千鶴州」氏は以後、リアルタイムで病院での少年の様子をネット上の読者に報告します。 (翌日の日記に続きます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.19 23:26:14
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