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カテゴリ:国家と文明(市場原理主義と社会主義)
さて、前記事(合わせて3回)で、『国家と文明』-歴史の全体化理論序説-(竹内芳郎著)の問題意識、再検討の対象となったマルクス主義の「史的唯物論」についてまとめてきました。 前置きが長くなりましたが、本論(『国家と文明』の紹介)にはいっていきたいと思います。 1、土台・上部構造論について 土台とは何か? 社会全体を規定する生産様式(=経済の仕組み) 上部構造とは? 社会的、政治的、精神的生活の全体(「生産」「経済」以外の領域) 具体的には「社会・政治制度や文化、人々が共有する価値観など」
Q 土台・上部構造論とは? 生産様式(経済の構造)こそが土台となって、それが上部構造である社会的・政治的・精神的生活の全体を規定(決定)する、という仮説 Q なぜ生産様式が重要なのか? A マルクスの回答 「人間たちは〈歴史を作る〉ことができるためにはまず生きることができねばならない(・・・)したがって、最初の歴史的行為とは、こうした欲求(食うこと・住むこと・着ることなど)を充足させるための諸手段を産出すること、物質的生活そのものの生産である」⇒どんな社会でも生活するために必要な物資の「生産と分配」といった経済的要因が社会を根本的に規定する。 Q 土台・上部構造論の問題点は? 経済的な生産様式とそれ以外の人間的諸営為とを截然と分け、「土台(経済的な要因)が上部構造(他の要因)を決定する」という仮説にはかなり無理がある。 Q それはなぜか? 人間においては生産と分配(経済)の根底にある物質的生活や物質的欲望そのものがその社会における文化によって全面的に規定されているからである。 例1) 衣類の生産は生きていくために不可欠な「物質的生活そのものの生産である」と同時に、その民族の宗教や慣習、美的なものを求めるファッション(すべて広義の文化)と不可分である 例2) 熱帯アフリカに現在も残っている部族共同体の場合も、生産様式(経済的要因)とその他の要因は切り離すことができない(未分化である)。 仮に、この未分化の状態から経済の近代的な概念に当てはまるものだけを抽出し、それと「その他のもの」との関係を調べてみても、現実には同一の土台(経済)の上に異なった上部構造を見出す例は多い。例えば熱帯アフリカの土着民の経済生活はほとんど同じであるが、婚姻関係の慣習等がしばしば異なっている。 Q 理論再構築の道は? ・「生産様式」を科学的抽象によって(社会全体から経済的要因のみを抽象することによって)成立するもの、としてはっきりと位置づける⇒「生産様式」と「社会構成体」(その時代の社会の総体)とを理論的に峻別する。 ・生産様式・・・人間の社会から物質的生産に関わるものだけを抽象して成立する単層的カテゴリー(経済構造) (例)農奴制生産様式、資本制生産様式 ・社会構成体・・・経済生活だけでなく様々な社会諸制度、文化、人々が共有する価値観などを重層的に含みこんだ「社会の総体」 (例)中世封建社会、近代市民社会 Q 生産様式は社会の他の要因を規定・決定するのか? 生産様式は他の要因(例えば社会制度)を因果的に決定しないとはいっても、かなりの程度規定する重要なポイントだといえる。 (現代の例 : 国会で制定された「労働者派遣法」は「市場原理主義的な資本制生産様式」によって、強く規定されている。) Q なぜ経済的要因が他の要因を規定する重要なポイントなのか? 人間が生存していくためには食料・衣料などの物資が必要であるという事実、生きていくためには何らかの形で労働(生産)せざるを得ないという事実は、いかなる社会においても当てはまる。 したがって、経済的要因(生産様式)が一定の重要性を持って人間の社会生活を規定する。 〔コメント〕 いかがでしたでしょうか。 「土台-上部構造論」に対する上記の修正は非常にまっとうでわかりやすいと私は考えました。竹内芳郎はこのような「土台-上部構造論批判」を出発点に、「史的唯物論の再構成」の作業を進めていくのですが、このような作業によって世界史のより多くの事象がうまく説明されていくのです。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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