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shchan_3

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2010.05.22
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 さて、これまで長々と紹介してきた『国家と文明』が具体的な実践(よりよい社会の形成)にどのような示唆を与えてくれるのか、補足しながらまとめていきたいと思います。 

 このシリーズの第1・2回目に私は、「“市場原理主義”が貧困や環境問題などさまざまな矛盾を生み出すことが明らかになってきた現在人類の未来を切り開いていく上でマルクス主義・社会主義思想は貴重な示唆をもたらしてくれる」として、「適切に理解・構成されたマルクス主義」について次のようにまとめました。

1、社会主義理論や実践の目的は「人間の全面的な解放」である。

2、これを実現するためには、「解放」や「自由」・「平等」(あるいは民主主義)といった理念を提示するだけでなく、経済的な条件を変革していくことが不可欠である。
主客転倒の原理人間を利潤追求の手段にしてしまう資本主義経済の原理を貫徹させたままでは人間の全面的な解放は不可能である)

3、この変革の客観的な条件や展望は、現実に動きつつある社会や歴史を深く解明することによって見出すことが出来る。(そのための理論が史的唯物論)

 さて、上記1・2についてですが、特に「社会主義の立場」をとらない人々にとっても「人間が解放された民主的な社会(自由権と社会権が理想的に実現された社会)が望ましい」ということについては広範な合意が成り立つと考えています。
 そして、そのような社会に近づいていくためには経済的な条件を整備すること主客転倒の原理人間を利潤追求の手段にしてしまう資本主義経済の原理をそのままにするのではなく、少なくとも何らかの歯止めをかけていくこと例えば現行「労働者派遣法」の改正等)〕が必要だということについてもについてもかなりの合意が得られるのではないでしょうか。

 そして、このような歯止めが有効に機能しているかに見える北欧社会の「国づくり」についてもブログ記事で触れてきました。私は(さまざまな問題が存在するにしても)北欧社会の歩み・方向性は望ましいものだ、と考えています。

 しかしながら、北欧社会は「一つのモデル」であるにしても、私たちが生活している「この社会」をよりよいものにしていくためには「客観的な条件」を考えていく必要があるでしょう

 そもそも、北欧と日本の客観的な条件の違いは何でしょうか。また、日本における「社会変革の客観的可能性」についてはどのように考えるべきでしょうか『国家と文明』の理論的成果を踏まえ、この点について考察しておきたいと思います。これは「適切に理解・構成されたマルクス主義」の3(上記)に関連します。

 竹内芳郎は、「史的唯物論の再構成」の作業を通して、人類史において「周辺革命の傾向的法則性」(例えば、「成熟した資本主義社会」よりも、その影響を受けた周辺の地域で「新しい社会」が形成されていくという傾向)が働いていることを見出しました。

 これを踏まえれば、ロシアや中国、キューバ、ベトナム等だけでなく、北欧における「資本主義の矛盾を克服する社会づくり」についても理解しやすい、と私は述べましたが、そもそも典型的な社会の移行・変革が、ほとんど常に「周辺革命」だったのはなぜでしょうか? 竹内芳郎は次のように答えます。

 ある社会が成熟しきった時には、その中にあって社会を変革すべき任を担った階級自体もその社会の成熟した「文化」に埋没してしまうことが多いため。(むしろ成熟した社会の「周辺でその影響を受けた地域」が比較的容易に次の社会への移行を果たす。)

 上記の「文化」については大ざっぱに「社会・政治制度や人々が共有する価値観」ととらえておきましょう。そうすると、「資本主義経済」を基盤とする成熟した市民社会がその変革を容易に許さない「価値観」とは何でしょうか

 「自己責任論」がそれにあたると私は考えています。 

 『週刊東洋経済』 2010年4月24日特大号にも次のような文章がありました。

 貧困問題解決に向けて「富裕層から低所得層に所得を再分配する方法」、これにはいつの時代でも困難が伴った。市民社会のルールである「生活自己責任原則」に基づく個人主義のモラルが「貧困は怠惰、浪費などの個人の能力や性格に原因がある」との見方からの脱却を容易に許さないからだ

(「反貧困ネットワーク」の事務局長で、「セーフティーネットの張りなおし」に取り組んでいる湯浅誠も数年前「“自己責任論”という名の強烈な向かい風が吹いている」という文章を書いていました。)

 例えば日本や米国においては、この「自己責任論」が改革の大きなネックになっているように思われるのです。これは、克服できるのでしょうか。

 克服に向けての客観的な条件は整いつつある(克服に向かいつつある)と私は考えています。

                                                                                 『国家と文明』 (まとめ2)へ


 『国家と文明』の復刊要請はこちら ですので、よろしくお願いいたします。

 また、現在、著者の竹内芳郎が主宰して始めた「討論塾」の概略はこちらです

 可能な方は、ぜひご参加ください。 


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