本記事は「貧困」問題に切り込む教育実践 1 の続きです。
(内容は「高生研全国大会紀要」からの抜粋)
「貧困」をテーマとする文化祭に向けて「弁護士を招いての学習」を含む事前学習に取り組んできたこのクラス、「プチ団交」も経験しながら、いよいよ展示の準備の本格的な準備を始めます。
(展示の内容)
・「貧困」をテーマとする「模造紙を中心とする展示」に加えて、 「ホームレス中学生」をもとに、「平和高校」という架空の学校を舞台に設定し、生徒の「貧困体験」をおりこみながら「ホームレス高校生」というスライドを作成。
最終盤のトラブル
中学2年の時、サラ金に襲われたという経験を持つキクエは、学習を積み重ねる中で「貧困は自己責任じゃない」と学び取り、自らの体験を語るのに何の躊躇もなかったが、借金返済にむけ、仕事を三つかけもちしながら生活保護も受けている母親から「そんな醜態をさらしてほしくない」とストップがかかった。
キクエはそんな母に学習したことを教え、「私がサラ金に襲われたのはお母さんやお父さんのせいじゃない。悪いのはサラ金を野放しにしている政府や!」と力説。結局母親の同意は得られなかったが、彼女は世の中に「自己責任論」が蔓延していて、自身の母もそこに陥っていることを学んでいく。
(・・・)
ようやく迎えた文化祭当日、教室は大勢の観客でにぎわい、中には涙する生徒、保護者もいた。そこにキクエの母親もいた。中学時代いじめられ、つねに保健室に逃げていたキクエ。高校に入学した当初も深刻な低学力で会話が通じず大変だった。(・・・しかし)きっと母親とともに自己責任論を乗り越えていくだろう。
「反貧困」と中央に書かれた大きな白布には次々にサインやメッセージが書き込まれていく。生徒たちはかなり気をよくし、自分たちの展示が誇らしげだった。
「3年間で一番いい文化祭やった」(エミコ)、「ずっと貧乏なのは自分が悪いと思ったけど、政府が大企業のいうことばかり聞いて国民のための政治をしてないから貧困が増えていると分かったとき、本当にうれしかった。このまま知らなかったら自分を責め続けてつらいままだったけど、希望が持ててよかった。文化祭で学んだことは一生の宝物やな」(ミチコ)
ユウキは文化祭の後、「今年の文化祭も、これから生きていくために本当に大切なことを学んだなって思った。会社の利益が優先され、労働者の人間としての権利が奪われている。こんな社会で生きていくためには、やっぱり労働基準法を知り、どうすれば権利が勝ち取れるのかを知ってたたかうことが大切だと思った。自分たちが悪いんじゃないから堂々と主張していいんやて思った。
いじめが原因で、中2からまったく学校に行かなくなったサオリ。高校に入っても2年間はほとんど何も語ってこなかった。中学時代の自分を「ボロボロに荒んでいた」と表現し、「T高校に来たことであの時の自分を忘れることができる」と述べている。(・・・)
「貧困」「いじめ」「不登校」・・・生徒たちの生きづらさに触れるたびに私は、差別・選別の教育行政、格差を拡大させる新自由主義的構造改革に怒りを感じてきた。
(・・・)
私の教育の理想は「私たちの発達を妨げるこの社会に疑問を持って、変革する主体に成長してほしい」ということである。
はたして文化祭、ひいては3年間の指導でその理想をどこまで実現できただろうかと自問すると悔やまれる点もたくさんある。しかし、 「貧困は自己責任じゃない」という認識から親を責める気持ちがなくなったことや、「この社会はおかしい。団結すれば変えられるかもしれない」という希望を生徒たちの中に作り出せたことは、かけがえのないものではないかと思うのである。(・・・)
確かにこの過酷な社会の中で私たちが大切に育てたものも簡単にひねりつぶされてしまうかもしれない。しかし、ここで知った人間への信頼、人のあたたかさが、生きる勇気につながると信じたい。
〔コメント〕
NHKスペシャル「ワーキングプア」で、岩井さん(仮名)は「(自分なんか)生まれてこなかったらよかった」と述べていました。上記の実践記録の中にも出てきますが、「自己責任論」は、「自分はダメな人間だ」という「自分自身からの排除」を生み出し、伝染させていきます。
自分自身への誇り、さらには社会や他者とのつながりまで失っていくというのが「貧困問題」の深刻な意味でした。しかし、上記の実践の中に、そのような現状を切り開いていくために一歩を踏み出していくという「力強さ」を感じるのはおそらく私だけではないと思います。
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