東日本大震災を考える授業(1)の続きです
竹内常一(教育学者)は、「本来の学びとは(単に知識を身につけることではなく)モノ、コト、ヒトと相互交渉をしつつ世界を構成し、それに関与・参加していく」ことだと述べていますが、私もその点に異論はありません。
しかし、そこにおいては当然、学習者自身の「意思」が決定的な意味を持つわけです。そのような意思=「当事者として世界に向かう姿勢」というのは、いかにして形成されるのでしょうか。
(この問いは、前記事の最後の問いに重なると考えています。)
一般論としていえば、「深い創造的な学び」が、学習者自身の「世界に向かう姿勢」(=さまざまな問題を当事者として受け止めつつ考え、解決へと一歩踏み出していく「市民としての姿勢」)を形成していく、ということになるでしょう。そして、しっかり考える材料(教材・学習材)と出会い、いろいろな角度から仲間と一緒に考えていくことが、創造的で深い学びにつながると考えられます。
札埜実践の場合、この「教材」というのは「文学作品をも含む言葉」です。この点について札埜氏は「文学や語りといった個人の言葉を媒介に学び考えた…」という表現でサラリと述べています。しかしながら、そこには以下のような「具体的経験そのものとの出会い」が決定的だったと考えられるのです。
1)「永訣の朝」、「後生の桜」といった作品との出会い(古文では「大地震(おはなゐ)」や谷口慶祐さんとの出会い)
優れた文学作品は日常言語の中では語りきれない「体験そのもの」を見事に表現し、読むものの心を打ちます。上記の文学作品への共感・感動は、生徒たちが東北や水俣の現実を「当事者」の立場に身をおいて受けとめていく大切な契機になったと考えられるのです。
2)宮沢賢治との出会い
詩人宮沢賢治は、科学と宗教と芸術の力で、冷害・凶作の多かった東北地方の農民を、少しでも幸せにしようと考え、そのことに一生を捧げたと言われます。その生き方に触れ、 「賢治が考えた『われわれに必要な科学』とは何か」という出題に向かうことは、「人々の具体的経験にとって必要な科学」のありようを考える契機になったのではないでしょうか。
3)「小笹めぐみさん」、との出合い
自分の弱さと向き合いつつ「水俣病の理不尽な現実」と闘ってきた小笹さんの体験に触れることで、「権力の使い方を間違えてはならない」という言葉を高校生は「当事者の立場に共感しつつ」受け止めています。
4)「研修旅行先の地域の人たち」との出会い
研修旅行を通じて「地域で生きている」人々と出会いその生活から学ぶことで、「住んでいるところに根ざして(科学的探究の成果を)提供したり与えられたり」を大切にする思想に到達しています。
以上、さまざまな出会いの意味、生徒がそれまでの「日常体験」を超えて様々な事柄について真剣に受けとめ考えていく契機となった出会いについて挙げてきました。上記の出会いに加えて、実践者札埜氏との出会いが生徒にとって決定的な意味を持っていたことは言うまでもありません。
「国語としてできること」は、「震災の現実に向き合う実践」・「国語で『東北』を意識する実践」の模索を通して、授業者なりの目標(例えば「科学のあるべき姿について深く考察し、学びを思想化する」という目標)を新たに設定・達成していった実践といえるのではないでしょうか。
ここで、生徒の感想を中心に「思想化された学び」と思われるものをあえてまとめるとすれば、 「科学のあるべき姿は本来人々の具体的生活・経験を充実させ豊かにするものであるはず」、 「(そのために)文系と理系の枠を越えること(自然科学と社会科学を統一すること)も必要」、 「権力の使い方を間違わず公的機関のあるべき姿を追求することが大切」、 「国民自身が自らのあるべき姿を問い、意思表示の権利をきちんと行使するべきだ」、といったことになるのではないでしょうか。
文字どおり「現実を批判的に意識化し、自らの立場や実践を問う」学び、「どう生きて」「どう社会に関わって」「どう人々に還元するか」(札埜氏)を真剣に考えていく学びになっていると言えるでしょう。
東日本大震災を考える授業(3)に続く
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