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憂国愚痴φ(..)メモ by 昔仕事中毒今閑おやぢ in DALIAN
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憂国愚痴φ(..)メモ by 昔仕事中毒今閑おやぢ in DALIAN

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Jan 17, 2006 楽天プロフィール Add to Google XML

松井石根らって、片思い?w
[ カテゴリ未分類 ]    

        闘う保守~憂国読書録~

…また、昨日深夜訃報が届きました。田中伸茂様からです。


岳父田中正明94歳 1月8日20時36分 肺炎により永眠しました。…

信念を持て 正しい歴史観を持ちなさいが口癖でした。
父の遺志を継いでくれる若い青年達が沢山いるのでこの上ない喜びであります。…




解説 ラダ・ビノード・パール博士と田中正明氏
                 水間政憲(メディア評論家)

 田中正明氏は、普通選挙運動の発祥の地、長野県伊耶谷にて、明治44年2月に生まれた。…

《松井石根大将との出会いと中国》

 パール博士と田中正明氏を語る時、東京裁判でA級戦犯として処刑された松井石根大将との関係なくして、理解することができない。

 田中正明氏は、大アジア協会に昭和8年から昭和17年まで在籍。そして、昭和11年に松井石根会長が南京攻略戦の中支派遣軍司令官になるまでは、松井会長の秘書兼会報の編集長として働いた。…

 松井石根大将は陸軍大学校を主席で卒業した後、エリートが行く欧米ではなく、自ら愛する中国を希望して、北京、上海など、中国に16年間、駐在武官として赴任した。南京攻略戦当時、終生愛してやまない中国との戦いの総司令官に任命されたことは運命のいたずらである。

中国を愛して…wう~ん、ここいらが全く不明だなぁ。
よくある紀元前落語の三国志演義と現代[当時も]支那同一視てな按配でねぇのぉ?


 南京において日本軍は、残虐行為を行い、非戦闘員を大虐殺したかのように言われている。しかし実際には、南京攻略戦の途中、松井大将は焼け跡から赤子の泣き声が聞こえると、秘書の岡田尚に「捜してこい」と命じたというエピソードも残っている。救助した女の赤子を温泉に入れ、毛布にくるむと、松井大将は目を細めて抱き上げた。松井の一字をとって松子と命名してかわいがり、ミルクを飲ませて育てた。南京の入城式には、岡田秘書はこの赤子を背負って入城したという。(『南京事件の総括』田中正明著、『興亜観音』創刊号による)

こういう虐殺と無関係な逸話は説得力ねぇナぁw

 また、帰還後の昭和15年には、「死んだら敵も味方もない。よろしく一緒にまつろうではないか」と松井大将は提案し、日中両軍の鮮血で染まった激戦地の土を取りよせ、陶製の観音像を作り、興亜観音と名付けて、熱海市伊豆山に祭祀した。

由緒正しき武人の振る舞いでしょうがネ

 松井大将は、その興亜観音の山裾に庵を結び、昭和21年4月29日にA級戦犯として起訴されるまで、堂守として、雨の日も嵐の日も2キロ以上の参道を観音堂の参詣と朝夕の読経をかかさず、修行僧のような生活を送っていた。そして巣鴨プリズンでも、興亜観音に向かって座禅し、処刑されるまで朝夕読経三昧の日々であった。…
(パール判事の日本無罪論・田中正明・小学館文庫 P.238-242)

どっちかってぇと、そんなに知中?派(チャイナスクール大先達かな?w)なら東条氏並の弁明書くらい残して欲しかったよなぁ。





        頂門の一針

━━━━━━━━━
ワンスリーの提案
━━━━━━━━━
                     古沢 襄

(略)

渡辺美智雄元副総理と親しかった国際石油社長の木村一三さんから、この「参考資料」を見せて貰ったことがある。

あだ名が「ワンスリー」と言った木村一三さんは、大陸浪人の風貌で、毛沢東、周恩来ら中国要人と太いパイプを持っていた。サシで中国要人に会える数少ない財界人であった。

田中訪中に先立つ8ヶ月前にワンスリーは訪中して、周恩来と極秘会談している。その狙いは、財界人を政治の表舞台に引っ張りだして、田中訪中のつゆ払いをさせることにあった。

ズレてたんだよなぁw

(略)

中ソ対立によって孤立化していた中国だったから、米中和解、日中接近が焦眉の急となっていた。日本の財界が大型代表団を送ることに、周恩来が異存を唱える筈はない。

カモねぎ状態じゃんw

中国市場に目をつけていた財界もワンスリーに乗った。

ふんどし一丁売れても4億本だぁてな市場調査なんて丸で無しレベルなんだったもんサw

(略)

1972年秋にワンスリーは中国側から招請を受けて、人民大会堂の1000人大宴会で挨拶をしたが、日中復交に努力した毛沢東、周恩来に敬意と感謝の辞を述べた後に、日本の田中首相、大平外相に対しても、その努力を讃えたいと述べた。この時に周恩来は、真っ先に立ち上がって拍手をして、会場は万雷の拍手に包まれた

チンチンカモカモライライライてなもんだったんでしょw

(略)

ところが中国内部で対日不満が次第に芽生えていった。その温床になったのは「八老治国」といわれる80歳を超えた革命第1世代の長老たちである。陳雲、李先念、彭真、楊尚昆、王震、薄一波、宋任窮らが隠然たる力を持ち、李鵬,喬石、江沢民ら党官僚を実質支配する保守派の権力構造が構築されていった

ワンスリーは、これに気がつくのが遅かったと反省の弁を述べている。高齢の革命第一世代は、いずれ消えていくという判断が甘かったのである。ワンスリーは中国側の対日批判が悪循環を起こし、江沢民時代に一挙に吹き出したとみる。そのきっかけは、中国の権力構造を大きく揺るがした天安門事件であった。

周恩来の死後「周恩来は立派な指導者だったが、彼は一つだけ大きな誤りを犯している。それは対日賠償を免除したことだ」という保守派の批判が中国内部で生まれている。

もっとカネカネキンコてなダケねw

ワンスリーがワンスリーたる由縁は、この状況下で訪中して江沢民と会談し、新王道論を説いたことである。名誉も地位もいらない大陸浪人が捨て身で、反日に凝り固まった江沢民に説教したのだから、無鉄砲といえば、これほど無鉄砲な行動はない。

国際石油の社長が何で大陸浪人なんだぁ?w

江沢民との会談は2時間にわたったが、ワンスリーは2つの提案を行っている。1つは中国が21世紀における超大国としての役割を自覚し、日本の潜在力を正確に評価すること。

日本評価については、アメリカが最も優れており、日本自身は、その自覚が不十分である。中国は深い日本分析が足りない。浅薄な日本軽視論は改め、対日緊密化戦略に大胆に転換することを要望する、と言ってのけた。

支那ナショナリズムったら幻想で正体は華夷思想てな基本認識なかったのねぇ。王道論っても中共支那人相手にゃ盗人に念仏だよナぁw

(略)

ワンスリーは江沢民の反応は頗る良く、確かな手応えを感じたというが、むしろ呆気にとられて言葉を失ったのではなかろうか。その後の江沢民路線をみると、そんな感じを持つ。

んな王道論なんてなモン[寝言w]いまどき言うってかぁとかネ

しかし、中国に対して言うべきことを言う日本人は、ワンスリー以降は寡聞にして知らない。喧嘩腰になるなら誰でも出来る。

江沢民もワンスリーの提案を全く無視したわけでない。それは冒頭に述べた「参考資料」で、極秘扱いながら共産党幹部に対して、ワンスリーの提案を全文を掲げて、配布していることで分かる。軍部に隠然たる勢力を持つ保守派の反発を怖れた江沢民が、ワンスリー提案に乗れなかったということであるまいか。

んな寝言言ってるよってなジョーク扱いでそかねぇw
またそれだけ沢山カネ出してたからこそ「いちおー聞いてたよん」てなジェスチャーしたんだろナw


(略)

周恩来のような人物が登場することを期待するしかない。中国に対して一定の距離を置いて見守るというのは、そういうことである。
(「杜父魚だより」から転載=許諾済み)

んにゃぁ、ゴリゴリ押し捲って「不利」意識させないとダメなダケなんだよ。

何も周だからってんじゃなくって、中ソ対立で原爆ぶち込まれそうになったてなダケじゃんw


「中国の反日ナショナリズム」について

…私は大正10年の暮に初めて活字になって現れたという矢野仁一の「中国非国論」や、それとほとんど時を同じうして開かれたワシントン会議(海軍軍縮、四箇国条約、九箇国条約)の席上でフランスのブリアン外相が提示した「シナとは何ぞや」まで遡ってそれらを援用しようとは思わない。ただ私一箇の見を以ってしても、辛亥革命後の中国とは果たして国家であったか? 従って、中国にはナショナリズムの概念を適用できるのか? といふ疑惑に捉はれてゐる。

林氏(林健太郎)は西洋史の範疇を以ってアジアの謎に挑むという冒険的跳躍をされ、そして現に足を踏みはづされたのはないか。

筆者の取り敢へずの結論を言へば、革命後の中国にはナショナリズムの名を以って呼んで然るべきものはなかったし、今もない。あるのは古来の華夷思想のみ、といふことになる。

殊に「反日ナショナリズム」といふ表現はそれ自体非論理である。「反日」に注目するならばそれは排日・侮日思想そのものであるにすぎない。

「ナショナリズム」を認めるとするならば、排日の目的を遂げんがために手段を選ばず外国と、殊に米国の勢力と結託し、支那事変勃発するやフライング・タイガーズなるアメリカ傭兵隊までをも抗日戦に利用したこと、仰々国際共産主義の支配下にある共産党と国民党が提携したこと、周辺の弱小民族国家、殊にも今に続くチベットに対する暴虐な支配の事実をもナショナリズムの名の下に許容してしまってよいのか、等の深甚な疑問を呈するにとどめる。

 中国に「歴史の必然」を認めるとすれば、それは彼等の華夷思想が永遠不滅であるといふこの一事であらう

林氏は持説として、中国国民の中に覚醒しつつあるナショナリズムを看て取ることのできなかつた日本人の認識の欠如を指摘される。一つの失敗の指摘としてそれは正しい。

但し、私見を以って言へばそれはナショナリズムといつた時代思潮ではなく中華対東夷といふかの地の不滅の精神伝統である。

だからこそそれは日本人の創造を越えて強硬だったのであり、ナショナリズムという思潮が色褪せてしまふかもしれぬ未来のいつかの時代に於いても、なほ依然として強硬に日本を圧迫し続けるであらう。

(再検証東京裁判・小堀桂一郎・PHP研究所 P.74-75)



…だよねぇw








Last updated  Jan 17, 2006 04:33:04 PM
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