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カテゴリ:History
町で初めての「ほろ酔い ダベリング」が拓かれた。「ほろ酔いダベリング」って、何だろう?と、夕刻に会場へ出かけてみた。どうやら、斜里町で町についての知識を共有しようと、気軽に集まれる場を設けるべくかなり前から開催してきた町民有志の集まりのようだ。最近、そこに招かれた、本町の方がわが町にもとの思いで呼びかけたのが、この会だという。
15人の弁士が一人7分の時間制限のもとで、それぞれの町での取り組みについて話が進められた。自分の人生の生い立ちや他地域からの移住体験や夏期間移住体験などの個人的な体験談、小学生や地域住民や高齢者向け奉仕のそれぞれの取り組み談、さらに医療や高齢者介護や交通機関や地域情報などの事業内容の話しなど、多岐にわたったが、もっとも興味を惹かれたのが、上の写真に掲載した郷土史家の地域の歴史についてであった。 この町は、典型的な農業地帯の中の小さな町なのだが、なぜ、近隣の大きな町に吸収合併されずに、独自の存在を維持できているのか?の問いに答える講話であった。 その決め手は空港の誘致にあると結論づけられる。そもそもの発端は、開拓時の農業の過酷ともいえる厳しさにあった。母さんが畑耕起用の鋤の引き手を担って、父さんの叱咤の声に後押しされて作業が進展したと…。このきつい労働を救った主こそ、農耕馬であって、彼らに感謝を捧げる罵頭観音像が各地に設けられ、いまでも敬われている。この馬を走らせて楽しんだ競馬場が村民ぐるみで造られ、後日、公設競馬場の一つに指定されていたが、維持の難しさから北見市へ移設され、広大な空き地として残った、その場所に、当時、冷夏の原因と目された流氷観測用の航空機の発着基地を誘致しようと、文字通り村民総出で創り上げた300mの滑走路が、女満別空港の始まりだという。 短い時間で、これを語り尽くすのは至難で、講師の用意した資料が、下の絵です。初期の空港建設への村民奮闘のさまが描かれています。係員にお願いして、写真を撮らせてもらいました。 こうしてみると、この町は、何をおいても「空港の町」なのですね。その先見の明に敬意を払わねば…。現在、果たしてどれほどの町民が、その思いを共有しているのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 23, 2016 10:48:36 AM
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