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カテゴリ:History
白虎隊士20名の足跡をたどってみた。 会津鶴ヶ城から戸の口原までは、路上でほぼ13kmほどの距離だが、白虎隊が戦った、その古戦場まで車を走らせた。出発時に駐車場の係員に道順を尋ねると、「あそこには何もないよ」と素っ気なかったが、確かに古戦場跡の石碑と解説銘板が建てられているだけだった。(1枚目の写真)。
白虎隊士20名は、ここから居城を目指して帰還を開始するのだが、その足取りははっきりしない。確かなのは、彼らが戸の口堰と呼ばれる用水路(2枚目の写真)を辿ったのではないかという点です。この水路には、飯森山の山裾の一角に洞穴が掘られているが、彼らはそこをくぐって、自決の地にでたのであった。 洞穴出口(3枚目の写真)は隊士の墓所のすぐ近くに位置する。敵兵の目を逃れるために約150mほどの長さの暗闇の中を傷ついた体をいたわりながら、流れる水に身を浸しつつ、やっとの事でたどり着いたのでしょう。 この用水路をさらに辿れば、目指す鶴ヶ城まで戻れたかも知れない。彼らには、そのための活力がすでに残されていなかったのか? あの戦いの意義はやはり理解しにくい…。 死に場所を求めて集った全国各地の多数の亡霊たちのとなえる主戦論が勝ったのかも知れない。ちなみに家老・西郷頼母は不戦論を強く主張したという。藩や藩士たちの行く末を見切っていたのでしょう。惜しまれる…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 25, 2017 12:04:17 PM
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