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Shimojimのブログ

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October 23, 2017
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カテゴリ:History
昔、北海道のオホーツク地方には「オホーツク文化人」が住んでおりました。
  
  
北海道オホーツク海沿岸の網走市にモヨロ貝塚があります。そこで発掘された遺跡類をモヨロ貝塚資料館で見ることができます。この地にはオホーツク文化が存在していて、それを担った人たちがこの地で暮らしていたことを教えてくれています。

このオホーツク文化人の遺跡は道東部では北見枝幸から網走-斜里、さらには根室まで広がっていることを知りました。網走市で催された市民講座「オホーツク文化人の社会-家族・村・地域の関わり-」を担当された北海道大学の小野裕子さんの講演でです。

ところで、かれら「オホーツク文化人」とは、いったいどのような人々だったのでしょうか。講演では発掘された土器や出土物、さらには住居跡などの綿密な調査を踏まえて、現時点で明らかになった事実がわかりやすく紹介されておりました。

その中で、もっとも関心を持った事柄は、かれらはアムール川流域に住んでいた人々が北海道のオホーツク沿岸の地へ移住してきたと云う指摘です。上の2枚目の資料に紀元前から7~8世紀ごろの東北アジアの勢力図が示されていますが、高句麗の没落後に興った渤海の支配を嫌って、かれらが渡ってきたのだろうと云うのです。

7世紀ごろに、その地での急激な人口増と固有の村社会の成立の説明がその推定で成り立つとされていました。そしてかれらは、11~12世紀ごろに忽然と、その姿を消してしまうのです。講演では、この点についてはまったく触れていませんでしたが…。

オホーツク文化人が何故にアムール川流域の祖国の地を離れ、北海道の東部地域に住まいを移し、そして再び、その地を捨てていずこかへ去ったのか? 確かな痕跡を残しながら…。その詳細はいまだに謎に包まれております。古代のロマンをかき立てる史実じゃありませんか!?





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Last updated  October 23, 2017 10:22:53 AM
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