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Shimojimのブログ

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October 31, 2017
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カテゴリ:History
改元が俎上にある現在、元号と歴史について考えてみよう。
上の記事は道新に載ったある論客の主張なのだが、なにか腑に落ちない。とりあえず、お読みいただいた上で一緒に考えてみましょう。

議論の主旨は、改元の執行を再来年にひかえて、これまで使われてきた元号制を廃して、西暦に統一するべきであって、その理由は、元号の使用では歴史の連続性の認識に溝をつくりかねないためとしています。

日本人の「水に流す」という習性は改元に源を求められるし、それにより歴史性も一旦精算されてしまうことになり、歴史認識における世界的な潮流に同調性をもちえないと指摘している。日本人は、歴史意識が希薄だと…。

この場合、実は、歴史とはなにかが問われないところに問題がある。ずばりいって、歴史は、勝者のつくり出す物語であり、実態とは大いなる偏奇をきたしている。つまり勝者にとって支配上で都合のよい虚構の構図が残され、敗者にとっては真逆な内容なのだ。従って、後者の立場からは、歴史は忘れ去られるべき対象となり、改元や「水を流す」の行為はきわめて意味のある措置となる。

現実に、朝鮮において反日を意味する「慰安婦」や「徴用工」などのかれらの問題提起は、あの国が「勝者」の立場に就きたがっていることの証だし、そうすることで、歴史の身勝手な改竄を正当化できると信じているからに他ならない。さらに、シナの場合、「南京大虐殺」などの旧日本軍の悪しき行為を言いつのる行為も、自らを「勝者」と位置づけ、「敗者」の日本に自らに都合のよいストーリーを歴史として押しつけ罪意識の刻印を正当化する行為に他ならない。そしてまた欧米においても、対日観における同様の歴史認識がいまなお見られ、それに抗う潮流を歴史修正主義として一方的に処断するのは、かれらが「勝者」の意識を持ち続けていることの明白な現れだ。

こうした歴史性を「敗者」としてリセットしようとする試みは、国として社会として自らを律していくために何らの問題もないはずだ。「敗者」としてとりうる手段は、そうした歴史の虚のストーリーを事実をもって反証することぐらいであるとすると、なおのこと忘却の意義は大きい。

北東アジアでの物騒な国際関係の勃興で、新たな歴史が紡がれることになるかも知れないが、現実には「敗者」として「水に流す」行為が必要だし、同じ意味で改元も実施が間違いなく望ましい。





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Last updated  October 31, 2017 07:16:44 PM
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