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カテゴリ:politics
宗教はいったい”だれ”を救済するのかが問題なのでしょう。そもそものありようとして…。
記事 日本の仏教、ロシア正教…なぜ“人々を救済すべき”宗教が侵略戦争に積極加担するのか プレジデントオンライン 2022年4月27日 参照。 上の記事に指摘があるように、ロシアでは”ロシア正教”が対ウクライナ侵略戦争を積極的に肯定し、その行為を奨励する立場をとっているという。そして、これは”人々の救済”という宗教の理念からそぐわないと断じている。はたして、そうなのでありましょうか? 宗教が”個人”を基にして成立していることは間違いないでしょう。それが庶民なのか、王族なのか、権力者であるのかはとわずに…。そして、かれらの”心の悩み”を軽減する機能も働かせている。 それが、あくまでも”庶民”のレベルで作用しているのであれば、”人々の救済”に直結する行為の範囲にみずからをとどめているのでしょうが、現実には、これは宗教の”ひとつの部分”でしかない。 宗教はみずから”価値の生産”をおこなわない実態であるから、人的存在からの喜捨に頼らねばならないし、その増大による宗教の存立の安定化や強大化が必然的要件として内発してこざるを得ない。この点が問題なのでしょう。 国家の侵略行為に加担することで、宗教自体の安定化や強大化が果たされるとしたら、たとえ被支配者の根底的な苦痛を感得しえたとしても、宗教は、侵略者の側に立って、それを正当化し、啓蒙するはずでありましょう。それを為しえないとしたら、自己撞着であり、自己否定となるのです。 全体-部分-個の関係性における非整合性に他なりません。これによる悲惨を逃れ得るとしたら、それは”個”としての”自己の心性”を、その自律性を高める以外にはないでしょう。宗教を含む”他者”への依存を脱却してです。どの”個人”もです。 宗教が他者の犠牲の上に成り立つとしたら、それは、かれれらの”野蛮性”という以外に形容のしようはないのです。こんにちのロシアのありようと重なり合って…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 4, 2022 06:47:26 AM
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