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自転車化に伴い、様々な変化が起きてきます。 (写真:自「立」へまた一歩、時にちゃぶ台とぶつかり、痛い目にあっています)
朝の送りでは、娘を背中に感じ、様々な会話が生まれます。 「いいにおいがするねぇ」と娘。 開店前、何かを揚げているのだろうか、というにおい。朝、ある場所を走りぬける時、決まって流れてきます。 車で窓を閉めていては、感じることなく過ぎ去ってしまうでしょう。 ラクばかりして、体使わんと、人間が駄目になってしまう、と前回書きました。 自分を省みても、職業柄、人を診ていても、感じること。 幼稚園のお母さんたちに、「運動になっていいわね~」と感心される(真似してみないのだろうか)のですが、ラクして駄目になるのは決して個人の体力的な意味にとどまりません。 先に述べた、感覚的なこと、ひいては周囲、環境、人とのつながり。 そして、更には。 ここ二週にわたり、小出裕章さん、広瀬隆さんのお二人に原発関係の裏話を聞く機会がありました。 お二人の話では、日本、というか世界は極めて危機的状況にある。原子力という身に余る、ラクの代償を抱えて。 文字通り、人間、人類、それどころか地球の生命全体が駄目になりつつある、ということ。 このことは、実体験とのリンクが薄く、頭の出力によるところが大きいのですが。 広島原爆数千発分の放射性物質が全国に54基分あって、後始末の方法がない、と聞けば、それだけで気が滅入ります。 あまりにも超大過ぎるラクの代償。 それに加担し続けている私たちがいます。 →続く
自転車へのシフト宣言から、早一ヶ月がたとうとしています。 朝は駅3つ離れた集合場所へ娘(4歳)を乗せてこぎ着けます。 田舎で幼稚園が無い、というわけではないのですが、少し遠くの幼稚園(嫁が通っていた)にお世話になっています。娘は集合場所から更に20分ばかり歩いて幼稚園へたどり着きます。 もはや、慣れた(あきらめた?)ものの、集合場所までの送り迎え、最初は自転車化に摩擦が生じました。 予測はしていましたが、子どもはやはり素直。 初日は物珍しさでウキウキしていたものの、翌日には「車がいい」と。 寒い(後、完全防備で解決)、早起きが嫌、疲れる、と直訴の嵐。 最初から自動車が当たり前になっていた娘にとっては当然の訴え。何が楽しゅうて、わざわざしんどいことせなあかんねん、と。 思わず、娘の目を見据え、私の口をついた言葉は。 「ラクばかりして、体使わんと、人間が駄目になってしまうのや」。 これは、常々心の内にあることなのですが、自転車で後ろに座っているだけの娘にはあまり関係ない? にもかかわらず、それから文句は無くなりました。かといって、機嫌が悪いふうでもない。 言葉を超えて、何かが伝わってくれたこと、ただの圧力で黙らせたのではないことを祈るばかりです。 →続く
発信…発芯。 受信、発信は食事や呼吸と似ています。 受け入れて、発する中で、自分の芯、即ち自信(自芯)が育っていく。その交流の中で、周りの芯も育っていくでしょう。 上のように書くと、如何にも簡単で、芯の強い人ばかり育ちそうで、世の中もっとうまく回りそうなものですが、実際うまくいっていません。 それは、受け入れているつもりで受け入れることができておらず、発しているつもりで発することができていない、という現実。 表面的なやりとりがほとんどで、相手の中身を感じることができていない、自分の中身を表すことができていない、とも言えるでしょうか。 発信。 自分の中身を相手に表すことは、相手の反応によって、少なからず、自己破壊(変革)を生じます。 そうやって芯を研いでいくことも、中身のある自分、自信を育むには必要か、と。 受け取るばかりでは、メタボよろしく、うまくない。 此度、初女さん、小出さん、奈良さんから、ありがたく授かった糧を加えて、行動、即ち発芯してゆきます。 (文章化、という行動の中で、またも意識が先走る己の難点を発見す。うーん、研がれているのか?)
受信…受芯。 ここのところ、佐藤初女さん、小出裕章さん、奈良大介さんと立て続けにお会いできる好機に恵まれました。 お会いするごとに、ブログに表したかったのですが、表せませんでした。 言葉、あるいは音を介して届けられる芯の強さ。 それはきっと、初女さんの、小出さんの、奈良さんの、生き様そのもので。 それぞれ異なる人生、持ち味は違えども、濃密な芯。 それは、当然なのですが、おいそれと言葉に表せるものではありませんでした(試してみることで、己の陳腐さに辟易することはできた)。 その場においては、涙したり、踊りだしたり(奈良さんの奏でる音に)。からだは多少表せていた? 是非、直接お会いして、直接感じていただきたい。 山口にいながら、お会いできたのは、幸運以外の何物でもありません。 足を運んでくださったご本人はもとより、幸を運んでくださったたくさんの方々(わっか屋さん、こばと幼稚園、小出さんのお話を聴く会の皆様、まなまなさん、黒五郎のひろしさん等々)、ありがとうございました。
採ってきた大量のワカメを干しました。 風の無い日を選べば楽かもしれませんが、大潮、晴天、仕事を空けれる、などの条件を加味すると、作業できる時は自ずと決まってきます。ワカメ、アオサは採ってきて、少し放っておく、ということができませんし。そうそう、以前にも書きましたが、海藻にも旬があって、ワカメはもう少しいけますが、アオサはもはや終わり、こちらでは2月~3月頭というところでしょうか。巷のものは、もっぱら養殖、旬もへったくれもありませんが。
(1)に続きます。
稼働率のシフトを始めました。 世の中には、自転車はエコだから、という立派な志で自転車を推進する動きもあるようです。 しかし、私の場合、そういう立派な理由ではありません(CO2削減とか、実感湧かんし)。 1. 車依存は気に喰わん。からだ、人力、使わな過ぎ。 2. 生活費削減(切実です)。 3. 車が多くて、子どもが外で遊びにくいのは嫌だ。それに加担するのは心苦しい。 そんなこんなで車やめよか、と嫁と協議していたところ、先週面白い人と出会うことが出来ました。 115カ国、自転車で旅しているという、熱いおっちゃんhttp://www.miyazaki-catv.ne.jp/~ecohideki/。お会いしたその日も、宮崎から山口までおよそ320km、一日がかりで来たという。 平然と一見馬鹿げたこと(現代の日本において)をできる人はイキイキしています。生きていますね。 お話ももちろん面白かったのですが、何といっても、芯の通った熱い人となりにひきつけられ、その場で自転車へのシフト宣言をしてしまいました。 (ご縁を与えてくださった、ムッターヘンデさんhttp://www.mutter-haende.com/contact/、ありがとうございました)
ここのところ、「言葉」について注意するところ多く、結果日記も少なくなってしまいました。 話すときもそうですが、注意しながら、となると、機を逃す、ということが起こってきます。 かといって、注意を怠ると、改善に至らない。 どんなところに注意しているか、というと。 果たして血の通った、生きた自分の言葉を口にしているのか、というところ。 その言葉は、自分の体験に基づいたものか、自分の心に基づいたものか、ただ頭の中にプールされたものをつなげ合わせたものではないか、などと問うてみる。 こういうことを自分に課しておりますと、不思議と相手の発する言葉にも気がいくもので。 頭に響くか、胸に響くか、腹に響くか。 もちろん、これは聞き手の問題もあって、頭に響いたならば、頭で受けようとしていなかったか、と自問して改善する。 はじめの話に戻ると、バンバン話して、書いて、間違って、省みて、直して、ということになりますか。 今更ながら、そういう場をいただけること、相手のあることがありがたい。 生きた言葉を扱いたいのです。 頭どうしのやりとりだけでは虚しいですから。
今春初、農作業らしい農作業でした。
(このブログもそうならないように注意はしているのですが...)
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