潮見が出来るまで
この町に移り住んで4年。以前の工場街がどの様に移り変わり、現在の住宅街中心の街となったのかを少し調べてみました。東京都港湾局発行の「東京港史」に拠ると、「明治43年に着手した市内河川改修工事の浚渫土砂を使って、深川塩崎町・同浜園町及び同古石場町の一部を埋め立て、・・・大正4年には深川枝川町1・2丁目、同10年には深川豊洲の一部、同13年には深川枝川町地先第8号埋立地(現在の潮見2丁目界隈)の工事を実施した。 第8号埋立地については、その後廃棄物処分場(現在の潮見1丁目界隈)として利用したため、昭和42年に竣工している。」とあります。この8号埋立地が現在の「潮見」なのです。「深川区深川枝川町地先第8号埋立地」という長ーい名前が歴史上「潮見」の最初の命名だったのです。(出典:東京都港湾局発行「東京港史」)また、東京23区清掃一部事務組合の資料には埋立処分場の変遷が記録されており、8号地(潮見)の一部が処分場であった事も判ります。図をクリックして頂くと実際の地図との比較が出来ます。(出典:東京23区清掃一部事務組合「埋立処分場の変遷」)さらに、昭和38年頃の潮見の当時の様子を物語る資料が、潮見教会のHPに掲載されており、「蟻の町が当時の地名で枝川と呼ばれた埋立地に移ったころはまだ京葉線もなく、今のようなマンションも一軒もありませんでした。そこに怜子や蟻の会の人々の願いであった教会が建てられました。こうして始まったのが「カトリック枝川教会(蟻の町教会)」です。また、蟻の町とその周辺の子どもたちのために「ありんこ保育園」も併設されました。・・・町名と教会名が「潮見」に変わり、コンクリートの聖堂が建ち、周囲の有様も一変しましたが、この教会はいつも貧しい人の教会であったことを忘れず、居場所を見失ったすべての人を暖かく迎える場でありたいと願っています。」との記述があります。<参考情報>8号地(潮見)土砂埋立開始…昭和2年 土砂埋立終了…昭和37年12月埋立処分終了…昭和42年埋立ゴミ面積…約36.4ha 埋立ゴミ重量…約371万トン東京都港湾局HP東京二十三区清掃一部事務組合HP潮見教会HP