カテゴリ:山口県西部
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。翌年8月米・英・仏・蘭の四国連合艦隊17隻が報復のために下関にやってきました。海峡の最も狭いところに築かれたこの壇ノ浦砲台は前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、全ての砲台が占領・破壊されました。外国の進んだ軍備に目覚めた長州藩は、攘夷から開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。この大砲は幕末に多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。 白木屋グランドホテルから車で75分の長州砲を御覧に是非お越し下さいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.14 15:29:14
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