手塚治虫「W3」少年マガジン版
ワンダーな 世界の陰を だれぞ知る この作品そのものを論じるなら、以前書きました少年サンデー連載の「W3」だけで充分であります。作品のテーマやらモチーフ、キャラクター設定など、そちらでしっかりとできています。 でも、あえて再読もし、この少年マガジンでスタートした作品を再読したことで思ったことをいくつか書き並べてみたくなりました。そのひとつが出版会社の編集側と作り手側である作者手塚氏とのスタンスの違いです。その左岸と右岸の間に大きな川が流れていることは、倉本惣もエッセイで書いているとおりだとは思います。それは同じ会社の中にもあります。なんせプロデュースする立場が指示したものを企画する側は何日もかけて企画の中身を作ります。でも、それをプロデュース側は、一秒で「だめ、こうして」と言うわけです。作り手は、その一秒で自分の何日何週もの時間を費やしたことを没にされるわけですから。 しかし、それはあたり前の世の中。そんな関係をうま~くやってらっしゃるのがジブリだそうです。宮崎駿、高畑勲ふたりのクリエイターに対し、鈴木さんは素晴らしいプロデューサー。そんなお話をテレビでも見ました。でも、これは、うまくいっている例。たいていは、お互いの立場を理解して分担するよりも、同じ輩ならすべて分かれ、そうやっちゃうようですね。 この「W3」の不幸は、出版社の編集側に対し、手塚作品をプロデュースする人間が手塚治虫本人以外にいなかった、ということじゃないでしょうか。今ではどうやら事実関係は蚊帳の外。が、聞いて話によると手塚氏の「ナンバー7」のテレビアニメ化に対し、そっくりさんが他に登場、故に、新たな設定の「ナンバー7」、星光一というキャラが主人公でサブが動物だったそうなり。全てのキャラ設定を変えた作品が「ナンバー7」から、この「W3」になったそうな。そして、少年マガジンで連載も。ところが、真似たんじゃないか、そんなそっくりさんも、少年マガジンに連載。で、作者としては、拒否したようです。もともと、少年サンデーとの専属契約があったらしいですが、このこともあって、初年マガジンとの仲直りというか、連載が実現するのは「三つ目がとおる」になるそうです。 いやあ、いろいろあったんですね。でも、今を思えば、もどきというか擬似作品、「宇宙少年ソラン」なんですけどね。今読む「W3」とは全然違いますよね。例えキャラ設定が「宇宙少年ソラン」そっくりだったとしても、後から思えば、どちらがどうなのか、一目瞭然ですね。 でも、先ほどもいいましたが、ジブリの鈴木敏夫さんみたいな素晴らしいプロデューサーは、実は類稀なんですね。みんな、単なる営業での経営者ですから、一商品をどう売るか、そんなスタンスでしか、もともと人を見ていない。そういう人は、クリエイターに対してリスクを背負う仕事は無理ですよね。 私は、手塚氏が一人で悩み泣き苦しんだのは、そんなよきプロデューサーがいなかったのではないか。言い方悪いですけど、自らが会社創ったりした人ですから、自分で営業しプロデュース家業もしていた、そんな孤独な人だったと思います。 ここでは、少年サンデー版との比較が主旨ではありませんが、一貫した作品に仕上がった少年サンデー版には、星真一少年の兄である光一がある意味曖昧です。でも、この少年マガジン版を見ると、いつのまにかフェニックスの団員になっているのではなく、そこまで至った経緯がしっかり描かれています。逆に1年後に何故地球が滅ぼされるのか、マガジン版は曖昧(読み進めて分かるような感じ)ですが、書き直しのサンデー版では、しっかりその理由が描かれています。 おそらく、手塚氏の頭の中には、マガジンの読者とサンデーの読者の棲み分けができていたのかもしれません。そうしたところが、ある意味マーケッター手塚なのでしょうが、それを突き詰めると売れるものを書くにはどうするか、そうなります。彼は、自分で全てを悩み、全てを把握し、全てを弁えた表現をしていると言えるのではないでしょうか。でも、それは、一人がマルチ人間であろうとする限界も見えてしまいます。 少年マガジン版を放棄し、二度と書かない、とはせず、どうしても書きたいと思った「W3」。それが少年サンデーに連載された。それが「W3」をより面白くしたのかもしれません。しかし、彼のクリエイティブ魂に対し、絶えず、その反対側いる岸辺の人々だけじゃなく、もっと同じ側の岸辺の人々がいれば、彼自身の描きかったことがもっと自由によりたくさん、世の中に出ていたかもしれない。そう思うと、天才手塚治虫に対して、対岸ではなく、同じ岸の人々をもっと彼のためにプロデュースできなかったのか、悔やまれてなりません。 どんなに素晴らしいクリエイターがいても、了見の狭いプロデューサーのもとではともに生きられない、そんなことを教えてくれる打ち切り作品です。