手塚治虫「虹のプレリュード」
芸の術 技の術より 心育む 私が再読した「虹のプレリュード」なる文庫版には同名タイトルの作品以外に「ベニスの商人」「赤い雪」「ナスビ女王」が収録されています。 初出年度からすれば掲載順の逆からいきましょう。 夢見がちな少女、ナスビちゃん。心に描く夢の世界では、彼女はどこかの国の王女様に・・・。ところが、その夢が実現してしまうんですね。困ってしまうナスビちゃん。何故ナスビかは分かりません。でも、おそらく女王を夢見る彼女がナスビであることから脱しきれない、否むしろその方がナスビとしての彼女らしい生き方ができる、ということではないでしょうか。 ところで、「赤い雪」は設定はロシアくさいですが、それはイワンの馬鹿のせいでしょう。ただイワンがどんなにいい家柄であったとしても人を好きになることってどういうこと、教えてくれていますね。 そして、「ベニスの商人」はあのウイリアム・シェイクスピアの喜劇の漫画化です。展開もほぼ忠実で、とっても分かりやすいお話になっていますね。 さて「虹のプレリュード」。時は19世紀、ロシアが侵略を狙うポーランドが舞台。激動の時代を背景に、恋に、芸術にそして祖国への愛に命を燃やす若き芸術家たち。あの有名な作曲家、フレデリック・ショパンも登場しますね。彼の練習曲(エチュード)の第12番・ハ短調『革命』が創られた由来へのアプローチもされています。この曲は、彼が演奏旅行でポーランドを離れていた際、革命が失敗し、故郷のワルシャワが陥落したとの報をきいて作曲したものと実際にも言われているそうですが、この「革命」というタイトルはリストが付けたタイトルなんだそうです。 ところで、私たちは日頃芸術と言うと大学の学部なんかにもあるのを見れば、俗世間から乖離しているように想われます。でも、ここにあるように、時代の情勢、我が身が置かれた境地から一つの創作意欲が湧き上がる、それが芸術であれば、なにも素人を受け入れない閉じた環境であってはならないはずです。芸術こそ、世の中で最も頂点にあるべき人間性の裏返し、そう言われているはずです。しかし、実際は、芸術に走る者はその世界だけに閉じこもろうとし、そうでない者たちは、芸術を単に道楽的や趣味の範疇に押し留めてしまっています。そうして、世の中が感性や人生観などは入らぬ哲学であり余分なもの単なる余暇のもの、そのように小さな世界に押し込めてしまっていると想います。この「虹のプレリュ―ド」こそ、人間は本来どう生きるべきなのか、それを音楽という芸術の側面から垣間見させてくれている、そう言えるのではないでしょうか。「新技術というおもてなし」などという技術過信ですべてを括ろうとする今の時代に、こうした芸術こそ人がどう生きるべきかを教えてくれる哲学である、それをこの作品は語ってくれていることを、私たちは心から理解したいものですね。