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靜のスピリチュアル&オーラのいずみ?な 日々 今日からシロクマたん、で生きて行く

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2011年01月15日
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松代大本営とは

http://nats12.cool.ne.jp/NATS/KANTO.1/MATSUSHIRO/matsushiro_1.html

 

今朝はうんと早起きをして亀の学校のフィールドワークにつきあって長野の松代まで行ってきました。

 

疲れたぁ。でも、本当に行けて良かった!!!

 

でも、松代大本営は私がどうしても実際に見たかった場所なのです。

数年前(いつだったかさっぱり覚えていない)テレビでこの大本営ことを知りました。

日本にとって戦況が傾き始めた昭和19年、当時の陸軍省はアメリカ軍が本土に攻め込んでくる本土決戦を覚悟。

軍部の大本営、NHK、新聞社、そして・・・!なんと天皇を移動させるため地下施設を作るための場所を探し始めます。

昭和19年7月、第32軍を編成し沖縄に配備。第24師団を嘉手納に配備。そして第62師団を首里に配備。

同じ頃、大本営を松代に作ることを決定。土地買収を始めます。

10月、西松組、鹿島組が松代大本営の工事を請け負い労務者を集め始める。

同じく10月空襲で沖縄、那覇市が全滅。

アメリカはフィリピン上陸。

日本軍は「特攻隊」編成。

11月、松代大本営の突貫工事が始まる。

そして同じく11月、アメリカ軍はマリアナ諸島を出撃、東京大空襲が始まります。

昭和20年、1月。沖縄防衛隊が組織される。(17歳から45歳の沖縄の男子)

2月、硫黄島玉砕。

3月、東京大空襲・・・。もちろん、爆撃の激しかった下町の被害は想像を絶しますが、今の表参道の現在のみずほ銀行前には遺体の山があったらしい。誰かが積み上げたのではなく、爆風で自然に遺体がつみ上がったのだとか・・・。

3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸。このときの住民の生々しい目撃談を亀は去年の10月の沖縄学習時に聞いてきています。そして「鬼畜米」と教育されていた慶良間で起こった集団自決。

4月20日、首里攻防戦。

朝鮮から強制移動などによって7000名大本営の工事に動員される。(実際にはもっと少ない人数であったことも考えられる)

6月23日、沖縄での総司令官牛島中将が「最後の一人まで戦え」と言い残して本人は自決。

6月26日、海軍も壕掘削を始める。しかも・・・日本における原爆開発を目指していたらしい。もし、これが実行されていたら松代が三番目の原爆投下地になった可能性がある。(アメリカ軍は日本軍が松代に大本営を掘っていることを認識していた。)

7月始め、天皇も松代移転を決断。宮中3殿起工式に参加。

7月17日、ポツダム宣言。

8月6日、広島に原爆投下

8月8日、日本と条約のあったロシアが日本に宣戦布告。

8月9日、長崎に原爆投下。

8月14日、日本のポツダム宣言受諾

8月15日、玉音放送。敗戦。

つまりね・・・松代大本営に軍部が移動することを計画していなかったら、沖縄はあんなに最後の最後まで、軍部だけではない住民まで借り出しての長い戦闘に巻き込まれていなかったかもしれない、の。あくまで「仮定」だけれども。

松代の大本営を完成させて天皇を移動させるまで、本土決戦をなるべく先延ばしにする。

それが軍部の考えていたことだった、ということです。

だから、和光で「沖縄学習」をしていると、あああ、本当に日本は沖縄を、沖縄の住民を捨石にして本土をなるべく守ろうとしていたんだな・・・と悲しくなるのです。

 

広島に原爆が投下されたときに、すぐに当時の学者が視察に行かされているらしい。

学者は驚嘆する。アメリカは小さな飛行機で運べる大きさの原爆をすでに持っていて、投下し、その威力を完全に把握して軍部に今からの日本の国力でそれを為すのは無理である、とちゃんと報告を出している。

でも、軍部はアメリカにできて日本にできないわけはない、と・・・。本気で原爆を開発しようとしていたんだとか・・・。

 

今日は本当に現地での時間がなくて「天皇御座所」まで見に行くことはできず、公開されている部分を現地で、26年前にこの大本営跡を発見した長野俊英高校(旧篠ノ井旭高校)の郷土歴史研究班のみなさんに説明していただきながら、の見学でした。

でも、私は以前のテレビで見た、穴だっていうのに天皇御座所の壮麗さやこの大本営の全体の巨大さがすごく記憶にあったのです。だから「亀に見せたい」というよりも「自分が見たくて」今日はくっついて行ったのでした。

この計画自体、当時は絶対の「国秘」です。戦後数十年、ここは誰にも語られなかったのです。

26年前、最初に土屋先生と当時の高校生たちが「あの防空壕みたいな入り口に入ってみよう」と入るまで。入ってみたら「防空壕」なんてものではない。碁盤の目のような壮大な施設だった。

私もテレビで見たときに、この異常な壮大なものをそこまで私は何も知らず、誰にも語られていなかったこと、天皇が東京を出ることを考えていたことに、ほんとにたまげてしまった記憶が残っていたので、本日、土屋先生に聞いてみたんです。

これだけのもの、と地元の方はわかっていたんですよね?でも、どうして誰も何も言わなかったのですか?(地元の高校生、高校の先生ですら知らなかったことが不思議で)

先生は「当然地元の古い人たちは知っていた。でも”国秘”である、と作られたもの。誰も言えなかったのかもしれない。」というようなことをおっしゃっておられました。

 

来年で(たしか)和光小学校の「沖縄学習」は25周年を迎えるはずです。

http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%A1%8C%E7%94%B0-%E7%A8%94%E5%BD%A6/dp/4272411713 

 

今日だって子どもたちは「すげぇすげぇ」ときゃーきゃーしているばかりです。

沖縄でも海の綺麗さ、人の優しさにきゃーきゃーはしゃぎ、「ガマ」の中に入って当時の真っ暗さを感じ、そこでろくな治療も受けられず亡くなっていく人々を想像し、自決しようと手榴弾を投げたのに不発で死ねなかった人の悲しみに触れる。それでもビーチに行ったらきゃあきゃあしているんですよ。

こんな子どもにこんな核心部分を見せてどうするのか?もっと歴史や自分の考えができるようになってからの方がいいのでは?というという声も常にあります。

でも、私はそれでいいと思ってるんです。

いや、わからないうちに現場を見て「体感」していて欲しい、と。

 

現副校長先生に最近聞いた話がありました。

何年か前にある卒業生の男子の数人が20歳になったとき、「俺たちが6年生で沖縄で学んだことはなんだったのか?もう1回行きたい。今年の6年生に付いて行ってはいけませんか?」と言ってきたらしいです。

邪魔になっては困るし、全部に随行は無理だけれど離れたところから同行することを許可されたその子たちは、小学生とは別にかつて自分たちに話をしてくれた「語り部」さんたちで会ってくれると言ってくださったおじい、おばあのところへ行ってあらためて話を聞いてきたらしい。

それが6年生当時はいっちばん落ち着きのない、いっつもふざけていた悪ガキどもだったのだ、と。

なんかそんな感じが大切なんだ、と私も思うんですよ・・・。

 

今日、私たちに同行してくださった長野俊英高校の土屋教頭先生に質問してみました。

ここで働いていた朝鮮人労働者の方々は終戦後どうされたのですか?と。

松代大本営というと、日本による朝鮮人の強制労働、悲劇の場という印象が一般に強いのですが(もちろん、強制移住させられてきた朝鮮の方々がいらっしゃったのは事実です。)

現地の女性と恋愛結婚した人も居る。

何せ、働ける男手は戦争に行っちゃってる。

地元に残っているのは女、子ども、老人、弱い人たち。

弱い人同士は意外と助け合い支えあっていたようなのです。

天皇を移転させることがあったために地元で起こった「強制移住」の際も、女子どもで山間部を引っ越す大変さを見かねた朝鮮の労働者が助けてくれたり、

トロッコで掘った石を運び出すのに地元の今で言うなら中高生が駆り出されていたら、朝鮮の労働者が石を運んだ後の空のトロッコに子どもを乗せて運んでくれて、楽しい思い出がある人がいたり・・・。

多くの朝鮮の人は今で言う韓国南部出身の人が多かったようなのだけれど、終戦当時は北朝鮮のほうが豊かでいい場所だ、という感覚があり、多くの朝鮮の人は北朝鮮に渡っていったらしい、と。

 

それを聞いて、すごく不思議な感覚を私は抱きました。

 

私の祖父は玉音放送の後に、一家(を連れて(私の父は北朝鮮生まれです)北朝鮮からの「引き揚げもの」だからです。

昭和20年8月15日を境にして交錯した人間の歴史。

日本から北鮮に渡って行った朝鮮の人。

その北朝鮮から日本に帰ってきた私の父。(私の父は引き揚げのときに一家からはぐれたことがあり、そこで再会できてなかったら私は???今頃、私ではなく金正日氏に万歳している私だったかもしれず・・・)

そしてその松代に広島、長崎に落ちた原爆をまさに作った場所にほど近い所で生まれたアメリカ人でもある自分の息子と来ている「不思議」、なんか「歴史」を感じてしまいました。 

 

大本営の帰りに寄った松代温泉国民宿舎松代荘のお湯はすっごく良かったです!!!

http://www.matusirosou.com/index.php

 

なんかまっ茶色で完全な不透明で鉄のにおいがぷんぷんしていて。

なめると超しょっぱい!!!

また松代の方って優しいのかなぁ?と思いました。あんなに地元の人から「どこからきたの?」「どこへ行ってきたの?」と言われたのは初めて。

女風呂にも響き渡る、悪童男子の騒ぎ声に「うあれ、うちの子たちの声です。ほんと、うるさくてどうもすみません!」と謝ったら「いいのよー。子どもだもーーん。あの時期過ぎちゃうと、うんともすんとも言わなくなるんだからー。あんな頃があったと懐かしいわよー。」と言ってくださった。

あそこに泊まりたかったぁああああ!!!!(和光のパパママで宴会もしたかったー!←コラコラ?)

 

松代大本営・・・数年前にテレビで見たときに「わっ!何ここ!?実際に見たい~!」と思った場所に行けて私はすごく満足。

私はもう二度と行けないのかもしれないけれど、いつか亀が「松代大本営??」ああああ、6年のときに雪の中行ったあそこかぁ!」と思い出してくれたらいいなぁ、と思います。

 

最後に、お休みだったというのに私たちを迎え、雪の降る中制服姿で一生懸命大本営の中を案内、説明してくれた長野俊英高校郷土歴史班の学生さんがた、土屋先生、本当にありがとうございました!!!!感謝!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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最終更新日  2011年01月16日 00時12分50秒
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