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今、発売の週刊現代を、電車の中吊りを見て・・・買って、ショックを受けた。 http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/ 震災から一ヶ月近くたち、東京では計画?無計画停電でもそんなに困ったことはなく、 自分では買占めもしないで、でも、いつのまにか物品に困らないようになっている東京・・・。
他の週刊誌は見ていないのだけれども、週刊現代をぱっと開けたら、火葬が間に合わず、土葬、ということになり親族が泣く泣く見守る棺・・・。その写真。 中にはお花やぬいぐるみなどの品々。 ああ、仏様は女の子なんだな、と思いつつ、ちゃんと見るとご遺体のお顔がチラッと見える。 こんな可愛い子が亡くなってしまうのか。でも、ご親族には見守られたのか。
沖合いに消えた親族・・・、安否不明者の親族の悲しみは。 遺体安置所に行っても損傷がひどく親族が見つけられない、と聞いている・・・。
週刊誌のトップの写真は 中学生か高校生かの兄弟二人の遺影を持って、だけの葬儀に親族が涙で並び、その後お骨を拾う。 火葬にできるだけまだ良いらしい?火葬場はいっぱいすぎて前の女の子のように土葬になってしまう人も居る・・・。 そして福島原発のリアルな上空写真。
なんだこれ?プルサーマルの3号機・・・鉄骨までガッタガタじゃん?という航空写真。
”安全?と言うと安全。と答える。こだまでしょうか?いいえ枝野官房長官です”という見出しにはわが母がのけぞっていた。
先日、友人と言い争った。 友人は”放射能が飛んできている、とわかっていてどうしてちゃんと自分をプロテクトしないのだ? どうして息子を外で遊ばせるのだ?まったく理解できない!自分は自分の娘を現在外で遊ばせていない!”と私に食って掛かった。 私はあれこれ抗ったけれど、その理由の論理が通っていないのはわかっていた。 そのときはただ感覚的に”ただただ自分や息子を今、プロテクトするのがイヤだった”のだ。
家に帰ってどうして論理的に通っていない言い訳に自分が徹したのかわかった。 言いようもない”罪悪感”なんだ、と思った。
私は被災しなかった自分に罪悪感を持っている。 痛みを実感として共有できないことに。 何もしにいけないことに。 ナバホやホピも含め前からそうだった自分に対して。 そして「そこに運動しています。」という人の行動?にだって「本当にそれがそこのためになるのか?」という実感がちゃんとなかったことに対して・・・。 どの情報を選んでどの情報を信じたいと思うのか??? 私はラコタ族の全情報を知っているわけではないけれど 彼らの中に生きなければわからなかったことが山ほど、本当に高尾山ではすまないぞ、八ヶ岳くらいは実感としてあるんだぞ、という感慨だけはある。(いつもながら変な例えですみません。) やり方によっては全然知らずに富士山を助けるつもりで高尾山をぶっ壊してしまう人の善意だってあることを少しだけ見てきたつもりだ。 それは「助け」にならない。そんな気がしていた。
ここ数日、もう、本当に出家しよう、と思った。 僧侶になりたいと思ったことは十代のときからない。(その前はあった)
我が家は浄土真宗で家の仏壇には位牌はなく(すべての浄土真宗がそうかは知らない。) ”過去帳”だけがあり、中学生の頃によく仏壇から取ってパラパラと覗いていて ”ああ、爺ちゃんには○子、って妹が居て3歳で死んだんだ。そういえば爺ちゃん妹の話してたよな。3歳だったんだ。可愛そうに。曾ばあちゃんショックだったろうな、あああ、この叔父さんのことは聞いたことある。確か自殺しちゃったんだよな・・・”なんては考えていた。 だから我が家には「位牌」がなかったので、被災地で、災害にあった方々が一生懸命親族の御位牌と写真を探している姿に”え?そうなんだ?位牌ってそんなに大事なんだ?”と不思議に思った。 ただ、理解できたのは親族の死を満足に弔えない 残された人の・・・。
せっかく生き残ったのにそこをつらい、と思える残された人の生きる痛み、だった。
そして、せっかくリトリーバル、という技術、を持っていても何もしにいけない自分に嫌気がさしていたのだ。
”非人情”と思われてもいい。 私は死んだ人、の「死」ということには実はあまり興味がなかった。 ブルース・モーエンの”リトリーバル”という死後救済の技術ができるようになって、何か助けの手を、自分が差し伸べられるのだとしたら、そうしたいメインの理由は”生きている人間”だ、と思っていた。
親族を失うことが、その意味が その人が死ぬ前に自分がしてしまったことが、またはできなかったことが どれだけ生きている人を悲しませるか、心配させるか、不安になせるか、の方に気持ちが主に行っていたのだ。 私が死んだ夫を何とか説得したくて、夫にはなんとなくは会えるのに 全く!!!話が通じず悩んだ末にブルースに出会えた動機、は死んだ夫になんとか”成仏”してもらいたい!が強かったけれど できるようになってからは 私の意識は、生きている人の気持ちを安らかにしたい!に傾いていた。 リトリーバルを練習するようになってからは、問題はむしろ生きている、残された親族の気持ちの解放や安らぎ、の方に行っていたのだと思う。 だから死後救済を仕事でもプライベートでもやってきたんだと思う。 先日、仕事中にリトリーバルを依頼されました。 セッションでは、たいがいはお仕事のことだとかご自身のこの先のことなどがメインで、親族などのリトリーバルは「できたら」、という感じが多いので、本当に「リトリーバル」だけをする、大まかなご様子やどうリトリーバルをしたか、という感じが多いのですが、 なぜだかそのときは、その対象者がご依頼者(娘さん)に 目元がその人とすごく似ているけれど、ほほ骨の感じが違うこと、など 「あああ、本当に父はそうでした。」と言ってくださったときの彼女の笑顔は安らいでくれていたように思う。 「このようにヘルパーがこういう人の姿で来てくれて、お父様は迷いなくあちらに行かれた」と言ったときも 「あああ、その人が来てしまったら父は本当にそうしたと思います。」と得心してくださった。
被災地に行ってカウンセリングもできない。(公的な資格もないし。)なんか怪しい霊能者みたいになってしまうんじゃないかな? そんなことを悶々と考えていたら、 きちんとした僧侶の方からぶっ飛ばされそうな理由だ。
そうだよね。 過剰なプロテクトは今でもいらないと思っている。 ただ、何が過剰か実質指針がないのだから、そして数値的に「あらら」というものだってあるのだから、できるだけのことをする。そこに異論ははさめない。
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