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カテゴリ:主に国際時事
<すでに有名とは思いますが・・・> 昨年,英国外務省の文書からマウントバッテン卿が東京裁判を批判していたということが明らかになったという時事通信の記事が一部のブログ等で紹介されたことを記憶されておられる方もいらっしゃると思います。 ただ,同記事はマウントバッテン卿の「軍は純粋に政治的な性格の裁判にかかわるべきでない」という発言のみが紹介されているだけで,どのような理由で東京裁判を批判したのか,その根拠までは紹介されていませんでした。 実は今日調べ物をしていてたまたま見つけた記事に,その理由を示した記事を見つけたので,ここに先の時事通信の記事を補完する意味も込めて記事をアップします。
<マウントバッテン卿?> その前にマウントバッテン卿って誰?という方にちょっとした予備知識。
ルイス・マウントバッテン卿は,伯爵のタイトルを有する貴族です。上の写真を見ていただければいかにも貴族っぽいお顔立ちをされておられるのが一目瞭然です。
戦時中は海軍元帥として東南アジア地域連合軍総司令官を勤め,ビルマ(現・ミャンマー)でわが国と対峙しました。そのため,「ビルマのマウントバッテン」とも呼ばれています。
戦後は英領インドの総督に赴任。「日の沈まぬ帝国」を支えた財源であった英領インドがインド・パキスタンという独立国家になるのを見届ける役を務めました。
その後も要職を歴任しましたが,国防幕僚会議長を最後に海軍を退役。1979年,アイルランド沖で停泊中のヨットに仕掛けられた爆弾が原因でなくなりました。 現在のエリザベス女王の夫であるエディンバラ公爵フィリップ殿下の伯父様に当られる方でもあります。
<本題へ> 漸くというかんじですが,本題に入りましょう。 見つけた記事というのは世界週報の2006年2月14日のWorld NOW「東京裁判60周年,英提督の批判明るみに」と題された記事で,時事通信解説委員の富山泰氏が書かれておられます。
東京裁判が進行中の48年,英国のとある出版社が戦犯裁判についてのシリーズ物を企画。第1巻で英国軍が日本軍のBC級戦犯を裁いた最初の裁判を扱うことに決め,その序文の執筆をマウントバッテン卿に依頼してきたのがそもそもの発端だったといいます。 卿はこの依頼を受諾。ほどなく出版社に序文の草稿を渡されました。 そこには「軍は純粋に政治的な性格の裁判にかかわるべきでない」と主張がされていました。ここは時事通信の記事が伝えたところです。 ここから先が記事が伝えなかった部分。卿はそうした政治的な裁判の意義を疑う根拠を3点掲げていました。その根拠とは以下のとおり。 1:日本が戦争に勝っていれば,英国人を日本と戦った罪で裁くことができたと日本人に主張されてしまう。 2:この種の政治裁判には,法の特殊解釈か創作が必要になるので,そうした法に基づいて日本人を有罪にすると,正義に反すると被告の支持者に受け取られる。 3:政治裁判は被告に宣伝の場を与えてしまう。宣伝は弁護活動と不可分の形で行われるので,阻止することはできない。 卿が書くように頼まれたのはいわゆる「B・C級戦犯」,つまり通常の戦争犯罪を犯したとされる人々に関する書物の序文でした。これらは「政治裁判」というわけではありませんし,一応条約上の根拠があり,上記のような疑問は生じないところです。 なのにあえてこのような序文をしるしたということは,卿がこの序文を通じて当時進行中だった極東国際軍事裁判,いわゆる東京裁判を批判する意図を有していたということがうかがわれます。 なにせ,それは「勝者による裁き」として今でも批判を受けており,また「法の・・・創作」(事後法の創設)による裁判として近代裁判の原則である事後法の禁止という「正義」に反するとされているわけですから。 なお,記事によると,卿はこれ以前にも東南アジアに関する公文書で同じ主張を展開していたとのことです。
<反日家の主張だからこそ・・・> 実はマウントバッテン卿は根っからの日本嫌いでした。それゆえに先帝陛下訪欧の際のレセプション出席を最後まで辞退されておられたということです。 しかしそんな日本嫌いな,反日家な卿の発言であるからこそ,「政治裁判」の意義を疑う先の卿の主張はひいき目もなにもないということが保障されるのです。まさにその保障があるという点が,この卿の主張の価値をいやがうえにも高めているように思われるのです。 そしてその主張の根拠とするところの3つのうち2つが,現在東京裁判を批判している人々の根拠と重なっているということは意味のあることだと思われます。 そのことはとりもなおさず,東京裁判を批判する主張が決して日本が好きだから,とか愛国者だからという根拠のみから発しているのではない,ということの証左となるのですから。
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