1977919 ランダム
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灯台

灯台

やさしい気持ち


本当に欲しい物は――人間関係の込み入った世界に見つけられない・・

(の)・・・記憶を呼び起こすごとに、

コンクリートの階段を砕いたように・・遠い夏を思い出す――

降る雪・・催眠術にかけられた、眼瞼は、白く凍ったツンドラを見ている――

数時間前から吹雪き、町中を緊張させている。

灯りの消えた駅舎は、教会のような厳かな雰囲気に充ちている。

そして目の前にはアルプスのように見える山・・そこから、ひっきりなしの呻き声が聞こえる。

小さなその部屋で、僕は暖をとっていた。


ストーヴの焚かれた待合室で、

パイプを上下に揺すっている顎髭のある老人がいる。

最初は目も口も見えず、お化けかと思ったが、なんということはない、

優しいお化けもいたもので、スルメと熱い茶をご馳走になった。

そして、僕はそのお礼とばかりに、ここへ来た理由をぽつぽつと話したのだ。

話すことはたくさんあった。そこには、いろいろなポーズがあり、てんでおかしな説明があふれ、

時にビックリマーク、時に・・クエスチョンマーク。

事情をすべて知っている老人は、手回し蓄音器のような声で、

「それでも行くのかね。」と言った。


僕は重装備。防寒具を着こみ、手袋をつけ、リュックサックを背負っている。

中には使い捨てカイロ。チョコレートやおにぎりや飴玉にコーヒー。水筒には水を入れた。

あと、カップラーメンなどが入っている。食事項目。

その地続きとして、小型の登山用コンロや、コッヘル、カトラリー類

現実的に必要なものとして、テント一式にシュラフ。

地形図にLEDの懐中電灯。そして腕時計も入れておいた。


「行きます。」と僕は言った。

いつも僕はそうだった――から・・と言おうかと思ったが、

もしかしたらこれが最後の人との接触になるかも知れないと思い、

微笑んだ・・無理して笑ったせいか、強張った笑いになったのかも知れない。


「もし、うまく下りてきたら、無料で乗せてあげるよ。

――よければ、わたしの家で食事をしよう」

と言い添えて、軽い咳払いの後、名刺を差し出してきた。

彼はタクシー会社の経営者のようだった。

「ありがとう。」


ビュウウウウウ、と吹雪いている風の音が聞こえた。

途端、死神の姿でも見たように、思わず、開いた扉を閉じたくなる。

街灯が、ミラーボールみたいに見える・・この衛星のようにぐるぐるめぐっている気分は、

むしろ一か所に当たり続けることを望んでいた。

だがそうすれば、過去と未来をくっきりと分断する機会を、

永遠に失ってしまうことになる。

僕は開いた横開きの戸を閉めて、駅から登山口の方へと歩いていく。

既に地上には雪という雪が積もり、

道という道には、わずかに空いたスペースもないほど雪が占領していた。


――歩きながら、僕は想像した。

あれは、大切に思っていた親友との別れだった、と。

何百、何千もの雪が広大な風景に放たれ、それは機関車の煤となって、塵となって、

イメージの中を舞い狂う。この旅行までに二、三日を費やした。

ゆるくカーブしながら少しずつ上りにかかっていく、坂道。

目からは涙が流れ、鼻水も少し垂れている・・ただちにそれは凍った。それでも、

いまはそんなことを気にしてはいられない、何とか日が暮れるまでに、

目的地まで歩いていかなくてはいけない。気象。天気観測の結果だ。

しかし僕の心の中は、重く柔らかいインスタントコーヒーを求めていた。


(でも――ぼんやりしていると、ハンドルに置かれたままの右手を、

自分の左手にかるくかぶせて・・

ブレーキを踏む・・あの動作を思い出す、怠惰な瞬間だ。

足下にまとわりつく猫の存在を感じる。それは世にも奇妙な、

そして喩えようもないほど可憐な猫であればいい――)


登っていこうとすると、小さな姿があった。

僕はどきっとした。目の前には無数の鱗があった。そしてそれは少しずつ無数の小さな鏡になる。

僕を映すためだ。そのように次から次へと疑問は湧いてきて、

クローンに、人工妊娠――細胞分裂・・僕の身体はとどめようもなく震え、

寒さからだけではない、身体の中心がどろりといくらをつぶすように揺れた。

それでも僕の足は何の考えもなしに、ペダルを漕ぐように進んでいってしまう。

そして、耳が何の前触れもなく甦る。枯れていたはずの神経が、突如、熱をともなって、

活き活きとその言葉を追う。待ち構えていたという格好で、少しヒステリックな色を帯びた声。

「――行ってはいけない。」


(横断歩道の赤信号を振り向かずに、足早に歩く――と・・

親友とその恋人の姿を思い出す。待ち合わせ。水族館へ行く、

駅前で、いつ来るんだあの馬鹿野郎と思っていた、一切を脱ぎ棄てる・・

お似合いだ――世界で一番美しいカップルが見えた。と――僕は思っていた。・・)

(――思っていたのだ・・親友が病気をした。お見舞いへ行った。

中々治らないよとこぼしていた。忙しい所、悪いね、と彼は言った・・・)

(何度も通い詰めている内に、親友の恋人とよく話すようになった。

馬鹿みたいに色んな話をした・・デートのつもりではなかったけれど、

ショッピングに誘った。見たい映画があるの、よかったら一緒にどうか、と言われた)

(――最初から僕は、彼女に魅かれていた・・)


罪悪感をいだいている時、黒い頭でごちゃごちゃしていると思う。

僕を軽い方へ軽い方へと、追いやろうとする。

そうすると、小学校の時の床磨き用ワックスの微かな臭いを思い出して、

心細くなる・・少なくとも、目の奥で光の破片が回転している時は、自分が、

見知らぬ他人のような気がする。夏の終わりの始業式。互いに避け合うような、

朝、自分自身に投げかけるしかないゼロの瞬間だ。へらへらと誰かと喋りながら、

自分のポジションを思い出す。夏・・音もなく崩れてゆく街は、

平和ボケだったのだ・・苦痛も恐怖も、明日にも、今日にもない。


(親友が不治の病だとわかったのは・・少し経ってからだ――

彼女はそのことをとても悲しんでいた・・僕もそうだった。

やりきれなくて、お酒を飲んだ。馬鹿みたいに飲んだ。終電の時間はとうに過ぎていた。)

(タクシー代が勿体ないからと、僕はよかったら、僕の部屋へ泊まらないかといった。

僕はもちろん、彼女に指一本触れるつもりはなかった。彼女もそれを信じた。・・)

(僕は彼女が酔い潰れて眠っているのを見ながら、別に、それ以上何もするつもりはなかった。

確かに僕は好きだったけれど・・好きだからって、親友を裏切ることはできない。)

(でも一緒の部屋にいて、酔っ払っていると・・僕は親友のことを完璧に忘れている、

情けない自分に気付いた。僕は心の中で、イメージの中で、ロールプレイする・・

何度も彼女を抱いた――そしてそれは、糸がほどけてゆくように・・)

(僕の気持ちを解いた。存在意義・・豆電球の薄闇の中で・・燃え尽きた時刻、

彼女の姿は青く・・ぼうっと輝いていた。目を閉じると、僕をはるかな昔に連れ戻すようだ・・

心臓のひびき、何日も・・何十日も、そうして耳をかたむけていることのできる不思議な詩。

やわらかな肉体がそこにあると思った。静かで、しんとして・・まるで廃墟の中に、

あるいは、世界で二人だけしかいないみたいに、僕の気持ちを解いた――)

(魔法はいつだって――大人になると、なくなってしまう・・目が光る――両手をつく・・

映画のラストシーンは見れない・・)

(次の日、僕は親友にそのことを話した――抵抗する術をうしなった彼に、

こんな馬鹿なことを言って申し訳ない。本当に申し訳ない、

でも、指一本も手を出していない。それだけは安心してほしい。

でもだから、もう傍にいることはできない、と僕は言った。)

(薄いからだ・・見れば花びらに触れる――)

(彼はそのことで、僕を責めたりはしなかった――でも、自分の死期を悟っていた彼は、

お前が好きだよ、と言った・・一定の圧力を伴って――)

(それは繰り返し――僕の胸の中で響いた・・森の木洩れ日のなかを抜けると、

葉を震わしていた・・大きな樹がある――さあ、話してくれ・・

と、くらやみの中へ踏み込む――)


「彼からの手紙がある・・あなたが、会社を辞めたことも知ってる。

引っ越したことも知ってる。どうしてそうしたのかも知ってる――

けれど・・どうして自分をそんなに責めるの・・・」

「僕は――僕は・・・」


(彼は言った・・でも、俺が死ぬまでは、もう会わないでくれないか。

お前が彼女を好きなことは、正直言うと、会わせた時から気付いてた――

・・でも俺はお前が変な真似をしないことを知っていた。いまだってそうだ、

馬鹿正直に・・こんな話をしてる――)

(いつまでだって浮かんでこない、錘・・)

(昔から隠すのが下手なんだ、と僕は言った・・)

(そうさ、きっと・・なくしてしまうことの方が多いんだ――)

(物語りの欠くべからざる一部のように、目と目が合い・・静かすぎる苦笑をした。

そして彼は言った・・でも、いまそうされると、俺は切ない。

俺は本当に彼女のことを愛しているから・・と彼は言った――)

(僕の答えは決まっている。知ってる・・だから、もうお前とも、

彼女とも会わない――)

(ざわざわと――北風が葉を揺らす・・鈍重・・・が、襲ってくる――)

(でもそれは困る・・押し問答だった。けれど、彼はなかなか人生巧者で、

目の前に、しゃっしゃっ、とカードを切って、投げてくる。

お得意のイカサマで、ロイヤルストレートフラッシュ。)

(得意げで、運がつづくねとうそぶく奴に、俺は手札を見せた、

どうしてだろう、お前の出したカードが俺の手札にある――)

(二枚はじめからあった!)

(・・前に一度、雪山の話をしたね――と話し始めた・・どうだろう、俺が死んだ後、

お前は会社をスパッと辞めるんだ。現実的なペナルティー。)

(ふむ・・それで――とたずねる。ちょっと面白くなってきたのだ・・

彼は悪戯をよくする少年で、そんな時、心底おもしろい悪だくみに、

ニヤニヤする――それで何度、困った目に遭ったか知れないが、一度だって、

僕はそんな彼の話を遮ったこともなければ、その話にのらなかったこともない。)

(・・それで、登山道具を揃えて、お前は俺が指定する山にのぼる。

遺書にそれを書いておく。彼女からお前に渡される遺書を読んでくれ――

そしてお前はそれができなければ、

すっぱり彼女を諦める・・いまのお前の言い分の通りだ。

どっちみち諦めるなら――いやいや、諦めるとみせかけて、

焼けぼっくいに火がついたパターン・・)

(なあ、お前ってすごいよな、お前の彼女だぜ、と笑いながら、

僕は彼に手を差し出した――でも一瞬、息が詰まった・・でも、できるなら、

長く生きてくれよ――)


彼の死後、その遺書はちゃんと僕の手元へ来た。

僕は言われたとおり、仕事を辞めた・・しかし、実を言うと、どっちみち、

辞めてしまうつもりだった。AボタンをクリックしてBボタンを押すような仕事、

空気は薄く、銃は重い――

毎日十字キーを押しているような仕事を辞めるいい口実になった。

色んなことが空に飛んでった、と比喩的に思ったくらいだ・・

ねえそうだろう?

手紙には、富士登山、と書かれていて、僕は腹の底から本当に笑ってしまった。

・・・いや、俺、ずぶの素人なんだぜ、お前どこまで俺を殺す気なんだ、と思った。

けれど、時間指定もきちんとしてあって、何日までに道具をそろえる、会社を辞めると、

事細かに説明されていた。そして僕は、その通りにした。

ついでに言えば、手紙を読み終わったあと、すぐアパートを引き払った。

荷物は少しずつ減らして、それでも必要最低限のものだけ貸しガレージの中にしまいこみ、

僕はシティホテルに泊まりながら、荷物を揃え、馬鹿な気持ちを満たした・・

ねえ、それでも、もう、手紙の主はいないんだぜ?


――でもどうして、目の前にその彼女がいて、僕の進路を阻むのかがわからなかった。

「これは、彼との約束なんだ。」

語り掛けるような――ひそやかな風・・

次第に透明度を増しながら――泡がはじける・・

「馬鹿ね、約束なんかはじめからないのよ・・わたしに宛てた遺書には、

あなたがわたしを好きだってきちんと書かれてあったわよ。」

僕は、なんだか、あたふたした。はめられた――俺はあいつにやられたのか、と、

遅まきながら気付いた。

しかし遠ざかっていた死者の記憶が・・なまなましく甦る――

少しずつ忘れていく、でも何かの拍子に思い出す・・まるで、小学校の時の転校みたいに、

延々と省みられることのなかたった、やさしい気持ちがそこで顔を出す。

「・・あなたが彼の死後、何日かして、必ずここに来るはずだから、

もし、あなたが好きならここで待て、行かせたら、多分死ぬ、と書かれてあったわよ。

でもねえ・・ちょっとふざけてませんか、わたし、最愛の恋人を亡くして、

どうしてすぐに、あなたが好きとかどうとかの話ができるの。

――あなたとすごく話をしたかったけど、アパートは引き払うわ、会社辞めるわ、

・・・確かに、そういうようなことは書かれてあったけど、どうしてそこまで――ねえ、彼の?」

それとも――と、彼女の唇は震えた・・わたしの、と――

静脈がくっきりと浮き出ている――月の光・・

「いや、両方だよ・・あいつが望んだことをかなえてやれるのは、

――だって多分、死ぬ間際まで、あいつ、そのことを考えてすごく幸せだったと思うから。

親友の恋人を好きになっちゃうような奴が、あいつにしてやれることって・・

そういうことしかないだろう――それに、・・」

もしかしたら、死ぬかも知れない――そうなれば、もうこんなわけのわからない気持ちに、

囚われなくて済む。部屋の整理をすすめながら、アルバムを見つけた。

高校生時代の写真・・親友が死ぬのを待ち望んでいるような自分の時間に、

僕は何度、吐き気を覚えたか知れない。あの頃の僕等は・・と考えると、やりきれなかった。

長い間つなぎとめていた友情も、恋の前で消え去ってしまうのかと思うと、僕は怖かった。

棺の中にいる彼を想像しても怖くない・・人はいつか死ぬ、何も怖いことはない――

怖いのはもっと別のこと・・別のことだ――


彼女は真面目な顔をして言った。

そして僕は、もう約束を守ることはできないことを無意識に悟った。

ゲームオーヴァー、やっぱりあいつのイカサマを見破る時は、

僕の手に、奴のカードがある時だけだ。

「う・・とりあえず部屋の埃を払いましょう。アパートを借りて、あなたはまず仕事を探すの。

いい?――それで、あなたはお給料をもらって、わたしとデートするの・・いい?」

できるでしょ、と彼女は僕の肩に手を置いた。

僕は長い間、目を閉じていたような気がするほど、死と向かい合っていた――

僕は、はたして友情のために、それとも恋のために・・

それとも――と考えながら、どっしりした布でおおわれ、花をいれられ、

火葬されるのだろう。人生にはいつだって、謎がついてまわる。

いつか解き明かせる日がやって来るだろうか、と僕は目を開けて、考えていた。

そして僕は彼女を見た・・彼女は美しく、そして、きちんと生きようとしていた。

東の空が赤く燃える・・うごきまわ――り・・そして、つたわってくる――

「こんな馬鹿なお願いに付き合う人なんだから――」


(実を言うと・・あの夜、彼が襲ってきてもわたしは、拒めなかったかも知れない――

彼が目をつむって、いびきをかき始めるまで、わたしはずっと寝たふりをしていた。)

(酔っ払ってはいたけれど、意識は・・はっきりしていた――

ぷつん、と電気を消した時、暗闇――それもきちんと覚えていた・・

動きにくい身体に、見えにくい世界に、身体の向きを変えて――

そう、ようやく信号が変わったように、彼を見た時・・おぼろげながら――)

(床板を通して、彼の人生を想像した・・いくつも街角を曲るように想像した――

ポッカリと水の上に甲羅と顔をだしている亀のしたたかさみたいに・・

そんなの違う、とは思った。だって、私は恋人のことがすごく大好きだった。

けれど、もしかして、と思わなかったといえば、

嘘になる。すごくドキドキした――ピアノコンクールで演奏しようとして、いきなり失敗した時みたいに、

冷汗が出た。そしてその動きに押し流されそうな自分が、

すごく嫌だった。だって、恋人はもうすぐ私の目の前からいなくなってしまう。

次の恋ができるだろうか、できないだろう、と普通ならそう思う・・でも、わたしは・・・)

(違っていた。長い赤信号を前にしながら、まったく別の風景を見ていた・・

横断歩道の向こうには、彼がいた・・恋人の親友の彼がいた――

一秒ごとに時間を呟く目覚まし時計は、わたしの気持ちを変えさせるのに十分だった。

でもそう思う自分がすごく恥ずかしかった・・)

(下流へ下流へと――

押し流されていく・・身も魂も埋もれそうな海へと、流されてゆく――)

(けれど、すべてを絶望しきっているはずなのに、彼が傍にいるという幸福感はどうだろう・・

命を封じ込めた人影、光がいまどこにあるのかとさまよう瞳・・

安心して手を出さないから、と言った時、それを素直に信じながら――

心のどこかで、果てしない人生の旅が見えた・・)

(目から涙がこぼれてきたのだ・・それは先程の飲み屋での、回路とは違っていた・・

錆びつこうとしていたポンプから、あたらしい水が・・咽喉の渇きを満たすためにあふれてきた。

その瞬間、わたしは衝撃的な予感に襲われ――音もないのに、それは譜面があるわけではないのに、

多分、彼を愛してしまうだろう、と思った。

恋人の死を目の前にして、何と自分勝手な女だろうと思いながら、

あのショッピングの時、あの・・映画館へと行く時、どんなに匿しても隠しても、

自分の気持ちが表へと出ようとした――)

(暗闇はうごめく人の気配であふれているから――火を点けられてしまう・・と――

こわくなる・・だから扉の向こうは、夢の境――)

(わたしは恋人の看護に前以上に優しく接するようにした。自分の気持ちを悟られないように、

という気まずさ、後ろめたさもあったかも知れない。

だが、彼はその間、一度も病院へやって来なかった・・)

(何かあったのだろうか、どうかしたんだろうか、と思った――

もしかしてわたしが揺れているのを彼に気付かれてしまったんだろうか?)

(何度も何度も、電話をかけそうになった。理由はなかった。ただ、

彼ともう一度会いたくて・・そうすればこの心のもやもやがなくなるような気がして――

絵の下にたたずんでいる・・風の谷・・・)

(子供の時・・読んだ――名前を忘れた絵本・・

そこでは・・色んなものを思い出すことができる――)

(そして、恋人は死んだ。そして、目の前には遺書が置かれてあった。

わたしは、彼にようやく電話をかけ、アパートまで行き、手紙を渡した――

彼は、その手紙を受け取ると、少しやせたね、本当にお疲れ様でした、と言った。)

(すごく嬉しかった・・彼は多分、わたしに気を遣っていたんだろう、と思った――

でも、わたしに残された遺書には、それとはまったく違うことが書かれていた・・)

(痩せた兎が考えていたこと――それはもしかしたら・・

不思議の国の世界のことだったのかも知れない――)

(アパートへ行くと、空き家になっていた。不動産屋に無理を言って、彼の会社を教えてもらい、

行ってみると、一足違いで、会社も辞めていた――

そして私は恋人の下らないゲームに付き合うことになった・・)

(腹が立たなかったかといえば、立った・・でもふざけないで、と怒りながら、

あの人は途方もなく無責任なヒトなのだ、と思いながら、してやったりとほくそ笑む顔。

その実、気持ちが跳ねるのを抑えられなかった――だって、恋人も、そして彼も、

こうしてほしい、こうしたいという順序で、君も参加するかい、その気があるなら、そうしていい、

と暗黙の了解を告げていたからだ――)

(わたしは、山を登ろうとする彼を見た時・・人生ってすごい、

と不思議な空気に包まれたような気がした。初めからやり直せそうな気がする・・)

(わたしは、彼が仕事を見つけて会いに来るまで・・どきどきしながら、待つつもりだ。

今度は――きっと・・彼に抱かれるだろ――う・・)



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