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カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席  第305席

さて、
先週は「競技会場の全体を見たい」という
嗜好に触れ、考えた。(そうかな?)

試合中にも、ベンチやピット(整備班)に
視線を落としたら、天衣無縫の天才プレイヤと
努力型の秀才プレイヤが激突している以外の
「動き」に気づくかもしれない。
つまり「次に何が起こるか」という期待感と、
予測を立てることによって、
選手やチームの自己評価に反映させるという
面白みを見いだす人も多い。そういうことだ。

では、アニメーションではどうだろうか。

アニメは「絵」である以上、すべて『作り事』だ。
逆に言えば
「作らなければ存在しない」という事になる。
カメラが向いていない場所は
はなから「存在しない」のだ。
ここが実写映画やドラマ(の現場)と
大きく異なる所だろう。

映画などのエキストラだと
「主演の人の後ろを歩いてください」といえば
買い物であれ、カップルのブラブラであれ、
各々が演出の枠を出ない域で
アドリブで動いてくれる(エキストラには
細かい指示はあまりされない)けれども、
アニメーションという「絵」ではそうはいかない。

表情はもちろん、
つま先の向き、膝の曲げ下ろし、指のかたち、
髪型だってそれぞれに「作り出す」ことが
要求される。
だから主要キャラクタのほかにも
「画面に人物が映り込む」状況で、
なおかつ、それらの人物が
主要キャラクタと同等の激しい運動を
おこなっているようなスポーツの描写となると、
これはもう、作業量として想像を絶する。

人間(キャラクタ)だけではない。
「対象と同じ動きをする
カメラで追いかける」場合ならば、
つまりは「背景」(建築など)が
常に動いていなければならない、と
いうことになる。
もちろん、
登場人物は静止しているわけではない。
別れた友人を思いながら、
涙ながらの全力疾走だったり、
迫り来る最新型のモンスターマシンの
動向を気にしながら、
激しくギアやハンドルの
操作をしなければならないのだ。

プロスポーツを設定する物語であれば、
「観客席」の人々も画面上では
高速で動いていなければ
不自然(に感じてしまう部分)が
多くなってしまうのだ。

アニメーションにおける、
会場が満員のコンサート風景のような場合、
テージ上の女の子たちは良く動いているけれど、
実際のミュージシャン(売れている)たちの
ライブビデオなどの映像と比べると、
動く(自走式など)カメラで
「会場にいる観客」というシーンを
見つける事はあまり多くはない。

会場の大きさやファンの総数というのは
『作り事』であるアニメのほうが
はるかに巨大なものとして
設定されているようにみえるのに、
「巨大さ/壮大さ」をスポイルするように、
固定されたカメラワークが基本になっているのは
むしろこの理由からだと推察できる。

絵を描く(時期的に、
描きはじめている諸氏も多い?)人なら
わかるだろう。
背景も込みの絵は情報量(手間)が
圧倒的に増えるのだ。
さらに、スポーツの場合、
『劇中劇』(ステージ)と違って、
カメラのアングルが多角的になる。
「基本的に観客側から舞台をみている」という
形ではないからだ。
たいていのプロスポーツは観客席で
試合用のコートがぐるりと取り囲まれている。

ということはつまり、
一切が別人である観客たちが、
それぞれの表情で、それぞれのリアクションで
コートを注視している衆人環視の下で、
常人ならざる運動能力をもったアスリート達が
とんだりはねたりまわったりするのだ。

絵でこれを徹底的に描写することが
必須となる設定の物語の
アニメなど、それだけでもう
「エベレストを昇るつもりです」と明言している
ようなものなのである。大変な仕事である!

さらに専門でないとはいえ、
学生時代に経験はした人間が多いスポーツが
舞台背景となると、奇跡の人も真っ青の、
何重苦を背負うつもりですかという感じだ。
「体験しているもの」だからこそ、
ファンタジーの境目が難しくなる。
高くジャンプした際に
翼が生えて羽が舞ったり、
小さい光の星が観客を洗脳するかのように
会場を覆ったり、
というようなイメージを
「背景(観客)を隠す」テクニックで
多用してしまうと、そこでその作品は
『ギャグコメディ』と位置づけられてしまう
可能性が高くなる。
このかねあいが試合の流れ決定づける。
まさにトラジション・ゲームだ。(用法不適切?)

すると『黒子のバスケ』はどうだろうか。

おお、まったく翼が生えない。
ダンクを決めるヤツも、パスを回すヤツも
スクリーン(壁になって動きを阻む役)の誰にも
翼が生えてこないではないか!

専門的にはバスケをプレイしたことなどない
国井のレベルではプロスペックの競技者の
動きとして
「どこまでが動いてどこまでが動いていない」かは
もうわからない! ここがすばらしい!

さらに国井的に特筆すべきは

『ユニフォームの胸元をたぐって
 口元の汗をふく』

ここの描写よっ!
ここよ! あたしの視点はここなのよっ!
誰がなんというと、
カッコいい男の子が
「汗をふくしぐさ」って重要なのっ!
きゃぁ! きゃぁぁぁ~!!!

     yuri.jpg

さて。
来週はせっかくだから(?)
動く壁(背景/人物)に対して、
「静止」について考えてみようか。
もちろん、
「絵が動いていないアニメ」などという
話ではない。





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最終更新日  2012.07.13 15:21:58


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