|
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は朝から目が痒く、くしゃみを連発しています。
たぶん白樺花粉症なんでしょう。 軽いのですが、何かしら身体的にしんどい部分があると、 精神的には楽になります。 たぶん、軽症だからなんでしょうが、気分がちょっと軽くなります。 我ながら、変なやつだと思います^^; 私が頑丈なのは昔からですが、 頑丈な分だけ、精神的には負担を感じます。 何か、ズルをしているような気持ちになります。 その分、人より働かなければならない、 人より負担をしなければならないと思ってしまいます。 だから、何か症状が出てくると、 すごくうれしかったりします。 その気持ちは、大学後半4年生から6年生の頃が顕著でした。 研究室に配属になり、 授業のほかに研究室での雑務が義務になりました。 私たちの教室の場合は犬猫の診療がメインでしたので、 実験動物(犬・猫)の世話や、 診療に当たる教官の補助、 入院した動物(犬猫)がいれば、その世話、 診療に使う機械類のメンテナンス、物品補充、 その他掃除だとか実験器具の洗い物とか、 たまに教授に来客があればお茶だしとか、 まあ、そんな感じです。 入院している犬や猫の点滴がよくはずれるので、 その見張り番のために泊り込みするようなこともしていました。 動物の世話は、当たり前ですが、土日祝日無関係です。 夏や冬の長期休みも同じです。 教室での授業や実習がないだけで、 研究室のためにほとんど帰省もせずに学校に通ってました。 (一応順番に1週間程度帰省したこともあったか) 今はどうなってるのか知らないですが、 うちは教授秘書とかいるような環境ではなかったので^^; そういったことは、全部学生がやってました。 (無論、無給です。むしろ授業料払ってました) 別にすごくたくさんの仕事があったわけではないのですが、 それまでと違って、通学に義務が課せられた感じでした。 でも、そう感じていたのは、私だけだったのかもしれません。 学生なのだから授業を受けてりゃいいのかというと 私たちのいた大学の学科はそうではなくて、 研究室に配属になると、 授業の合間を縫いながら、配属の研究室で化せられる実験をしたり、 ゼミのための勉強をしたりしなければならなくなるのです。 その厳しさや、 研究テーマが与えられる、もしくは自分で設定する人もいましたが、 その時期は研究室によって違っていましたし、 または人によっても違っていました。 私の入った研究室はというと、その辺がとてもルーズな感じでして。 っていうか、2個上の先輩2名は普通に真面目な学生だったんですが、 1個上3名がやたらにルーズでして、 全員が専門科目のほとんどの単位を落として再履修しているような(汗) しかも、そのうちひとりは、すでにできちゃった結婚をしていて、 子どもがまだ赤ちゃん、というような状態。 そんでまた、学内の教官連中の人間関係ってのがめっちゃ悪かったりして、 そのしわ寄せを一身に受けている研究室でもあって、 ハッキリいってしまえば、島流しにあった先生方の集まりだったんですね。 集まりっていっても、2人だけど。 うちは大動物(牛馬)の診療を売りにしていた大学なので、 小動物(犬猫)の診療なんて、ケッて感じでした。 なにしろ、教授からして、うちの研究室の看板業務が専門外(爆) 基礎系で試験管振ってた先生が、いきなり犬猫の診療するのは ハッキリいって無謀なんですが、そういう無謀がまかり通っていました。 舐められていたんですね、犬猫の診療。 なので、教授が診療する日ってのは週に1日しかなく、 その日はほとんど患者が来ないわけです^^; で、メインでやっていたのは、これまた大動物内科出身の助手の先生。 助教授のポストが設定されていない研究室だったので、 どうしても助教授に上がれず、年中ぼやいていた感じの先生でした。 大動物のお下がりのような薬品などを使って、 レントゲンとかは隣の放射線教室のを借りたりして、 細々と犬猫の診療を長年やってこられた感じです。 今でこそ、犬猫専門の獣医師には脚光が当たっていますが、 当時は端境期でして、完璧に日陰の部門でした。 しかも、病院には事務方という部門に配属されている事務官なんかもいたんですが、 これが「仕事をしない官僚」の見本のような人たちで^^; この人たちとも仲が悪くなり、それが波及したのか、 私が入った頃にはあまり患者さん、来なくなってました>< ちなみに、私の指導教官であり、恩師と呼んでいるのはこの先生です。 出身高校が同じなので、それもあってかわいがっては頂きました。 でもって、上記の仕事ってのは、 だいたい下っ端の4年生におっつけられるもんなんですが・・・ まず、同期3人のうち、早々に土日にほかの2人が出てこなくなりました。 具合が悪くなった、といわれれば、しょうがないね、と私はいうしかありません。 私がやるしかありません。 だって、私には悪いところがないので。 実験動物の世話は4年生の仕事でしたが、 助手の先生の診療補助は5年生も行う義務がありましたが、 ・・・5年生、やって来ません。 6年生は授業はありませんが、卒論の実験を抱えているので、 免除というか、自由参加です。 まあ、出てきません。 土日に来なくなった2人が、 平日も出てこなくなるのは時間の問題でした。 でもね。 具合が悪いと言うわりに、 彼らは授業の時間には、教室に姿を見せるんです。 教科書が研究室の机においてあるので、それをとりに来るわけです。 確かにひとりは、原因不明の微熱が続いていたらしく、 なんとか授業には出席している、といった感じだったんですが・・・ だけど、部活(バレーボール)には参加しているという。 後輩の人数が少ないんでと。 もうひとりは、そのうち開き直って、「起きれないんだもん」とかいうようになり、 精神的につらいんだ、みたいなことを言うようにもなり。 彼女とは今でも年賀状やメールを時々やり取りする中ではあり、 今なら私もその頃の彼女の悩みとか、分かるんですけどね。 周りにすすめられて入ったはいいけど、 入ってから自分には合わない勉強だと気づいたっていうやつです。 でも、退学する決心もつかない・・・といったような感じ。 おまけに半年くらい経った頃、その子は事故にあってしまい、 怪我のために半年ほど学校に来られなくなりました(汗) まあ、そういうわけで、私は一人で研究室の仕事を全部引き受ける形になったのです。 つっても、素直に受けられるほど寛容な人間ではなかったので、 他の教室の友人なんかに愚痴りまくりましたが、 ほかの研究室に比べたら、全然たいした量の仕事じゃないんで、 その程度で愚痴愚痴言ってる方が悪いという感じになり・・・。 というのは、その人も、体の弱い人だったので、 しょっちゅう具合を悪くする人の肩をもつのは当然ですよね^^; そんなわけで、私は友人もどんどんなくしていくことになりました。 この4年生の夏頃から、特に昼食をとるために家に帰った後、 (アパートが徒歩10分だったので、昼食代節約のため帰ることが多かったです) 午後の授業に出ることに億劫さを感じるようになりました。 昼食に時間がかかったということならば、ちょっとした言い訳になります。 誰への言い訳かって、自分への言い訳ですが^^; で、食べるものが、たとえばトースト1枚が2枚に、2枚が3枚に・・・ といった感じでみるみる増えました。 その前から体重を気にして食後に吐くことはあったのですが、 食べる量が増えたのは、この頃からです。 ちなみに、今は腹筋に力を入れるだけで吐けるようになってしまいましたが、 この頃はまだ指を使っていました。 冬くらいには、3食すべてを食べ吐きするようになっていきました。 このことだけは、誰にも相談できませんでした。 まあ、仕事を全部、というと語弊があるか。 時々、都合のいいときには、バレー部の彼は犬猫の世話とか引き受けてくれました。 でも、自分の都合のいいときに限られていたようです。 私にも用事が入るときがあり、 急遽地元に帰らなければならなくなったときに仕事を頼むと (その頃は、私がするのが当然みたいになっていたので、 仕事は「頼まなければならない」状態だったんですよね) 「その日試合があるから駄目」とかいわれて困ったことがありました。 試合なら、前もって分かっていたはずなのに、 それを教えておいてくれないあたりに、さすがにむかついたんですよね。 でも、こんなことも4年生が終われば、次の代の子に引き継げると 少しは楽になるだろうと思っていました。 なので、冬の朝はマイナス20度を平気で下回るかの地で、 当時は外に実験動物(犬)をおいていたので、 その世話に1人で追われるのはなかなか酷でしたが、 頑張って耐えていました。 この頃すでに、朝が起きられない状態になっており、 5時半に止めてもなるタイプの目覚ましとラジオのタイマーをかけておいても、 起き上がれるのはようよう7時すぎくらい、 食パンを一斤食べつくして吐いて、 ようやく8時の登校時間に間に合わせるといった感じでした。 土日にはどうしても学校に行くことができなくなり、 (食料調達のために、スーパーには行けるんですが) 白状すると、実験動物の犬猫にゴハンをあげられなかったこともありました。 が・・・。 ・・・まあ、思い出話はつきませんが、 文字数の関係で、この辺で一度アップします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月05日 19時24分33秒
コメント(0) | コメントを書く |