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カテゴリ:教会のこと
にほんブログ村 皆様。今晩は。 昨今のブログ村は、祝福に関する話が多く見受けられます。”ゆんまちゃん”さんの36万双のときの韓国の祝福の条件がざるだった。(僕の勝手な解釈です。) 確かに、祝福の候補者たちが、ある一定のレベルを満たしていないと・・・問題になる事ぐらい、想像できそうだけどね。もう、そこには、信頼性もなにもあったもんじゃない。 一度でも、信頼性を失う出来事があったなら・・・もう祝福に、二の足を踏むようになるだろう。そのように考えると、ある有名信者さまの選択や既成祝福を自ら選ぶということは、すばらしかったのかもしれません。ある意味、背後の霊界に守られていたのかもしれません。 教会のマッチングシステムに信用がおけん。自分で選ぶ???何てね。 さて、この手紙は、昔、ネットで僕が読んだのと同じかどうかはわかりませんが、その当時のシックたちの思いがつまったものだろうと思う。 ようさんのブログにも引用されていましたね。2chの統一教会の何が悪いPart19にも全文が掲載されていましたね。感謝します!! 1983年に1610双の間で出まわり、内部で大きな問題となった文章らしいのです。 さて、1610双は、1978年、日本の埼玉で行われた約婚式です。その後、祝福式が無く・・・1982年の6000双といっしょに行われました。つまり、この間でもうすでに4年が経過しているのです。その後の祝福といえば、1988年の6500双まで待たなければいけませんでした。 想像すれば、この狭間の中にいた人たちには、不運な人もいたことでしょう。 ↓↓↓ 「しあわせの手紙」 前略 1610双の一員である私達はマッチング以来すでに五年、セレモニー以来やがて十ヶ月近くの歳月がたとうとしているにもかかわらず、いまだに家庭を持つことが許されず、そればかりか家庭を持つ基準等というものが、教会幹部によって決定されたかのごとく、兄弟姉妹達には伝えられているようです。このような事態に対し、すでに二種類の抗議の手紙が全国の1610双の間に広まっていますが、私達もこの動きに対し深い理解を示すと共に、それに呼応して立ち上がり教会本部及び教会幹部に対し家庭を持つ基準について全国的に方針を撤回し、再検討することを申し入れるものです。 以下、常日頃、私達が本部方針に対して疑問を抱き、不信に感じていることを何項目かにわたって書きますが、単に不信仰者の不平、不満ににすぎないという次元にとらえることなく、統一教会の真の発展のためにどうか真摯な姿勢でこの手紙を受けとられんことを心から願うものです。 〔家庭を持つ基準について〕 1) 1978年9月に祝福を受けた1610双は、何年か後には家庭を持つようになることは火を見るよりも事実であったはずです。ならば、1610双の場合はどのような基準で家庭を持たせるかについては、とうの昔に方針が決定されてしかるべきではなかったでしょうか。そして、その方針に基づいて霊の子女がいない人は伝道ができる部署に一定期間人事してやるなどの、血の通った思いやりのある細かい配慮があって当然ではありませんか。しかし、そのような事は全く行なわれず、四年も待った末の晴れのセレモニー、これでやっと家庭が築けるかと喜んだのもつかの間、あまりにも非常識な基準が示され、今や私達は絶望のどん底に落とされてしまったのです。 いったい幹部達はこの数年の間、1610双のことをどのように考えてきたのでしょうか。 2) 時ならぬ時に取って食べたのが堕落であったとするならば、私達1610双はすでに食べるときを迎えているはず、だが刈り入れの時に来ているにもかかわらず、刈り入れが遅れれば、熟しすぎた実は、落ちていく他はありません。1610双のうちすでに何百組もが崩壊しているようですが、これ以上の崩壊を招きたいのですか。 3) 33才(35才)以上で家庭を持っても、充分に心身に支障がない子供が産め、母子共に健康に育つことをいったい誰が保証してくれるというのでしょうか。そうした事を幹部(特に女性幹部)の方々は自ら体験した上でのこのような過酷な要求なのでしょうか。又子供を無事に授かったとしても、30代後半での初産ともなれば、せいぜい一人授かるのが限度、多くても二人程度でしょう。しかし、幹部婦人の中には四人ばかりか五人も子供を産み(これは戦前の多産時代の基準です)、さらに人事と称してお手伝いを入れ、子供の面倒を見させている人もいます。自分達はそのような境遇にありながら、なぜこれ程シビアな内容を1610双に要求することができるのでしょうか。教会の初期に復帰され苦労した者には、そのような特権がお父様から与えられているのでしょうか。私達は、幹部の方々の常識と人格の程度を疑わずにはい られません。 4) 幹部の方達は自分の相対者を35才すぎまで独身のままでおき、高齢出産の不安におびえ続けさせることができるのですか。自らも耐えられない避けて通りたいようなこの苦しみを、貴方達はどうして他人に要求できるのですか、不思議でなりません。 5) 家庭を持たせるための基準が、ここ数カ月のうちに何度も変わっています。猫の眼でさえこれ程までは変わらないと思える程です。という事は、すなわちこの基準は原理的に何の意味もないことを意味し、さらに幹部の方々が1610双をどのように考えているかを端的に示していると言えるでしょう。幹部にとっては1610双が家庭を持つという事は、今や、やっかいなもの以外の何ものでもなく、いかにして家庭を持つ時期を遅らせるか、そのことに知恵をめぐらせる日々ではないかと察せられます。 6) 小山田婦人は「祝福」の編集責任者のようですが、今や1610双がどういう気持ちで「祝福」を読んでいるかご存じでしょうか。かつては、先輩家庭の証しやら、子供達の様子など、それなりに参考になり楽しく読ませてもらいましたが、今ではそのようなものを読ませられるのは、苦痛以外の何ものでもありません。1610双の女性達にとって出産予定や子女誕生のページがどれほど苦痛となっているか分かっているのですか。 7) 女性の年齢ばかりを基準にしていますが、男性の年齢も考えてしかるべきではないでしょうか。女性が基準というのは、子供を産む肉体的限界を考えてのことでしょうが、これはあまりにも唯物的考え方だと思います。男性といえども30才をすぎれば、心情的にも肉体的にも人格形成上も家庭をもつべき時期のはず。それを女性の年齢のみを考え、それが子供が産めるギリギリの限界だというのであれば、これほど人間をバカにした唯物論はほかにありません。いくら今の時期経済復帰に大変だとはいえ、もう少し教会らしい、宗教者らしい心情的配慮があっても当然ではないでしょうか。 8) それでもなお、現行の基準をあてはめようというのであれば、その基準を1610双に要求する以前に、まず幹部の方が自ら、それも特に夫人が夫と子供を置いて開拓伝道に出るなりして、家庭を犠牲にするというように、自ら模範を示すべきではありませんか。その上での1610双への要求ならまだ筋が通るというものです。しかしそのようなことはなく、私達1610双にのみなぜ家庭を持てない苦痛をこれほどまで与えるのですか。なぜ口数ばかり多く、自ら先頭になって出ていかないのですか。 ↑↑↑ すべてのシックたちがこういう基準なら・・・まあ、仕方がないとして諦めるかもしれませんが、1800双より上の人たちは、30歳までにしっれと家庭出発しているわけですから・・・ なかなか、納得できるものではありませんね。 ある先輩家庭の話によると、6000双は半分くらいの人たちが離れていったとさ。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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