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しまねこしねま

ぴゅう子伝説


ぴゅう子

1995-2004

ぴゅう子は、9年前の秋に我が家に来た。
ペットショップの里親募集の貼紙で、そのあまりのかわいさに
ひかれて思わずもらいにいってしまった。
つれて帰る車の中で、私の持っていたアイスクリームを
おいしそうになめたのが、私から与えた最初のたべものだ。



あまり鳴かずおとなしく、いつも遠くをながめながら一人で遊んでいるような
猫だった。人になついたりじゃれついたりということもあまりしなくて、
ふと見ると体をのばしていて、それを見られるときまりわるそうにやめてしまう。
いくらでもくつろげばいいのに。なんて笑っていたのだが。
そんなところがかわいかった。
猫のくせにぽくぽく足音をたてて歩いたり、ぐうぐういびきをかいてねていたり。
マヌケたところのあるやつだった。

人にめったに寄ってこない猫だったけど、夜になると妙に
足元にじゃれてくることがあったりして、それから冬の寒い夜だけは、
なぜか私のえりもとにフンフンと寄ってくるので、布団をあけてやると
脇のあたりにすぅっと入ってきてそのまましばらく寝ていくことがしばしばだった。
ふだん寄ってこないだけに、私は冬の夜をいつもとても楽しみにしていたのだ。
今年からは、もうぴゅう子と寝ることができない、と思うと
それが一番、何よりもさびしい。


今年の猛暑も、何とか元気だったと思ったのに、9月に入って
急に何も食べなくなってしまった。最初は「夏バテかな?」と思ったのだが
いちおう病院につれていったら貧血で黄疸がでているといわれ、入院。
でもその日はまだそんなに深刻には考えていなかったのだけど・・・
血の中の赤血球の数値が低くて、新しい血を作る力がないようだった。
食欲もまったく回復せず、それからは日に日に弱っていった。
三日目には、口につけてやった水をなめることすらしなくなり、
眠ると呼吸が少なくなって苦しいので、眠ることもできないようだった。
四日目、最後の検査では赤血球の値は致死ぎりぎりまで下がってしまって、
これ以上の延命治療は苦痛なだけだと判断した。

最期のときに立ち会ったのは主人で、獣医さんもいっしょに泣いてしまったと
言っていた。男二人が猫を前に泣く姿を思うと、悲しくも少しほほえましい。

ぴゅう子の死に顔は、うちに来て6ヶ月目くらいの子猫のときの寝顔に
よく似た、安らかでかわいい顔だった。ここ3~4日、目をつむって
寝たのをみたことがなかったので、やっとゆっくり眠れたんだと思う。
別れは大きな哀しみ・・・でも、それ以上にぴゅう子は9年間の楽しい、
素晴らしい思い出をたくさん私たちに残してくれたと思う。

ありがとう、ぴゅう子。またいつか、会えるかもね。



Farewell Pyuko...



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