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テーマ:映画館で観た映画(8346)
カテゴリ:2007~映画・ドラマ
この映画は7月から公開している映画。
もう今は10月だもんね、ちょっとこちらでの公開が遅いんだけどせっかくだから見てきました。 ☆リトル・チルドレン☆(2006) トッド・フィールド監督 ケイト・ウィンスレッド パトリック・ウィルソン ジェニファー・コネリー ジャッキー・アール・ヘイリー ノア・エメリッヒ ストーリー アメリカ、ボストン郊外の閑静な住宅街ウッドワード・コート。成功したビジネスマンの夫リチャードと3歳になる娘ルーシーと共にここへ引っ越してきた専業主婦のサラ・ピアース。さっそく娘を連れて公園デビューに挑むが、郊外の典型的な主婦の集団に肌が合わず違和感を拭えない。そんな主婦たちの目下の話題は、彼女たちが“プロム・キング”と呼ぶ、学園の人気者タイプの男性のこと。彼の名はブラッド・アダムソン。ドキュメンタリー作家として成功したキャシーを妻に持ち、主夫をしながら司法試験合格を目指していた。サラはちょっとしたイタズラのつもりで、公園に現われたブラッドとハグをしてキスを交わす。軽いお遊びのつもりが、やがてお互いのことが心の中を大きく占めるようになってしまう。そんな中、性犯罪で服役していたロニー・マゴーヴィーが街に戻ってきたことで、街はにわかに騒然となっていく。 不倫話だけなら、目新しいものではないかもしれない。 しかし、そこに幼児性犯罪者とその母親や過去に傷を持つ元警官が絡んでくるのが話を複雑にしているんだね。 不倫話のほうは、結末はくっつくのか分かれるのかの二つの選択肢しかないわけだよね^^) もちろんそこまでの揺れる二人の心をどう表わすのかというのも、見所ではあるのだが。 主人公が年上の友人に誘われて出席する「読書会」がある。 そこでのお題目が「ボヴァリー夫人」 おばあちゃんたちの「ボヴァリー夫人」の解釈がなかなか面白かった。 (といっても実は私は読んだことがない^^;)) うろ覚えだけど、おばあちゃんたちの解釈のほうが進んでいるというか、年齢を重ねてきただけのことはある「ボヴァリー夫人擁護論」だったように思う。 ボヴァリー夫人の戦いを援護していたのよね。 便利なWikipediaから「ボヴァリー夫人」を調べてきました^^) 田舎の医者シャルル・ボヴァリーの妻、エンマ・ボヴァリーがヒロインとなり、平凡な生活から抜け出そうと無謀な恋に走り、破綻に陥るまでを描いた。 主人公エマのように理想と現実のギャップに苦しむ状態を、ボヴァリズムと言われるようになった。 なるほど、なるほど。この映画のサラも郊外のこの生活や子供の世話にあけくれる生活から抜け出たかった。 一方その浮気相手のブラッドは、妻に生活を支えられながら司法試験に臨むが実際は主夫として息子の面倒を見る毎日。 しかもこの息子は妻が帰ってくると、べったりと母親にくっついている。 日中あんなに面倒を見て遊んでいるのにだ。 こうして二人は、子供を通してよき友人であろうとしながらもお互いを意識し接近していく。 そしてなるようになっていくわけなのだ。 ケイト&ジェニファー。 サラ(ケイト・ウィンスレッド)が夫と関係していることに気がつく妻(ジェニファー・コネリー)の図。 現代のボヴァリー夫人は、当時とは違って選択肢はいろいろある。 小説のボヴァリー夫人は借金が元で、恋人だと思った男にも裏切られ自害してしまうのだが・・ サラとブラッドの選択は、ほっとする・・・ 二人は→駆け落ちしようとするのだが、アクシデントもあったりしてお互いもとの生活に戻ることを決めるのだ。 いまどきアメリカで駆け落ちなんてと思ったりしたけれどもね^^) しかし、この二人が新しい生活を始めたとしても、失敗するだろうなと思う。 ただ今の生活の不満から逃げたいというだけなのだから。 新しい生活は結局何も変わり映えのしないものになって、再び「理想と違う生活」から逃げ出したいと思うだけだったろう。 というわけで、二人が今の生活に戻ったことはほっとしたというわけなのだ。← 大人であるというのは、結局誰かのために生きることができるかということなんではないかな、なんて考えてしまった。 そうなると、私などまだまだ大人にはなりきれていないと反省しつつ・・・・ さてそういう二人の話とは別に、幼児性犯罪者とその母親の話が絡む。 直接は二人とは関係ないので、どういう意図でこの話が入ってきたのかわからないのだが。 アメリカではこういった性犯罪者は、その地域の人たちに公にされているのだね。 子供を持つ親としては特に幼児性犯罪者の手から子供を守るため、必要だとやっぱり考えてしまう。 ただ、どこまでそれを監視していたらいいのかという問題があるのだよね。 元警官が執拗にこの出所してきたロニーという元犯罪者を監視する。 監視というよりも、ほとんど嫌がらせなのだ。 だからといって、このロニーがいい奴というわけでもない。 見ていると思わず顔をしかめたくなる行動があったりするし。 ただ、「母親の愛情」は深いものだ。 このロニーの母親の愛情も、盲目といってもいいかもしれない。 もしかしたらこの愛が息子を罪を犯させたのかもしれない? それはわからないが・・・ だがその母親の愛情に気がついて初めてロニーは、自分自身の手で変わらなくてはいけないと気がついた。 過激ではあるが→やはり幼児性愛という性癖は、変える事はできないものなのだろうか?いろいろな性癖があるとは知っているが、なんにせよそれは相手があってこそのもので相手の合意も得られない特に幼い子供を相手にするというのは、どう考えても卑劣だと思う。 このロニーは母親が心臓発作で亡くなり、自分のこの性癖がすべての元凶であると自分のペニスを切った。 こういう解決しかないのかもしれない。 ← ロニー&その母親。 ロニー役のジャッキー・アール・ヘイリーがかなり不気味にうまかった。 自分の思うままには人生は生きられないって、みんな知っているんだけどどこかで自分だけは何とかなりたいって思うんだよね。。。 自分の一部でもいいから犠牲にして人のために生きること、そんな風に生きたら天国にいけるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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