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引き寄せの法則 【成功のシークレット】

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2005.05.24
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皆様の祈りのお陰で、何度も危篤を乗り切ったジョセフ・キンボア君ですが、
5月18日に永眠されました。謹んでお知らせいたします。享年8才でした。


ジョセフ君2


今回、ジョセフ君を助ける為に、多くの方々の愛と共にアフリカに入りましたが、
もはや普通の薬も効かず、きつい薬も体力が弱って使えないまでに衰退していたそうで
普通の状態を維持していたにも関わらず、容態が急変して、ついに帰らぬ人と
なってしまいました。

ほんのもう少しで会えるところだったのに、私としても残念でなりませんでした。
多くの方々の愛に、結果を出すことが出来ずに、申し訳なく思っております。
ただ、衰弱は大変なもので、最早ここまで生きた事も奇蹟だと現地の人間は言っておりました。
何度も危険な状態を回復したのは、間違いなく皆様の愛と祈りのお陰だと信じます。
ジョセフ君に代わって御礼を申し上げます。

私も、アフリカに入り、まずはジョセフ君の状態を確認し、そして皆様からの愛を
形にするべく動いていました。実際に彼の住んでいるところはかなりの田舎で、
行くのも時間が掛かる上に、その前にどうしても行かなくてはならない所があったので、
彼に会うことが出来ませんでした。ただ、もっと早い時期に(体力がある時に)
対応していなければならなかったらしく、それに対応出来なかった事が、
本当に悔やまれます。


ジョセフ君と家2

私が、初めてジョセフ君に会ったのは、昨年の秋でした。
本当に衝撃的な出会いでした。この地球にこんな世界があるのか と 彼は多くの事を
教えてくれました。それを楽天日記で紹介し また多くの方が 衝撃を受けたことは
又事実だと思います。

彼は始め、もはやこの世は地獄そのものだ という様な 絶望を悲壮を全て背負っている
ような そんな 悲しい顔をしていました。普段からそんな顔をしていました。
私が笑顔で微笑みかけても 始めはぴくりとも表情を変えませんでした。
しかし 話を聞けば、2~3才の時に両親に先立たれ、それからというもの、
たった一人で生きて来た。近所の人の援助を受けながらも 日本の様に親戚が引き取る事
も無く、又、行政の施設に入るわけでもなく、不便な、水も無いところにたった一人、
三畳半ほどのバナナの葉っぱで作った小屋で、彼はずっと生きて来たんです。

私が衝撃だったのは、彼の一日の食事でした。たった芋一切れが 彼の一日の食事でした。
そして小屋の横には その芋を煮る為の 小さな台所がありました。
ずっと一人でそんなことをして来たのです。

ジョセフ君の台所

もう私は 生きた心地がしませんでした。その時に この地球に、絶対に何とかしなければ
ならない、ジョセフ君の様な子供が ひとりぼっちで生きていく そんな世界を絶対に
どうにかしなければ ならない。そう心に誓ったのです。
そして、ジョセフ君の事を日記で紹介したのでした。多くの方々から共感を頂きました。
ジョセフ君は 多くのメッセージを 多くの方々に伝えたと思います。

孤独と闘いながらも 誰も彼を引き取れない現実

そして彼は 小学校に通う年になり、近所の友人達が 学校に通い始めたのを見て
自らの手足で勇気を出して 小学校の門を叩きます。その時に、多少なりとも教科書代、
ノート代が必要な事を知ります。その時にジョセフ君は 自分ではそのお金は出せない事を
悟り、泣きながら学校を立ち去ったそうです。多分数百円の事だと思います。
しかし、それさえ彼は 近所の人の援助を要請することは出来なかった。
普段 食事を分けて頂いているだけでも大変な事を知っていたのです。
それは彼にとって本当に勇気のいる行動だったでしょう。しかしその壁を越えられなかった
絶望感は とっても大きなものだったと思います。本当に可哀想でなりません。


又、今回の病気と闘うにしても、私の現地の友人も頑張って、彼を遠い遠い病院に
連れて行きます。そこで応急処置はしたそうですが、入院が出来るお金をもっていないが為に
ジョセフ君は それだけで病院から帰らなければならなかったのです。
そんな状態から少しでも脱する為に 私もアフリカに向かったのですが 間に合いませんでした。
本当に残念です。
最早病院から追い出された時に、命を落とすことは決定的だったのかも知れません。
そうやってお金が無い人が 病院から追い返されて、そして死んで行く。
こんな現実を本当にどうにかしなければなりません。


ただ ジョセフ君には 皆様の愛が やがて届く事は 友人がしっかりと本人に伝えたそうです。
その事に対してジョセフ君は 苦しい状態にも関わらず、嬉しそうな表情をして、

「皆さん、ありがとう」と ゆっくり 心を込めて告げたそうです。

それを聞いて 皆さんの愛は ジョセフ君に伝わった。
大きな愛の架け橋が 日本とアフリカに掛かった事を知り 本当に嬉しく思いました。
皆さん 本当にありがとう御座いました。心より御礼を申し上げます。

5月24日 ジョセフ君の眠る地に行き 簡単ながらも お葬式をさせて頂きます。
そして 彼のお墓を作ってあげようと思っています。

又 その点 又皆様の愛の結果は 他の多くの苦しむ人々に伝えさせて頂きますので
その結果も御報告させて頂きます。






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Last updated  2005.05.24 12:27:27



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