「おかあさん、お弁当つくったげよか?」
と中学1年の息子。
いつも職場にもっていくお弁当は、思いっきり手抜き弁当なので
そんなにたいした手間でもないから、
「別にいいよ〜。」とそのときは答えたが、
せっかく言ってくれているのだから、
あの言い方はなかったかなと思い、
「お弁当つくってくれる?朝練がないときでいいし。」
というと、息子はうれしそうに、お弁当第一号をつくってくれた。
職場に行ってあけてみると、
いつもの私の手抜きのお弁当がそっくりそのままあった。
ご飯と、ウィンナー、昨日ののこりものの野菜、冷凍コロッケ。
しかし私と違うのは、ウインナーを私が子供たちにお弁当をつくってあげるときに
してあげるように、包丁で切れ目を入れ、
『たこウィンナー』になっていた。
ウィンナーはもう1本入っていたが、
こちらは普通で、なんだろうと思っていたが
帰ってから、
「お弁当ありがとう。おいしかったわ。」と中学1年の息子に声を掛けると、
「お野菜は、汁が垂れへんように、良く絞った。」
「ウィンナーは『たこ』になってたやろ?」
と工夫を語ってくれる。
「もう一本のウィンナー、『箸箱』やったけど、分かった?」
というので、
「箸箱?ちょっとわからへんかったなあ」
というと、
「そうやろなあ、ちょっと包丁で切れ目をいれてみたけどたぶん見えへんかったと思う。」
と言っていた。
「なんで『箸箱』?」
「う〜ん、そこにあったから。」
ちょっとしたことでもいろいろと工夫がある。
それにしても、やはり、私の手抜き弁当がそっくりそのままなのを見て、
こともは親の言うことは聞かず、おやの後ろ姿をみる、というのは本当のようだ。
親御さんがしっかりお弁当をつくっておられるところは、きっと
こどもさんもそれが基準だから上手につくらはるんやろなあ、と思う一方、
『あまりに簡単そうで自分も作れる』と思わせて、ハードルが低かったのが、
「お弁当つくったげよか?」ということにつながったのなら、
親が料理が下手なのもわるくないかなと自分で自分を慰めたりしていた。
夕食の後、グレープフルーツ2個を子供たちで分け合っていたときのこと。
優しい中学1年の息子は、
「おかあさん、はい。」
とグレープフルーツを一房差し出す。
それをみていた他の子供たちも次々と一房差し出してくれた。
しかし、トイレに行っていた6才の息子。
私の前にグレープフルーツをの房がいくつかあるのをみて、
「わっ。おかあさんだけ、ずっる。」
というので、
「これ、みんながくれたんやで。くれへんの、自分だけやん。」
というと、
ちょっときまりがわるそうに、
「先にそういうこといわれると、あげたくなくなるんやなあ。」
と言いながら、
一房を私に分けてくれた。
けちんぼでも、みんなが気前がいいと、きまりがわるいようだ。
雨の鴨川沿いは人通りも少なく、鳥たちも心なしか、
警戒心を弱めて、河岸に近づいているような気がする。
ミミズがでてきているのか、いつもはジョギングで人行き交う
小道にもゆりかもめがさっとミミズをついばみにきている。
ふとみると、鴨川の端に土がたまり、草がはえているところに、
カモが二十匹ほど、降り立ち、せっせとなにやらついばんでいる。
この雨の中、土から、えさになる何かが、そんなに土の上に顔をだしているのか
と思えるほど、熱心に次から次へとついばんでいる。
雨は、鳥たちにとって”食事のチャンス”のようである。
息子の保育園でも、インフルエンザ大流行を始めている。
年長児は1,2名であるが、何と3歳児のクラスに至っては、
30名ほどのクラスが、朝から、8名ぐらいしかいいひんなあ、と先生方で話していると、
ひとり、ふたりと倒れていって、最後には1名だけ残ったという。
ワクチン接種が始まる前に、一通りかかってしまうような勢いであるが、
重篤化しないことを祈るばかりである。
最近はどこでもアルコール消毒容器をみかけるが、
あまりにも、細菌を廃絶すると、抵抗力がなくなるのではとちょっと心配。
海外に行ったときに、すぐ病気になるのは、日本人らしい。
ある程度の抵抗力の訓練も必要であろう。
あまりの抵抗力のなさに、日本人が『箱入り娘』となり、
日本から出られないという状況が将来出てくるかも??
ハンドボールを始めた中学1年の息子。
「初めてのハンドボールの試合があるねん。」
とうれしそう。
試合に必要なユニフォームなど、揃っているとは思えないのであるが、
「大丈夫?」
と聞くと、
「うん、たぶん大丈夫。」と答える。
でた〜。たぶん大丈夫。ま、いいか放っておこう。
「で、何時から試合?」
「しらん。7時45分集合。」
「だから、何時から試合?」
「たぶん、昼から。」
「で、何分試合なん?」
「しらん。」
・・・相変わらず何でもかんでもしらない息子である。
結局、試合も、午後から見に行くと、練習ばかりしている。
どうなったのかと聞いてみると、午前中に試合になったとのこと」。
で、試合は何分だったのかと聞いてみると答えは15分。
ネットで調べてみたら25分。いいかげんな息子である。
ハンドボールを始めた中学1年の息子。
「初めてのハンドボールの試合があるねん。」
とうれしそう。
試合に必要なユニフォームなど、揃っているとは思えないのであるが、
「大丈夫?」
と聞くと、
「うん、たぶん大丈夫。」と答える。
でた〜。たぶん大丈夫。ま、いいか放っておこう。
「で、何時から試合?」
「しらん。7時45分集合。」
「だから、何時から試合?」
「たぶん、昼から。」
「で、何分試合なん?」
「しらん。」
・・・相変わらず何でもかんでもしらない息子である。
結局、試合も、午後から見に行くと、練習ばかりしている。
どうなったのかと聞いてみると、午前中に試合になったとのこと」。
で、試合は何分だったのかと聞いてみると答えは15分。
ネットで調べてみたら25分。いいかげんな息子である。
千葉県市川市で2007年に英国人女性の他殺体が見つかった事件で、市橋容疑者が逮捕された。
英国のリンゼイさんのご両親においては、ここ数年どれだけ悔しい思いでおられたことと思う。
大切に育てた娘を、わざわざ遠い外国に行かせて、失ってしまうとは。
大切な娘がもう帰ってこない事実をどう受け止めたらいいだろうと思っているところに
娘の死について、重要な事実を、知っている、もしくは殺したかもしれない、重要人物に
数年逃げられてしまい、この数年、どれほど歯がゆいおもいをされただろうと思う。
親として、子供を失った立場なら、殺人を犯した者はもちろんのこと、
その殺人者を世に、社会に送り出した両親は、両親自体は悪くないと頭では分かっていても、
とても感情的に許せるものではないであろう。
これから事情聴取がすすんでも、事件の真相がはっきり分からないときのもどかしさ、
真相がはっきり分かったとしても、
娘の命を奪っておきながら犯人が生き続けていることに対するくやしさ、
そして、娘を失っていながら残されている自分の悲しみ。
大切な子供を失った親の気持ちは想像を絶するものがある。
一方で、犯罪者親として、テレビの前に姿を現した市橋容疑者のご両親。
犯罪者の親としての立場も考えさせられる。
驚いたのは、市橋容疑者の逮捕された11月10日の夜、テレビの前に両親揃って、顔を見せた会見をしていたことである。
加害者の両親がこうした会見に応じるケースをあまり見たことがなく、顔をテレビに出されていたことも驚いた。ご両親が顔を映されることを承諾されたのか、親としての責任感、勇気はすばらしいと思う。
私なら、子供が犯罪を犯したらどうするだろうか。この市橋容疑者のご両親のように、
「顔を映していただいて結構です。」と親の責任上、そうするべきだと考えても、
まわりの白い目にいたたまれず、「やはり顔を隠してください。」というだろうか。
そもそも、記者会見をするということに、耐えることができるのだろうか。
大切に育てた息子のはず、やさしかった息子も見たり感じたりしているはず。
どうしてこんなことになったのか、本当のところは、どうなのか、
直接会って聞いてみたいと思っていても許されず、息子に声をかけることもできない。
こんな、記者会見に応じ、顔をテレビに映してもよいと思われるような、責任感のある
ご両親が、子育てに一から十まで間違えておられたとは思えないだけに、
子供が犯罪を犯したときの、親の責任というものを考えさせれた。
今回のように重大な犯罪に息子が関わるかもしれないということだけでなく、
自分の子供が、
事故で命が失われたり、重大な後遺症をともなうものに関わったりし、
その責任が自分のこどもにあるということがあるかもしれない。
被害者やその周りの人たちは、どうやっても、取り返しがつかないことならなおさら、
なにをしても、どう謝っても、たとえ命を差し出しても、納得なんかできるはずもない。
だからといって何もしないことも出来ない。
被害者の親、加害者の親を考えさせられた今回の事件で、あった。