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時計草
時計草 [全45件]
赤木は艶めかしい話に陥らない様、一方で年齢を重ねた女性の感じ方から逸らさない事に終始した。 コノ人は素直にあらゆる質問に女性らしい答え方をした。 赤木はその答えが出るとその答えに関係する話題へと方向付けを意識的にした。 赤木はイロイロ聞いて見ると色んな考えがあるんですねぇと感心する言葉が癖になっていた。 電車に乗り今度上野の近くに良い店があるからと言うコノ人の言葉で会話は終わった。
段葛の桜並木は春には若干光が少なかった。 赤木の胸には、コノ人は今日は暇つぶしならまだいいが、無駄な時間の浪費とは思わなかっただろうかという気持ちが横切った。 この次果たして電話が掛かってくるのだろうかぁという弱気な気持ちが冷ややかな夜風を頬に受けると去来した。 最初はこんなものだと言い聞かせ、不安が和らいだのは頼朝の墓を遠くに見た時である。
そこで一般論としての女性の考えに持ってゆくべきだと思い抵抗の無い問題から尋ねる事にした。 「女性でも、青春時代の何も怖くなかった頃に比べると、今、後悔ありますかぁ、遣り残した事等」と顔は平静を保ちながらも、しかし何の脈略も無いことを口走った言葉に赤木は顎の周辺が熱くなって来た。 赤木はアノ人との不変の過去に拘り、現在の悪知恵でタイムトンネルに入って空白を埋めるために脳が操作をし始めることは愉快だが愚かな滑稽さを感じた。 コノ人と会う度に遡る過去に道らしきものが、或る時は直線又或る時は穏やかな曲線となり、アノ人と叶えられなかった続きを実現できると思うと罪人だと思った。
それまで道端などで出会っても、日ごろのアノ人の艶の或る顔には日々満たされている喜びが溢れていた。 赤木は表面的な日常会話だけ喋り、アノ人の内心の状況など口を挟み立ち入ることは思いもよらないことだった。 しかし、この時は気になり部屋に戻ってから庭の手入れをする消沈したアノ人の横顔を暫く眺めていた。 いつもなら季節を謳歌する花木に染まり庭の一部となっていた肢体は寂寞とした枯れススキの様であった。 アノ人の心の何処かに穴が開き隙間風が入ってきているのか、何時からか心に萎みを感じたのか、その原因は知る術もなかった。 その一方で今迄接して来た同世代の女性には到底感じられない色香というものを感じた。 穏やかでありしなやかである魅力を・・・。 ・・・・・・・・・・・ 「ねぇ、ソノ人どんな感じの人だったの」とコノ人が虫の知らせらしき事を感じたのか急に問い掛けて来た。 「はァ、誰の事」と赤木は岸壁に打ち寄せる波の音をリズムにおぼろげなアノ人の姿を想像し現在を横にやり過去に現を抜かしていたから戸惑った。 「この間書店で話をしていた思い出の女性」と何の気を衒う事も無く涼しい顔で尋ねてきた。 コノ人からすれば、このデートの経緯がアノ人との関係抜きでは語れず自然な質問である。 「どんな感じと聞かれてもぉ、こんな良い天気だと、オボロゲ過ぎるからイメージが沸きぬくて・・・」と赤木はアノ人の事を語り過ぎると不愉快を与えると思いつつ、かといって全く話題にしないとコノ人を誘った意図を誤解され、普通人が正常に持っている何%かの卑しい心だけに疑わられるという板挟みの状況に陥った。
アノ人の視線は庭の木々・花々に向けられて話をしていたが、季節を謳歌する花木を観察するわけでもなく、目・心の保養のために癒される目の輝きもなく、どうにもならない過ぎ去りし時の流れ、今も流れ行く一時を為す術もなく空ろいだ眼差しを浮かべていた。 目の小皺と頬に、ピン止めから外れた一糸の乱れ髪の毛が微風に揺れ、意志の強さが垣間見られていた日頃の横顔には虚脱感が漂っていた。 赤木はその時アノ人の唇から溜め息混じりに吐き出される言葉に山びこのように切り返す言葉が出なかった。 その言葉の持つ意味深ささえ感じ捉えることが出来ず、アノ人の言葉だけが庭の空間に彷徨い、宿る草花さえなく漂っていた。 赤木は此処に住んで幾度かの季節が移り行く中で変化を齎さない、少々の風にも微動さえしない松の飾り気のない濃い緑の葉を見つめていた。
岸壁の人混みから新たな隙間を見つけるために歩き出した。 芝生では夏の海水浴場なら芋を洗うような混雑振りと表現するが、この光景は浜辺の鯵の開きの天日干しである。 「青と緑どちらが好き」と赤木の意識をしていない問いかけが又始まった。「難しいです、両方、山登りしているし、海と山と川に囲まれた田舎で育ったし」 「私は一つと言うなら緑」と言い切った口元は引き締まり、顔を頷き、右手の握り拳を左手の掌に軽く叩いた。 赤木は納得しているコノ人の表情に譲れない決まりごとがあるように思えた。 「私、庭弄りが好きなのは木々の緑が好きだから、花でもと鑑賞用の花は咲けばすべて枯れてしまう、綺麗だけれど、どちらかと言うと木に咲く花は緑が残ってる」と口調が最後の方は尻すぼみになってきた。 コノ人は振り返りその視線はキャァキャァと騒いでいる若い女性に投げかけ、クスクスと口元を手で押さえた。 赤木はコノ人の今の言葉の意味は自分に例えているのか、コノ人の背中を見つめた。 ・・・・・・・アノ人も同じようなことを言ってた。 庭にはブロック塀を隠すように植木が林立していた。 緑に溢れる中で一人でポツーンと立ち竦んでいた時に目が合い話しをしたことがある。 「私も若ければもっと遊びたいわ」と手で引っ張った松の枝に溜め息混じりに寂しさを伴う感じで言ったことがあった。
「久し振りだわ、こんなに広々とした空間、気分まで爽快な気持ちになるわ、ねぇ、あの向こうの白い大きな船、何処の外国に行くんでしょうねぇ、狭い日本から抜け出したいわねぇ」とコノ人は鳥籠から抜け出した小鳥が青空に威勢よく飛び出す時の泣き声のように楽しそうに言った。 初めてだった、今までは一区切りの短い言葉を発すると口を噤み、沈黙と言う間を作っていた。 それも語尾を下げる口調であったりして、赤木は沈み行く雰囲気から如何にフランクな会話に持ってゆくことが出来るか頭を巡らせたか。 「何処かなぁ」と赤木の方がしいて言えば問いかけの側に立っていたから返って戸惑った。 「う〜ん」と海に向かって声を出し、両手をこれでもかと言わんばかりに左右に広げ十字架のようになっていた。 その後姿を見ていると、柔肌を白い布で包んでいるビーナスが海風に誘われて故郷に向かう姿に見えた。 「この様な所に来ると、自然が体中に入り込んできて心の垢まで洗い落としてくれる感じですねぇ」 「私、海の青さ・山の緑好きだわ、見ていると落ち着くから、・・・えぇと、名前聞いてなかったわねぇ、あなたの・・いいの、言わなくて、私勝手に呼ぶから」と両手で待ったを掛けるように赤木の目の前に掌を差し出し広げた。 「・・・そうだわ、確か和歌山と言ってたわねぇ」 「えぇ」 コノ人はロダンの考える人のように掌を顎の下に持ってきて、ゆっくりと体を回転させながら考えていた。 数秒も経たない内に探し出したのか微笑を浮かべ赤木の顔を覗き込むように見詰めた。 「え〜と、和歌山でしょう、紀州、そう、紀州さんにするわ、失礼かしら」 「いや、故郷自慢をする男と仲間によく言われますから気分は悪くないですよ」 「私は古い町が好きだから・・何か言いの無いかしら」とコノ人は考えているような顔付きと共に、赤木に感じが良い呼び名を期待する風にも見えた。 「じゃ、僕が付けます、古都さんはどう、古都鎌倉とか古都京都ええですよぉ」と赤木が今住んでいる鎌倉を思い出しながら言った。 「古イメージ名前だけど・・・昔琴を少しやっていたから、そうねぇ、じゃ、漢字の(こと)じゃなくて、ひらがなの(こと)にするわぁ」
公園の樹木の緑が見えてくると、人の声が聞こえてくると観光客と思しき人達の往来が目に付き出してきた。 春先の三寒四温で日々の寒暖の入れ替わりが、外出の服装の選択を迷わせるが、今日は陽気に誘われた人々の長閑な雰囲気と明るめの軽装の姿が冬は去ったなぁと思わせてくれている。 春の日差しを待ち焦がれた人々がすべての岸壁の手摺りを支配し、芝生は仰向けに寝転んでダレた姿が長閑さを倍加している。 遅く着いた人達は右からはたまた左からただ歩道を徘徊する状態である。 赤木が抱く鬱陶しい気持ちと異なり、コノ人はなんら嫌な表情を見せず、開放感を浴びているようである。 「爽やか、気持が良い」と歩きながら赤木の耳に聞こえる短い言葉を発するが、別に赤木の同意を求めるようなイントネーションではなく、赤木もタイミング掴めず沿うように歩いた。 コノ人は一歩歩く度に心地よさ様なリズムで肢体が揺れてこの季節の乗っている感じである。 赤木は頭の中でコノ人は何時もはどういう生活をしているのかと思いつつも、問うのはタブーであるからコノ人と同じようなリズムでこの穏やかな季節に合う足の歩調を合わせた。 |一覧|Recommend Item
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