3年でベストは
自分で自分のブログから選ぶ3年間でベストの日記はヒッチコック「めまい」について書いたものです。2005.07.30ヒッチコック 「めまい」 「めまい」の中で印象深いシーンがある。スチュワートが、死んだマデリンにそっくりなジュディに、マデリンが着ていた服を高級なお店であつらえるシーンだ。グレーのテーラードスーツ。ウエストが絞ってあるそのタイトなスーツは同じものを「知りすぎていた男」でドリスデイが着ていた。イディス・ヘッドのデザインだ。身体の線がくっきり現れるこのスーツを、マデリン・ジュディが着るというなら、妊娠したベラマイルズをヒロインに迎えることは絶対無理だったろう。 スチュワートはジュディを通してマデリンを求めるのだから眼差しは真剣だ。靴も髪型もすべてが、グレーのテーラードスーツを美しく着るために、マデリンの面影を再現させるために、注意が払われる。彼はマデリンを求めて、そのスーツをジュディが着るという一点に情熱を抱く。切なく期待に震えるようなこの場面は、感動的である。 私たちがこのシーンを見る時、誰に感情を重ねて観ているだろうか?嫌がるジュディではない。スチュワートの視線に思いを重ねているだろう。トリュフォーは「観客の同化」を求める映画は、ヒッチコック的になるという。そして、ここが重要なことだが、彼はヒッチコックの場合、観客が「同化の対象」である主人公は、「男性」なのだと指摘する。この「めまい」のように。一方、トリュフォー自身は「女性」が同化の対象だという。「めまい」に戻ろう。この映画のファンに女性が多いのは,もちろん映画が美しく深い傑作だからなのだが、このグレースーツのシーンにおけるスチュワートの眼差しは女性にとって、とりわけ縁の深いものに違いない。女性が服を着て、鏡を見るとき、多くの場合、自分を対象として見るのは「男性」の視線であろう。 恋をしているならなおさらで、女性が服を念入りに鏡でチェックしているのは恋人の視線だ。マデリンが危険を冒してまでスチュワートの側にいようと決める。そのマデリンに感情を同化するというより、観客として長く気持ちを重ねて観ているのは、目の前から消えた人の面影を求め続けるスチュワートである。最終更新日 2006.10.09 09:38:05 コメント(4) | トラックバック(0) | コメントを書く