Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京
この動画は( ̄(●●) ̄)私が熊本から就職で、埼玉の蕨に住んでた頃ですか......就職難時代で苦労しました。卒業時に決定していた姫路の製鋼会社が倒産して、会社は来てくれというのですが、経済に詳しい先生に相談したら....いかんほうがよかと思うとのことで、大学に残ることにしました。小池ゆりこはカイロ大学を首席で卒業を公言してますが、私は姫路の製鋼会社にはTOPの成績で合格したと知らせが届いていました。受験生は100名以上いたと思います。受験の会場は工場内にあるおおきな鉄筋コンクリート6階だてぐらいの大ホールにいっぱいでしたから.....2年後、まだ日本経済は不況で、就職先が少ない状態でした。いろいろ探して東京のM製鋼の就職試験を受けました。どうも面接試験で落ちたように思いました。面接の時「あなたは学生運動についてどう思いますか?」聞かれまして、困りました。私は学生運動には興味なく、大学のクラブ活動で学生バンドに熱中していたからです。何て回答したか今でも覚えていません。それで、大学に求人がきていた従業員100人くらいの会社を受験して採用されました。本社は神田にあり、工場は蕨にありました。就職のため上京する日が来ました。熊本駅のホームで母が見送ってくれました。私はギター片手に列車に乗り込み熊本を離れました............列車のベットで朝を迎えました。丁度神戸あたり、右に海が、左は住宅街でした。大阪 名古屋 東京 永い列車の旅でした。やがて東京駅に着きました。それから京浜東北線にのりかえ....荒川をこえて赤羽 川口.....蕨にやっと到着0( =^・_・^)=〇 蕨駅を降りて、地図を頼りに歩いて工場をさがしながら、田舎道を歩きました。歩いて30分ほどすると、トタンで囲われた小さな工場を見つけました。左手にギター右手にボストンバック姿で、小さな門を入りました。すぐ左手に木造の事務所がありましたので、その中に入りました。事務員は3名ぐらい、右手に応接セットがありました。事務員の案内で、ソファーらしきものに座りました。やがて、しぶやてんがいに非常に似た60歳ぐらいのはげ頭の人が私の前のソファーに座りました。私は、採用通知書をテーブルに置いて、こうこうしかじかですと説明しました。そうすると.......そのおっさんは昔の5玉のそろばんをだして、何か指で玉をはじき、そろばんを私の顔のお前につき付けました。......何だろう?と私が考えていると.....君!これでいいかい?とおっさんは私の顔の近くで言いました!?君の初任給だよ!2万5千円!これでいいかい?いいもわるいもなかばいと思いました。ここまで来てるのに.....( ̄(●●) ̄)追記:このはげ頭の方が社長さんでした。後日、歓迎会で自宅によばれました。美人のおかみさんと二人で歓迎会をして頂きました。広いたたみの座敷に本物のすし屋の装備品が設置されていて、社長じきじきのにぎり寿司をごちそうして頂きました。