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‘一歩’の日記 [全3080件]
6月2日、毎日新聞に鎌田實さんの連載記事で、いい文章が載ったので引用します。 ----------------------------------------------------------------- 漢方薬のツムラは、破産した北海道夕張市に工場をつくり、雇用を提供した。ヤマト 運輸は以前から、障害者の雇用拡大に向け、財団を作って「スワンベーカリー」とい うパン屋さんを全国に展開している。東日本大震災の後には、被災地のために140 億円の寄付をした。 心ある会社は、非正規雇用や外国への工場移転でコストを削減することを考えず、国 内で雇用を拡大しながら、内需を喚起しようとしているのだ。 こういう「あたたかな資本主義」の風を感じる会社を訪ね、社長にお会いしてきた。 それをこのほど『あってよかった! 応援したい ニッポンを幸せにする会社』(集英 社)という一冊にまとめた。 ![]() ネガティブに考えてはいけない。秋から景気は良くなる。ヨーロッパが不安定で、円 高が進んでいるが、日本の1~3月期の実質成長率は年率換算で4・1%となり、対 外純資産は253兆円と増えている。企業の業績も回復傾向にあり、内部留保は20 0兆円。個人の資産も1470兆円もある。この1割でも使われれば、一気に日本の 景気は良くなるはずだ。 震災復興予算12兆円も、これから使われる。「あたたかな資本主義」が広がってい くチャンスだ。日本中の景気を良くして東日本を復興させたい。(医師・作家。1948 年東京生まれ。現在、諏訪中央病院名誉院長。) -------------------------------------------------------------------- 一歩のコメント:いかがですか。元気が出るエッセイですね。こういう会社がドンドン 伸びて日本が元気になると、社会に希望が出てきます。この本、私も注文しました。 筆者は、お医者さんなのに、経済にも世相にも詳しい、不思議なおじさんです。
先月帰国したヨーロッパツアーを入れて、私は今までに計3回の欧州行きを経験しました。 そこで、3度の旅を振り返り、比べてみました。要約してみると、 今回の中欧ツアーは、欧州中世の世界遺産を訪ねる9日間の旅行。ドイツから右にオーストリア、ハンガリー、上にスロバキア、左にチェコと回りました。 殊に、ブダペストのナイトクルーズ、プラハ城とカレル橋周辺の光景は圧巻でした。田舎町のアンノンハルマやセンテグレは忘れ難い街です。 添乗員ガイド通り、どの国も真面目、勤勉に生きており、文化遺産を非常に大切にしていました。うれしい体験です。 ![]() (モンサンミシェル) おととしだったか、フランスツアーは、南フランスのニース、アルル、リヨン、ロワール地方を巡り、北のモンサンミシェル、港町オンフルールからパリに2泊、ロンドン経由帰国の9日間ツアー。 フランスの音楽を聞きながら、菜の花と麦畑、大きな牧場で埋まる田園風景、都市周辺、花々や商店街、教会、マロニエやプラタナスの若葉に出合いました。パリの美術館で見たモネーの大作「睡蓮」に感動。 一方、私は地方都市の個性と魅力にはまりました。たとえば、古い港町オンフルールや城壁都市のサンマロ。今まで全く知らなかった街です。 ![]() (サンマロ) アドリア海・エーゲ海ツアーは、ベニス、バーリ(以上はイタリア)、カタコロン(ギリシャ)、イスタンブール(トルコ)、ドブロブニク(クロアチア) 等を巡る10日間の旅行でした。 珍貴な道中で、夫婦二人で迷いながらのミステリークルーズでした。驚異的な街、サンマルコ広場から始まった、夢のような旅です。ドブロブニクの海岸と城壁に感激。 明るくて親切なイタリア人たちや船で働くインドネシアの青年たちとの交流が忘れ難いです。MSCポエジア号はとにかく大きく豪華な船で、想像を超える、ゴージャスな生活でした。 以上、3回のヨーロッパ旅行で、それぞれ個性のある経験をし、自分の認識が広くなりました。 苦しみながらも元気であり、真面目に生きて、文化遺産を大切にしているユーロ圏と、同様な元気さ、彼ら以上の真面目さを持って生きている日本
ヨーロッパツアーから帰ってきたら、益子町からイベント案内が来ていました。要点を引用します。 益子「野菜」物語とは、野菜の種まき・植付・手入れ・収穫の体験をはじめ、益子の伝統的な焼物作りにも挑戦できるという、体験イベントです。 【 日 程 】 第1回 5月20日(日曜日) 野菜苗植付・益子成形 第2回 7月1日(日曜日) 野菜手入・益子焼薬がけ 第3回 8月19日(日曜日) 収穫野菜を益子焼マイプレ ートで味わう 第4回 9月23日(日曜日) 収穫野菜を益子焼マイプレ ートで味わう 【 募集人数 】 30家族(1家族4名まで)。 益子焼は1家族1枚(追加可能) 【 参 加 費 】 1家族 7500円(益子焼追加1枚2500円) 【 そ の 他 】 軽食付き 収穫した野菜、益子焼はお持ち帰りください。 実施日については、予備日も設けてありますのでご相談ください。 移動は参加者ご自身(お車)でお願いいたします。 【 お問合せ 】 益子体験農業MAC TEL: 0285-72-6101 Mail: mashiko@eagle.ocn.ne.jp 益子町観光商工課 TEL:0285-72-8846 益子「綿」ものがたり というイベントもあるようで、舞台は、益子町の梅ケ内地区で里山の景観が大変美しいところです。 綿の種まき、手入れ、綿摘み体験をはじめ、糸紡ぎや藍染見学もプログラムに盛り込まれています。 一歩のコメント:おもしろいイベントですね(^-^)
今回の中欧ツアーは、欧州中世の世界遺産を訪ねる旅行でした。地図を見てみます。 ![]() ドイツから右にオーストリア、ハンガリー、上にスロバキア、左にチェコと回りました。 ○ 5つの国々は、平らな国も山地の険しい国もありました。宝石のような古都が 点在するチェコ、遊牧民が祖先で独自の文化を育んできたハンガリー、古き良き ヨーロッパの田舎風を残すスロヴァキア、中欧に覇権をふるったハプスブルグ家 ゆかりのオーストリア、豊かな経済と文化を持つドイツ。 (菜の花畑の農村) (石の街 都会) ○ 大国あり、小国あり、山岳や湖、平野、大都会と大田舎、言葉や料理等々違い は多かったですが、石造り風の都会、緑豊かな農村風景は共通でした。 (但しオーストリアの湖の町ハルシュタットは木造家屋がほとんどの町でした。) (田舎と都会) ○ どの国でも人々の体格は概して大きく、異な言葉を話す異人さんであることも 共通でした。 ○ 嘗てソ連に支配され、社会主義体制に組み込まれたハンガリーやチェコなどは 辛酸をなめ、復興を遂げた痕跡が生々しく、第2次大戦で英米など連合軍に爆撃 された旧東ドイツにも同様の影が見えました。 (石の古都) (渓谷の街) ○ 今回訪ねた5つの国、どの国も真面目に勤勉に生きてきており、イタリアやフ ランスとは国民性が少し違うようですと、添乗員が言っておりましたがどうでし ょうか。イタリア、フランスが勤勉でないとは言っていませんでしたが。 ○ いずれの国も食事は日本に比べてやや粗末ですが、ビールやワインは、かなり うまく、日本も顔負けと感じます。また、どの国々も文化遺産を非常に大切にして おり、歴史は古く、文化の幅も深さも広く深いと感じました。宮殿や教会、お城は 凄さを感じます。 ○ 経済基盤ではドイツがダントツでがんばっており、他の国々を支えているよう でした。 ○ 海のない国々を巡りましたが、中欧はむろん、(イタリアやフランスは海があ っても魚がとれいところが多くて、)価額が高いようです。肉料理は多く出まし たが魚料理は非常に少ないです。肉料理も魚料理も味はイマイチでした。 ○ ヨーロッパの多様性(言語・文化・国民性)と共通点(通貨や料理など)を感 じた旅でした。添乗員ガイド通り、どの国も真面目、勤勉に生きており、文化遺産 を非常に大切にしていました (ライトアップ) (河畔の古都) ○ 優秀な添乗員のFさんと機会あらば再び旅行をしたいし、プラハをガイドして くれたHさんとはその後メールでをし合い、個人旅行の誘いを受けました。体を 鍛え資金をためて、また旅行に出たいものです。最後まで読んでくださってあり がとうございました。 (山の村) (湖の村) 参考までに、ツアーの記録全体をひとまとめにしました。こちら です。
ミュンヘンは人口130万人の「村」といわれます。それは都会にありがち な冷たさがないから。ボヘミアンや若者、旅人を迎え入れて世話をやくあたたかさ があるといいます。 サッカーに熱を上げ、ビアホールでジョッキを上げるミュンヘンっ子たち。 ミュンヘンといえばビール、ビールといえばミュンヘンだ。世界最大級のビアホー ルもあります。ミュンヘン旅行 人気ランキングの1位は新市庁舎で、2位はマリ エン広場。私たちもそこへ身を置きました。 新市庁舎の建築は驚異的でした! 1867~1909年に建てられたネオゴシック様式 の新市庁舎。圧倒的な的な存在感です。ヨーロッパでは市庁舎や国会議事堂が堂々たる姿の 「芸術品」であることが例外ではありません。日本とは文化伝統の違いがありますね。 (新市庁舎) 仕掛け時計 馬上槍試合で、バイエルンの青と白の旗を馬に付けた騎士が勝ちます。 そのあとビール樽を作る職人たちがくるくると踊りだして、なんとも楽しい。動い ている32体の人形は、等身大だそうです。11時時間になると、マリエン広場は人で いっぱいです。 (仕掛け時計) マリエン広場のマリア像:広場のほぼ中央に立つ金色に輝くマリア柱像には、 次のようないわれがあります。ドイツ中が戦場となった三十年戦争の時代に、 選帝侯マクシミリアン1世は、もしミュンヘンが戦災から逃れるができたら、記念 柱を建てると神に誓いを立てました。そして実際ミュンヘンは破壊からまぬがれる ことができました。 広場は新市庁舎以外は、商店やカフェ、レストランなどの入った建物に囲まれて います。 ミュンヘンの写真11枚をこちら に掲載しましたので、どうぞ。 この日の夕方、私たちは帰国の途につきました。機中で一泊、翌日の朝、 9時半に成田に着きました。 森鴎外とドイツのことを添乗員が話していましたので、ここに掲載します。 ○森鴎外のドイツ留学 1884年(明治17年)ドイツ陸軍の衛生制度を調べるため、ドイツ留学を命じられ ました。最初の1年をライプツィヒで過ごし、次はドレスデンで5ケ月ほ ど生活しました。 ミュンヘンでは、ミュンヘン大学の先生に師事。次にはベルリンに 滞在。ここでドイツ人少女と出会います。帰国直後、少女が来日して一か月ほど滞 在。この女性は小説『舞姫』のモデルとされますが、真偽の詳細は不明です。 ![]() 『舞姫』は私も読んだ名作です。青空文庫で無料公開していますので、 御希望ならこちら へどうぞ。原作は古文調で、これがなかいいのですが、現代語訳 も書籍になっています。 次回はツアーのまとめ(総合的な感想)を書きます。
チェコのプラハに別れを告げて、私たちは180キロ離れたチェスキークロムロフに、 バスで3時間かかって着きました。 チェスキークロムロフはオーストリアとの国境近くにある町。大きく屈曲する ヴルダヴァ川に抱かれた旧市街は中世の町をそのまま残しており、世界遺産に登録され ています。 ヴェルタ川の岸辺から見上げるチェスキークルムロフ城の城壁は迫力満点です。 城は13世紀に創建され、その後次々に増築されていき、建てられた時代の建築様式が 調和して見事な複合建築となっています。 ![]() (岩盤上 複合建築のお城 右端に岩盤が見えます) ここは近代化から取り残されたために、最も繁栄した時代の風景が損なわれることなく 現在まで保存されて、中世そのままの町並みが広がっています。 狭い町で、小道も多く狭い路地からの風景も絵になる町です。(観光案内参照) ![]() (路地) 城の景色も街の小道も見事というほかない光景で、写真をたくさん撮りました(^-^)一部 掲載しましたので、下記をご参照ください。 ○チェコのビール ![]() (チェコ・ビール うまい!) チェコ・ビール:世界一のビール大国。一人当たりのビール消費量はダントツとか。 ●有料トイレの件 ヨーロッパのトイレの使用料:徴収されるトイレとそうでないトイレがありました。 国により店によって違うので、ややこしいです。添乗員の案内で対応できました。 無料トイレは空港、博物館、ホテル、一部のレストランやカフェ、コンビニです。 有料トイレは公衆トイレ、百貨店、一部のレストランやカフェ、コンビニです。 料金は50セントユーロ(約60円)が多く、80セントユーロもありました。 ●チェスキークロムロフの写真14枚をこちらに掲載しましたので、どうぞご覧ください。 (次はツアー8日目、最終観光地のドイツ・ミュンヘンです。)
チェコのプラハからバスで155km走って、ドイツのドレスデンに着いたのは15時 過ぎでした。ここで観光後、再びチェコのホテルへ帰るという予定です。 ドレスデンはエルベ川の河畔に開けた町で、ドイツ16州のひとつであるザ クセン州(ドイツ東部)に位置し、ポーランドおよびチェコとの国境に接していま す。この日は、チェコからの遠足という形で訪問しました。 (ツヴィンガー宮殿) ドレスデンは第二次世界大戦では町の60%が焦土と化し、35万人が犠牲になったそうです。 終戦直前は連合軍の空襲がすごかったのですね。 ドレスデンは旧東ドイツに属しています。1980年代末の民主化運動は1990年の 東西ドイツ統一のきっかけとなり、その後もドイツの新連邦州の中でも最も有力な都市と して発展しています。 戦争で破壊された町々も、市民たちの根気強い修復作業で往時の姿を取り戻しています。 いまだに修復作業を続けている所も多いそうです。 丘陵の間を流れるエルベ川に沿い、周辺の緑とともに織り成す風景は2004年、世界文化 遺産に選定されました。 ツインガー宮殿 ドイツバロック建築の傑作で、内部は、著名作品を納める絵画館や 幾つかの博物館になっています。 (ツインガー宮殿 一部) 聖母教会ルター派プロテスタント教会。第2次大戦末期、連合軍による大空襲によって ほぼ全体が崩壊しました。東西ドイツ統合後、再建熱が高まり、1991年に民間人のイニシ アティブで再建の決議が行われ、ドレスデン市も再建に資金的支援を行なうことを決定し ました。 再建に要した費用は1億3200万ユーロで、そのうち1億ユーロが寄付によるものの由。 おおぜいの人々の協力のもとで10年以上の歳月をかけて再建された聖母教会は文化の中心 として栄えたドレスデンの再興を象徴する建造物となっています。 (ルター銅像と聖母教会) ![]() (天井画、パイプオルガン) ![]() (エルベ川沿いの風景) ○ プラハからドレスデンに向かう車中で添乗員のFさんがドイツの戦後歴史を語りました。 要点を記録します。 添乗員の語るドイツの戦後歴史 これから行くドレスデンは旧東ドイツの都市です。ドイルの東西分裂にはソ連が深くかかわ っており、「独のヒトラーを自殺に追い込んだのは俺たちソ連軍だ。だから、戦後処理は 俺たちが行うぞ」 「いやいや、そうはいかないよ。ノルマンデイーで戦ったのは俺たちだ」連合軍の英米仏等 はそう主張しました。 英米仏が独の65パーセント、ソ連が35パーセントを占領下に置き、これによってドイツ は東西に分裂しました。「今バスで走っているところは東独側です」 ソ連のゴルバチョフはペレストロイカ(規制緩和)と情報開示政策を進めたのですが、ドレ スデン等でぺレストロイカ・民主化の波が起き、結局、東独国民が1990年にベルリンの 壁を大きなハンマーで壊しました。ベルリンの壁崩壊です。 (上 右端が添乗員のFさん、下は民族衣装が似合うウエイトレス) ○「プラハの春」でもソ連軍が介入したのに、この時はゴルバチョフは介入しなかった。 ソ連情報機関の混乱で、ソ連軍が介入する前に、東独国民が西独側に入り込み、壁の上で 東西国民が揃って酒を飲んで祝っていたんです」 こうして、東西ドイツは今から20年前に統一を果たし、ソ連が崩壊しました。 ルーマニアの独裁者チャウシェスクは妻とともに射殺されるなどしましたが、ベルリンの 壁崩壊とドイツ統一では、一人の死亡者も出ない革命となりました。 ![]() 現在、エジプトで、国民が自由・直接選挙を通じて国家元首を選ぶ選挙がおこなわれていま すが、これはアラブ世界で史上初ですね。 その行方は、中東各国に広がった民主化運動「アラブの春」にひとつの着地点を示すことに なります。 「20年前の革命は衛星放送によって、今ツイッターで中東革命が起きています。昨夜も プラハのテレビで、これら革命の特集番組を放映していました」 「今見えている右手の工場は、社会主義時代の工場です。東独出身のメルケル首相は、 設備投資等東独に力を入れています。さらにギリシャ問題のように、ギリシャやスペ インの尻拭いまでやっていて、ドイツ国民はつらい生活をしいられています」 ● 添乗員のFさんは、面倒見がいいだけではなく、相当勉強していて博識です。 おかげで私たちは現場で西洋戦後史が興味深く学べますね(^-^)サンキュー! ○ ドイツは、環境保護や資源保全を目的に、電力供給の大部分を再生可能エネルギ ーにしようという動きを加速しているという事です。ドイツは原発を廃止します。 こうして、私たちは6日目もたっぷりと見学を楽しみ(徒歩11000歩)、プラハの ホテルに戻ったのは9時半頃でした。 ![]() (チェコ市内の橋がたくさん見えます) 一日遠足で行ったドレスデンの写真15枚をこちらへ載せました。 (次はチェコのチェスキークルムロフについて記録します)
さて、いよいよプラハですね 前の夜遅くホテルに入った私たちですが、5月13日(金曜日)は朝早くから冬の 服装でプラハ城へ向かいました。この日の気温は10度Cでしたが、あちこちの観 光ポイントを一日中歩き回っていました。今回は午前中の観光のみを書きます。 プラハ城:ユネスコ登録では世界一大きな城で、宮殿や修道院が建ってい ますが、圧倒的な存在感を持っているのが聖ヴィート大聖堂で、高さ約100mの尖 った塔と巨大なバラ窓が印象的です。 ![]() (プラハ城・聖ヴィート大聖堂) 教会内部のステンドグラスも有名で見たかったのですが、ツアーではパス。残念! せめて写真だけでも掲載しておきましょう ![]() (有名なステンドグラス) カレル橋は1357年に架けられたゴシック様式橋で、520m。 ![]() (カレル橋) この橋はいつも観光客でいっぱいだの由。聖人30体の像の中、特に観光客が集まっ ていたのは、ネポムクの聖ヨハネ(別名 聖ヤン・ネポムツキー)像でした。彼は 訳(省略)あって、夜のカレル橋からモルダウ川に投げ込まれました。 旧市街広場 市街の中心にあり、観光の中心となっている由。カラフルな中世の街 並みで、どこをとっても絵になる所でした。 ![]() (旧市街広場 ゴシックやルネサンス、バロック様式の建物が並んでいます) 仕掛け時計の前はすごい混雑でした。上方の時計は太陽の運行を示す複雑な機械時計で、 下の円盤は月々の農作業の絵などが描かれたプレートが回転します。 一番上の小窓の仕掛けは人形の回転が30 秒ほどで終わってしまいました。 ![]() (仕掛け時計) 旧市街は治安も良く、観光やチェコ料理、また地ビールを楽しむことができます。 ![]() (旧市街 国民劇場前) ● 日本人ガイドHさんのこと:午前中、プラハ観光ガイドをしてくれたHさんは 23歳。プラハ大学で言語学を専攻している日本人青年でした。13歳、中学1年でチェコ へ単身で移り住み!以後チェコで勉強中の由。「父が、一人でやってこいと私を放り出 しました」 お父さんもご本人もスゴイですね。 「将来はチェコ文学を日本語に翻訳するなど、そういう仕事をしたいです」と言ってい ました。文学や翻訳の仕事が合いそうな青年でした。がんばってねー(^-^) ● フランツ・カフカ:チェコ出身のドイツ語作家。プラハのユダヤ人の家庭に 生まれ、保険局に勤めながら作品を執筆、常に不安と孤独の漂うな独特な世界を小説に 残しました。 一歩のコメント:名所案内にとどまらず、カフカのような人物ガイドもいいですね。 文化伝達の幅や深さが拡大します。 カフカは現在では、ジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の 文学を代表する作家と見られています(ウキペディア)。代表作『変身』は有 名ですよね。 ![]() (新潮文庫) 「カフカはチェコに住んでいたのですが、チェコ人かどうか国籍を明らかにしません でした。ユダヤ系のようです。読むのに体力のいる作家です」日本人ガイドHさん の言です。彼は本気でカフカを読んだようでした。いいですね!(^-^) 彼を応援 したくなりました。本気は魅力的です。 ● スメタナ:チェコの作曲家。「モルダウ」など6つの交響曲からなる「我が祖国」 が代表作の由。スメタナ博物館があるそうです。 ● 昼食 豪華なレストラン は、前菜もデザートも、室内も建物も一級の店でした! プラハの写真24枚をこちら に掲載しましたので、ご覧ください。 (次はドイツのドレスデンについて書きます)
ツアー5日目は、ハンガリー・ブダペストから、スロバキアのプラスチラバ観光 をして、午後からチェコのプラハへ向かうという、トータルで530キロも移動する、 長距離のバス旅となりました。 プラスチラバ市内観光 ○ プラスチラバは1993年にチェコから独立し、スロバキアの首都となりました。 歴史上、長い間ハンガリーの支配下にあった由。 旧市街の中世風街並みが美しく、また、中央広場には日本大使館や寿司屋がありま した(但し日本人の経営ではないということ)。 現地の金髪美人スロバキア人Fさんのガイドで、プラスチラバ城、聖マルティン教 会などを訪ねました。(彼女が国会と大統領をキツクこきおろしていたことも印象 に残っています。ツアー客が驚き笑いだすような激しさでした。) 街を歩きながら、ツアー客同士が「街の人々の表情が少し暗いね」と話していまし たが、笑顔なく観光客をじっと見ている市民の表情が気になりました。生活が貧し いのでしょうか。レストランのウエイトレスにも笑顔はありません。 (プラスチラバ旧市街) ○ この日午後からチェコのプラハへ向かって330キロ、約4時間半のバス移 動。チェコに入ると道路が急に悪くなりガタゴト道。夜7時にプラハに着いて、レ ストランで鱈(タラ)の煮込みにジャガイモという夕食です。気温は真冬並み の13度Cで、出発したブタペストが33度Cですから、激変の温度でした。 夜7時でも明るい。添乗員がガイドした地ビール ![]() この日、ホテルに入ったのは21時でした。連日、夜まで遊び歩きです。徒歩9000 歩でした。 ● 十字架と星型 バス移動の途中、町や村の教会が窓外に見えますが、教会の塔頂でカトリックとプ ロテスタントの区別がつくと添乗員のガイドがありました。ご存知ですか。 (カトリック教会、プロテスタント) カトリック教会は十字架で、プロテスタントの教会は星の形です。 (次はツアー6日目のプラハ城と、そしてドイツのドレスデン観光を記録します。) |一覧| |
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