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親ばかインコ日記2

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ドイツクリスマスマーケットの旅 総集編3

ドイツクリスマスマーケットの旅 総集編3 (7日目~9日目)

■クリスマスマーケットを巡るドイツの旅 7 2011年12月19日

朝、昨夜から降っていた雪の為に道路に雪が積もっていた。
道路の雪を除雪して貰ってホテルから、ホーエンシュバンガウへ

坂道を登ってノイシュバンシュタイン城へ。
この坂道、馬車も通っています。
ノイシュバンシュタイン城の外観の撮影はできますが、中は撮影禁止です。
CIMG0001.JPG
ノイシュバンシュタイン城、以前小説の中で統一感が無い内装って事だったので古今東西の品が詰まったどんなカオスな空間だと思っていたのに、結構まともでした。
確かに城内に急に洞窟を模した部屋とかあるけど、それもお話の中に出てくるからという必然性があるし、どれも西洋の中世という共通点があるのでそんなおかしいという感じはありませんでした。
有名な城の全体写真はマリエン橋から撮影された物なのですが、雪の為にマリエン橋への道は閉鎖されてました。
昨日保険として絵葉書を買っておいて良かった。
でも子供の頃から見ていた城の風景を見たり撮影出来なくて残念でした。

昼食はラビオリに似たマウルタッシェンとレバークネーが出ました。
飲み物は寒かったのでグリューワインを頼みました。
イタリアでもそうでしたが、日本のようにタダでお水なんて出てきません。
店では先ず、何を飲む?と聞かれます。
飲み物はたいてい地元で産出された物が一番お買い得です。
水でもジュースでも他の場所で生産されて輸送された物は割高になります。

その後昨日暗くて内装がよく見えなかったヴィースへ又行ってくれました。
CIMG0084.JPG
■ヴィースの巡礼教会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日このキリストの像が涙を流したという。教会ではこれを奇跡とは認定しなかったが、この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移したが、巡礼者は増える一方であった。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1746年から建造されたのがこの教会である。1754年に献堂式が行われ、最終的に完成したのは1757年であった。設計はドイツ・ロココの完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマンで、それまでにも数多くの建築を手がけていたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移し、亡くなるまでこの教会を見守り続けた。
外観は牧場の中に建つ何の変哲もない教会だが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられている。ロマンティック街道、ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっている。
1983年、世界遺産に登録されている。


明るい中で見た教会の内装は綺麗で豪華でした。

その後ハイデルベルクへ
ハイデルベルクで夕食でした。
その時は黒ビールを頼みました。

その後ヘッペンハイムへ行き、ヘッペンハイムのホテルへ。

■クリスマスマーケットを巡るドイツの旅 8 2011年12月20日

ホテルからハイデルベルクへ
しかし雪とラッシュの渋滞の為にかなり時間が掛かってしまいました。
でもどうにかハイデルベルクに到着。
先ずハイデルベルク城に行きました。
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■ハイデルベルク城 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハイデルベルク城は、ドイツで最も有名な城址として知られている。ケーニヒシュトゥールの北斜面、渓谷から80mの高さに位置し、街の風景全体を決定付けている。元々は城砦として築かれたが、その成立についてはよく分かっていない。ネッカー渓谷はこの城の麓付近で幅が狭まり、制圧しやすい地形である。ここはライン川支流の最後の徒渉地であり、後には最後の橋が架けられていた場所であった。選帝侯ルートヴィヒ3世は皇帝ジギスムントの代理としてこの地を治め、1415年のコンスタンツ公会議の後には最高判事として廃位させられた対立教皇ヨハネス23世をこの城に幽閉した。
1615年に刊行されたマテウス・メーリアンのTopographia Palatinatus Rheniに選帝侯ルートヴィヒ5世が「百数年前に新しい城館の建造を始めた」とあり、初めて城館の詳細な記述がなされている。17世紀に城と都市は3度にわたって占領され、破壊された(1622年の三十年戦争時にティリー伯によって占領され、1689年と1693年の破壊はプファルツ継承戦争時にフランス軍によってなされた)。この城はそのたびに再建と増築がなされたが、マンハイムに近代的な宮殿が築かれ、さらに1764年の落雷による火事でこの城の運命は決まった。

城の地下には世界最大級のワインの大樽があります。
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ワインの大樽の傍には道化師ペルケオの像があります。
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横には昔のビックリ箱があります。
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ケーブルカーに乗って旧市街へ。
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マルクト広場に建つ聖霊教会
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本当はこの後、予定ではドイツ民芸品店でショッピングだったのですが、雪で道が渋滞していて到着するのが遅れたのが響いてそれは無しになりました。
今日はドイツで過ごす最終日です。
今迄は荷物になるからと思って極力買い物を控えていたのに( ̄Д ̄;)。

その後バスでリューデスハイムへ。
リューデスハイムのつぐみ横丁へ。
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レストランの上のつぐみの看板
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つぐみ横丁のレストランで昼食。
ワインの産地だという事なのでここでは白ワインを頼みました。

雪の中のブドウ畑
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食後、本当はバスでケルンへ向かう筈でしたが、予定が遅れに遅れているので急遽バスごと船に乗って川を渡ることになりました。
最終日なのでもし空港へ行くのに遅れたら帰国できなくなります。
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ケルンに到着した時、もう日が暮れていました。
ケルン大聖堂をデジカメで撮ったけど、暗くてよく見えません。
ケルン大聖堂の中は撮影してもいい事になっています。
一応電気も通っているようなのですが、やっぱり薄暗い。
唯一明るかった三博士の棺
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ケルン大聖堂横でクリスマスマーケットがやってました。
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その後空港へ。
空港にあったキリン親子の像。
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どうにか時間に間に合い無事飛行機に乗れました。
入国審査の時には謎の睨めっこがありましたが、出国の時にはあっさりしてました。
これは係員が違うから?それとも国に入る時は厳しくても国から出て行く時はさっさと行けって事でしょうか。
しかし150もの観光街道を作っておいて観光客の入国を渋るって訳分からないです。

ともかく飛行機で北京へ向かいました。

■クリスマスマーケットを巡るドイツの旅 9 2011年12月21日

デュセルドルフの空港から北京空港に到着。
デュセルドルフの空港では時間が無かったのに北京空港では乗り継ぎの飛行機待ちの時間が3時間もあります。
ユーロと日本円は持っていても元なんて持ってません。
カードで買い物も出来るのですが、それにしても3時間は長いです。
でもパンダがカンフーやってるTシャツを買いました。

どの店にもパンダのぬいぐるみがあって可愛かった
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やっと乗り換えの飛行機に乗る時間になったと思って移動したのですが、飛行機迄運んでくれるバスが中々出ない。
ようやくバスで飛行機に着いて乗り込んだと思ったら飛行機が幾ら待っても飛ばない。
この飛行機に乗る客を乗せた飛行機の到着が遅れたので待っているとの事。
結局飛行機が飛んだのは予定時間の1時間後でした。

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